第8話 夜襲

11)


 その深夜。

 宿屋の一室でグレンが深く眠っている。

 ゆったりとした規則的な寝息が、ふと止まる。

 開け放してある窓から、ふわり、小さな赤い光が部屋の中に入ってくる。

 それは季節外れの光虫だった。

 グレンが、ぱちりと目を開け、赤い光に視線を向ける。

 グレンの見つめる前で、赤い光が、三回、点滅した。

 これが、準備ができた、というルビーチェからの合図だった。

 グレンが立ち上がる。

 身支度を調え、窓から顔を突き出し、辺りを見回す。

 この時刻、通りにひと気はまったくない。酔っ払いの姿もない。

 みな、外出をひかえているのかも知れない。

 グレンは、窓から飛び降りた。

 かなりの高さから、巨体が飛び降りたにもかかわらず、着地にまったく物音がしない。

 驚くべき身のこなしである。

 グレンは、ひと気のない街を走り、城壁の、ルビーチェの蛇を送り出した場所にやってきた。

 見張り台を見上げる。

 そこには、夜警の兵士の影がある。

 グレンは城壁に指をかけた。

 逞しい筋肉が盛り上がる。

 グレンは、指の力だけで、城壁の石組みの僅かな隙間を手がかりに、這い上がっていった。

 城壁の歩廊にたどりつき、夜警のいる見張り台に忍び寄る。

 夜警の兵士は、静かな夜に、ときおり、うつらうつらと頭がゆれている。

 その上、警戒しているのは、城邑の外部からの敵であり、背中は無警戒だ。

 その首に、後ろからグレンの腕が巻き付き、兵士は音もなく意識を失った。

 手早く猿ぐつわを噛ませて、身体も縛ってしまう。

 グレンは、城壁から下をのぞくと、小石をポトリ、ポトリ、ポトリと三つ落とした。

  

 ひゅうっ!

 

 風が渦巻いた。

 グレンの髪が、下からの風に吹き上げられて揺れる。

 そして、次の瞬間、グレンの目の前には、ローブを着た魔導師ルビーチェの姿が浮かぶ。

 風魔法の力で身体を押し上げたのだ。

 そのルビーチェの身体を、グレンが掴み、そして歩廊に引き込んだ。

 二人はうなずき、そして広場へと向かう。


 柵の内側で、柱を警備していた兵士は、大柄な人影が路地からぶらりと現れ、静まりかえった広場に入ってくるのをみた。

 空気が張りつめる。

 だが、男は、緊張する様子もなく、身を隠すでもなく、ふらふら歩きながら、柵に近づいてくる。

 酔っているのか?

 それでも、兵士は油断なく男を吟味する。

 でかい。いい体をしている。これは戦士だろうか。だが、見たところたいした武器は身につけていない。腰に、巨躯に不釣り合いな短刀をさげているくらいだった。

 その男は、頑丈な木柵の手前まで来てとまり、しげしげと磔刑の柱を見上げている。

 とにかく、追い払わなくては。

 兵士二人が、槍をいつでも使えるように構えながら、男の前に出る。

 柵を隔てて、男と兵士が向かい合う。

 柱のそばでは、もう二人の兵士がそれを見守っている。


「よう」


 と、男が言った。

 無造作な口調だった。


「それ以上、近づくな」


 兵士が警告する。


「お前、なにものだ」


 そして、誰何すいかした。

 男——グレンは、それには答えず


「なあ、ありゃあ、いったいなんだい?」


 と、聞き返した。


「どこかの大罪人の腕か? いや、違うな」


 そして、にやりと笑った。


「おれには、なんだか、にいじめられた、かわいそうな姫様の腕のように見えるぞ」

「おい、きさまっ!」

「無礼者!」


 グレンのからかいの言葉に、兵士二人は一歩踏み出し、槍を柵の隙間から突き出す。

 鋭くとがった槍先が、明確な殺意とともに繰り出された。

 だが


「うおっ?!」

「なんだ?!」


 兵士たちは驚愕した。

 槍が、ぴくりとも動かない。

 グレンが、その太い腕で、突き出された槍の柄を抱えこんでいた。


「こいつっ!」

「離せっ! うわっ!」


 そのまま、ぐいっとグレンが柄を引き、


 ドガッ!

「ギャッ!」

「ゲフっ!」


 二人の兵士のからだが、猛烈な力で引っ張られて、宙に浮き、その勢いのまま柵に激突した。

 ずるずるとその場にくずおれる。

 槍を持つ腕も砕け、おかしな方向にまがっていた。

 突然のことに、後ろの兵士二人は固まっている。

 グレンは、柵の木柱を両腕でつかみ、


「むうっ!」


 力をこめると、激しい音を立てて、頑丈なはずの柵がへし折れた。


「よいしょっと」


 折れた柵を蹴り飛ばす。

 そして柱に近づく。


「襲撃だーっ!」


 ようやく我に返った、残りの兵士が叫びながら、グレンに立ち向かう。

 槍を突き出して突進したが、これもあっさりグレンに掴まれてしまう。

 武器を取られまいと、その柄にしがみついたところで


「うわわわっ!」


 おどろくべきグレンの膂力。


 グレンは、長い鉄製の槍を、その端にしがみつく兵士ごと、しかも二人分同時に、ぐうっと持ち上げてしまった。


「あーっ!」


 必死で掴んで、槍から手を離さなかったのが、兵士にとってはぎゃくにまずかった。

 遠心力をつけて放り出された二人の兵士は、じたばた手足を振り回しながらふっとんで、広場の石畳に叩きつけられた。

 暴れるグレンの横を、ローブをまとった影がすばやく走り抜けた。

 ルビーチェである。

 ルビーチェは、邪魔する者のいなくなった柱に駆けよる。

 腕を見上げ、


「くうっ、姫様……」


 ルビーチェの手から、青白い閃光がほとばしる。

 バチッと音がして、腕を縛り付けていた鎖がはじけ飛んだ。

 支えるもののなくなった腕が落下する。

 その腕を、ルビーチェがやさしく受け止めて、てばやく布にくるんだ。

 ここまで広場にひと気はない。

 しかし、グレンが目を付けていた建物に動きがあった。

 灯りが揺れ、怒号が聞こえた。

 扉が大きく開き、そこから武装した騎士と兵士の一団があふれ出してきた。


「ルビーチェなのか?」

「そのでかいのは誰だ?」

「逃がすな」


 言い交わしている。

 グレンが推測したとおり、その建物は宿舎で、万一の場合に備えて、待機していたのだろう。


「捕らえろ、いや無理なら殺してもいいぞ」


 リーダーらしい騎士が指示を出し、


「おおっ!」


 一団がいっせいに、武器を振りかざして殺到してくる。


「王に逆らう不届き者だ、死んでもかまわん」

「はっ、王だって? ふざけるな!」


 騎士の言葉にルビーチェの身体に怒りが膨れ上がる。


「神々の怒りよ天降あもり来れ、地獄の雷撃サンダーボルト! 焼き尽くせ!」


 詠唱とともに、無数の紫色の雷鳴が、雲ひとつ無い夜空から生み出され、広場を荒れ狂った。


「ぎゃあああああっ!」


 兵士たちはばたばたと倒れ、痙攣する。

 肉の焼ける臭い、煙が上がり、柵が燃え出し、広場には炎が渦巻いた。

 

「やるなあ、さすが大魔導師だ」


 グレンはにやりと笑い、磔刑の柱に近づくと、片手でそれを地面から引き抜いた。


「ほらよっ! これでも喰らいやがれっ!」


 引き抜いた、5、6メイグはあろうかという柱を、頭の上でぐるぐると回して勢いをつけ、放り投げる。

 うなりを立てて回転する鉄の柱が、まったく勢いを落とさないまま、雷撃を逃れてかろうじて立っていた騎士たち、兵士たちの中に飛びこんだ。

 ひとたまりも無く、立っていた者は全員がふきとぶ。

 その中には、命令を出していた騎士も含まれていた。鉄の柱が騎士の上半身を消し飛ばし、下半身だけになった鎧が、ガシャンと倒れた。

 柱が石畳を転がって止まったとき、もはや、その場に動ける者はいなかった。


「こんなもんでいいだろ、さあ、いくか、ルビーチェ」

「ああ、ありがとうな、グレン」


 二人は闇にまぎれて撤退し、城邑の外に消えていった。

 

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