第10話 アラハンの水堀
15)
ウズドラの町を飛び出し、ひたすら逃げ続けるシャスカ。
そのシャスカの前で、道が二手に分かれていた。
ひとつは、下ってアラハンに向かう道であり、ひとつはさらに西へとのびる道であった。
分かれ道からは、城邑アラハンを、眼下に遠く見下ろすことができた。
アラハンは、北の山脈から流れ下る大河のほとりにあった。
その高い城壁をとりまく水堀に、陽の光が反射して、キラキラと光るのが見えていた。
河から流路を造り、城塞の回りをぐるりと、深い水をたたえた堀で囲んでいる。
大河と堀は、城塞防衛、水運、そして城邑内の上下水と、一石三鳥の役割を果たしていた。
そんなアラハンは、難攻不落の水壕城塞である。
シャスカは立ち止まり、城塞アラハンを眺めた。
一列になって築城橋を渡っていく、大勢の人びとや馬車の列を見ながら、
「……うん、あの町もヤバいな。いったん町の中に入ってしまったら、たいへんなことなる。それはたしかだ。それに——」
独り言をつぶやき、その堀に視線を向けた。
堀に充ちた水の、その奥を見透かすように、目を細めた。
「おいおい、あの堀、とんでもないな……こわい、こわい」
頭を振る。
「ここは、さっさと通りすぎるに限る」
そして、アラハンへの道を避けて、また歩き出した。
街道を西に、さらに西へと。
16)
シャスカに遅れること、数日。
グレンとルビーチェは、街道をアラハンに向かっていた。
灌木の生えた荒れ野を進んでいる。
街道の分かれ道まで、まだ二日ほどはかかりそうだ。
「むっ?」
グレンが、立ち止まった。
後ろをふりかえる。
「……来るな」
ルビーチェが答える。
「隠れよう」
「ああ」
街道を歩いていた二人は、道を外れ、物陰に身を隠す。
遠くに、土埃がみえた。
土埃は見る間に大きくなる。
ドカッ、ドカッ、ドカッ、という轟くような蹄の響きが近づいてくる。
地面が震える。
そして、気配を消した二人の前を、騎士たちののった馬が駆け抜けていった。凄い勢いだ。二十数頭はあろうか、みな殺気立ち、臨戦態勢で突進していく。
駆けつづけてかいた、馬の汗のにおいが、ぷんと匂った。
「ありゃまあ……」
騎馬軍団の姿が見えなくなって、また街道に姿をみせた二人。
グレンがあきれたように言った。
「ずいぶん、気合いがはいってるな」
「ウズドラから知らせが行ったようだな、これは」
と、ルビーチェが言う。
「アラハンでおれたちを待ち受けてるんだろう」
「まあ、そうだろうな」
「グレン、お前もだぞ。ウズドラから報告が行ったってことは、お前の人相書きもおそらく回ってるぞ」
グレンは動じる様子もなく
「ははは、おれは目立つからなあ。そりゃ、そうなるよな」
「ウズドラでは、グレンに潜入して手引きしてもらったが、その手はもう使えん」
「ふん、そうだな。さて、ルビーチェ、どうする?」
グレンが、面白そうな顔で、笑った。
17)
王都から派遣された精強の騎馬軍団二十四騎。
彼らはアラハンに入場し、王命を伝えた。
磔刑となっている姫の身体の一部——左足を取り戻しにくるルビーチェを捕らえること。
生きて確保できればそれがいちばんだが、状況によっては殺してもかまわない。
姫の身体を盗まれるくらいなら、ためらわずルビーチェを殺せ。
なお、正体不明の巨漢の戦士が、ルビーチェに協力している可能性があるので注意せよ。
指揮は我々が執る。
城内の兵力が再編され、目的のために配置された。
アラハンに入る唯一の経路である築城橋の警戒は厳重となり、すこしでも怪しい者はただちに連行され調べられる。
そのため、人びとの流れに大渋滞が生じた。だが、民が文句を言うことはできない。抗議でもしようものなら、そのまま牢獄に入れられる。
ウズドラを上回る厳重な警戒がされた広場の中央には、無骨な磔刑の柱が立つ。
その柱に、足首をしばられ、吊り下げられているのは、モルーニア姫の左の足。
鼠径部から切り落とされた、美しく、白い足が、腐敗の兆候なく、ときおり吹く風に、ゆらり、揺れていた。
18)
アラハンを取りまく水堀。
その外側に、堀と並行に道が走っている。
でこぼこな道ではあるが、その道を使って、農民が収穫物を運んだり、商人が売り物を運んだりと、領民たちの生活道路となっている。
今も、その道を、一人の農民が、大八車に大きな袋を積み上げて運んでいた。おそらく畑から収穫してきた作物が詰めてある袋はかさばり、いかにも重そうだ。
その大八車を曳いている農民の身体は、その荷物の大きさに比して、いささか頼りなく、汗だくになりながら、必死で足を運んでいるが、どうも足下がおぼつかない。
「おい、あんた、一人で大丈夫なのか」
みかねて、声をかける者もいるが
「いや、問題ない、おれは早くこれを届けないと——」
そう答え、また、ふうふういいながら、進んでいく。
「あんまり無理するなよ、休み休みいけよ」
親切に、農民に忠告したその男は、すぐに
「あああっ」
大声をあげた。
大八車の車輪が、道にころがっていた小石にのりあげ、それでも無理に車を曳いた結果、
がたん!
バランスが崩れて、曳き棒が大きく跳ね上がり、
「うわあああ!」
曳き棒をおしていた農民の身体が、宙に浮いてしまったのだ。
そして、そのまま、大八車全体がずるっと横に滑り、道を外れて、ガタガタと土手を滑り落ちていく。その先は、いうまでもなく、深い水堀だ。
「あああ、だからいわんこっちゃない! あんた、早く、早く手を離すんだよ!」
男が叫ぶが、そう言っている間も、どんどん速度を速めた大八車は後ろ向きに突進し、とうとう、堀の縁に設置されていた木の柵に激突、柵を突き破ると、まだ曳き棒にしがみついている農民ごと、堀の中に水しぶきをあげて転落した。
「たいへんだ!」
「人が落ちた!」
気がついた者たちが集まってくる。
何事かと、城壁からも見張りの兵士がのぞきこむ。
「助けないと!」
そう叫ぶ声はあったが、しかし、堀までかけつたり、ましてや飛びこんで農民を助けようとする者はいない。
道の上から、もどかしい顔でみているだけである。
それには理由があった。
それは——。
ぷかりと、ずぶぬれの農民の頭が、水面に浮かんだ。
げほっと水を吐き出す。
立ち泳ぎをしながら、きょろきょろと辺りを見回して、
「ああ……荷物が沈んじまう!」
農民は悲痛な声をあげた。
「なんとか、しないと」
袋まで泳いでいって、つかみ、引っ張ろうとするが、水を吸って重くなったのだろう、どんどん水中に沈んでいく。
「だめだ、あんた、荷物はあきらめろ!」
「そんなことより、はやく、上がってこい!」
「堀の中にいちゃだめだ!」
人びとが口々に叫ぶ。
「早く、あがれっ!」
ゴバアっ!
突然、農民のすぐ近くで、大きな泡がはじけた。
「うわっ、なんだ?」
次の瞬間、慌てる農民のまわりに、水面を突き破って、何本もの柱が立ち上がった。
緑色に、紫のまだらをもったその柱は、ぐねぐねとうごめく。
柱には、人の頭よりも大きな丸い吸盤がいくつもついて、その吸盤の奥には、歯の生えた裂け目がみえた。
「ああ——やつが、出ちまった……」
人びとがうめいた。
それはハーブグーヴァ、クラーケンの眷属で、淡水に棲む巨大な人食い烏賊の化け物である。
ハーブグーヴァは、この水堀に棲んでいる。いや、飼われているというのが正しいかも知れない。
堀を泳いで突破しようとした敵は、このハーブグーヴァの餌食となるのだ。
領民はみなそれを知っていた。
だからうかつに堀にはちかづかない。
この農民は、遠くから来たのか、気の毒にそのことを知らなかったようだ。
水面から突き出した柱、つまりハーブグーヴァの脚が、まるで網をしぼるように、四方八方から農民に襲いかかる。
「ギャーッ!」
一声叫んで、農民は水の底に引きずり込まれてしまった。
水の中で、紫色の光がきらめき、そしてそれっきり、水面は静かになった。
しばらくして、ズタズタになった農民の服の一部と、そして中身が空っぽになった布袋が浮かんできた。
「可哀想に……喰われちまったな」
みなはそう言って、解散した。
一部始終を見ていた見張りの兵士も、首を振りながら引っ込んでいった。
まあ、当然の結末だ、そう思ったのだろう。
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