第9話 異変

12)


 城邑ウズドラを離れ、グレンとルビーチェは野営をした。

 そこで、ルビーチェは、大切にかかえてきた姫の腕をあらためる。


「ああ、姫様……」


 そううめいたきり、続く言葉がなかった。

 魔法の力で、腕は美しいままだった。生きたそのままに。

 だが、痛々しいことに、その爪がいくつも剥がれていた。

 逃げだそうと抵抗したのか、それとも――拷問の痕なのか。

 ルビーチェは、自分の手で、姫の指を、そっと握った。

 そして、呪文を詠唱する。

 青い光が、ルビーチェの指の隙間から漏れる。

 その手をのけたとき、爪はすべて元通りになっていた。

 桜色の美しい爪がもどっていた。


「治癒の魔法か……いや、ルビーチェ、たいしたもんじゃないか」


 ルビーチェは悲しげにわらった。


「俺の力など、たいしたことはない、こんなことをする羽目になってしまったんだからな」


 そして、また、姫の腕に目を落とした。


「せめて、これくらいはして差し上げなくては……おや?」


 ルビーチェが、不審げな声をだした。


「どうした、ルビーチェ?」

「うむ、これは……」


 ルビーチェが指さしたのは、姫の上腕の内側の部分だった。

 染みひとつなく白い、金色の産毛の生えた美しい腕は蠱惑的だったが、その一部に。

 不自然に皮膚が変化している箇所があった。

 よく見ると、六角形の透明な表皮が散在している。


「なんだ、それは」

「おかしい……まるでこれは、鱗だ」

「おいおい、姫様の腕に、鱗が生えたっていうのか?」

「こんなばかな……」


 ルビーチェにも予想外らしい。


「おまえの、魔法の副作用ではないのか?」

「いや」


 ルビーチェは否定した。


「そんな反応はない。これはなにか別のものだ」

「別の?」

「おれの魔法とは別の力だと思う」

「なんだそれは?」

「わからん、ただ」

「ただ?」

「姫の首が、穢れの谷にあることと関係しているかもしれない」

「ふうむ」


 グレンが顎をこすって言った。


「いそがにゃならんな、これは」

「ああ……そうだ」


 ルビーチェの声には焦燥の色があった。


「急いで、次の街に向かおう、次はアラハンだ」



13)


 荒れ野を逃げるシャスカ。

 ときおり、振り返りながら道を急いでいる。


「やれやれ、あのまま、あそこにいたらまずいことになっていたな。なにがどうなるのかはわからんが、それだけはまちがいない。危ないところだった。おれの直感がそう告げているんだ」


 ぶるっと震え、


「急ごう、追いつかれないように」


 そしてまた、足を速めた。

 街道を、西へと。



14)


 簒奪王アルベルトは、今、その妄執の対象であった王座に、座していた。王座の後ろの壁には、貴石のモザイクで表された、王家の紋章がある。絡み合った蔦のような紋様が円形に取り巻く中に、中央には翼、その両側に剣と、魔導師の杖が控える。それが王家の紋である。

 王座についたアルベルトは、王笏おうしゃくを片手に、王権を簒奪した自らの行動をふりかえっていた。


「まずまず、うまくいったと言えるだろう。帝国の支持も取りつけたし、反対する馬鹿者どもも、根こそぎ粛正した。まあ、残念なのは、あの娘……」


 モルーニア姫の麗しい姿、その容姿を思い浮かべた。

 初老のその顔に、好色の表情がちらりと浮かぶ。


「あれほど、強情とは……それにしても、バラバラにしても死なないとは、たまげたな。ルビーチェのやつ、とんでもない魔法をかけおってからに」


 気を取り直したように


「首だけにして、穢れの谷に棄ててやった」


 アルベルトは、崖の上から谷底に、姫の首を投げ落としたときの光景を反芻した。

 金色の髪をなびかせ、目を見開いて、口をぽかんとあけながら、首は落ちていった。

 その目は、しかし、そんな状況になっても、簒奪王の顔をするどくにらみつけていたが。


「……あとは、ルビーチェが死ねば、魔法の効力も失せる、そうすればただの骸に還るだろう。もっともその前に、谷の化け物どもに嬲られて、気が狂っているかもしれぬが、な」


 手を拍って、側近を呼ぶ。

 走り寄ってきた側近に質した。


「ゾルタンはまだ帰って来ないのか?」


 側近が首を振ると、あからさまに不機嫌な顔になった。


「ルビーチェ一人ごときに手間取りおって……」

「全力を尽くしております」


 側近がかしこまる。


「まあ、いずれにせよ時間の問題だろうが。もはや、やつの味方は、この国には一人もおらぬ」


 と、ひとりごちる。

 だが。

 その時、アルベルトを苛立たせる知らせが入ったのだ。


「ルビーチェを取り逃がしたようです」

「なんだと? ゾルタンはなにをしておったのだ!」


 怒りをみなぎらせて


「役立たずめ、しくじりには罰を与えねばならん!」

「その必要はないかと……」


 と、報告者の武官が言う。


「ゾルタンは死にました」


 報告者は淡々と続けた。


「討伐隊は全滅です。森の外れで戦闘のあとがありました。そこには全員分の武器や鎧が転がり、死骸は魔物に食い荒らされていました。ゾルタン男爵の亡きがらも、その中に」

「魔物……では、ルビーチェもそこで死んだのではないか?」


 アルベルトが思いついたように聞くが、報告者は首を振った。


「徹底的に調べましたが、ルビーチェの遺骸らしきものはみつかりませんでした。そして、気になることがひとつ」

「なんだ?」

「騎士たちの死骸には、雷魔法にやられたものもありますが、剣で切られたものもあります。むしろ、そちらの数の方が多いのです。しかも、鎧ごと切り捨てられています」

「鎧ごと斬る? ルビーチェのやつに、そんな剣の腕があったか?」


 アルベルトは、納得いかない表情を浮かべた。


「それは考えられません。どうも別のだれかが――そうとう腕の立つ者がそこにいたようです」

「何やつだ、それは!」

「わかりません……」

「むうう……」


 やがて、アルベルトの怒りをさらにかきたてる報告が入る。

 文官が駆け込んできた。


「ウズドラが襲撃されました!」


 アルベルトは思わず立ち上がった。


「敵は! 残党がまだ残っていたのか? もちろん撃退したんだろうな?」

「それが……」


 と文官が説明を始める。


「腕が――モルーニア姫の腕が奪われました。腕を警備していたものは、だれも生き残っていません」

「なにいっ!」


 アルベルト王の顔が真っ赤になる。


「ということは、ルビーチェか? そうだな? まちがいなく、やつだ……」


 王は、不安を声ににじませて聞いた。


「で、ウズドラを襲ったのはどれほどの軍勢だ? いまだルビーチェに従っているのは——」

「わかりません……」

「それほどの兵力なのか?」

「いや、むしろごく少人数ではないかと」

「ばかな……腕の警備のために、それなりの人数をひかえさせてあったはずだ。それにそもそも、ウズドラは城壁にまもられた邑だろうが」

「大人数の敵をだれもみておりません。住民にきいてもよくわからないというばかりで」

「くそっ、ふざけおって……反抗的な連中だな。民にはもうすこし見せしめが必要か」

「陛下、現場の状態から考えて、おそらく襲撃者は数人以下です」

「ありえないだろう!」

「怪しい人物が一人、当日、ウズドラに入っています。そして、襲撃のあと、消えました」

「むう……どんなやつだ?」

「巨漢です。戦士だと思われます。朝になったら、旅籠から消えていたそうです」

「それは怪しいな……よし、使いを出せ。ルビーチェとその男の手配書きを配るのだ。たぶん、やつらは、次はアラハンに現れるだろう、あそこにはモルーニアの脚が晒してあるからな……兵を配置して、待ち伏せてやろう」


 王笏のこじりを床に打ちつけ、いった。


「それで、終わりだ」

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