第4話 姫にかけられた魔法

6)


「ひどい話なんだよ」


 と、商人は言った。

 あたりをうかがうように確認し、そしてようやく口にしたが、それでも声は低かった。


「謀反だ。王様の伯父アルベルト伯が、王様を殺して、王家を乗っ取ったんだ」

「そうか……しかし、それとあの腕は?」

「あれは」


 商人は、痛ましい、という顔をして言った。


「あれは、姫様の腕だ。モルーニア姫、まだ若い、王様の娘だよ。姫様を産んですぐ、王妃様は亡くなったから、王家の一粒種だ。器量のいい、優しい姫様だったよ」

「その姫は……殺されたのか」

「まあ、そういっても間違いではないな……」


 答える商人の顔には、憤りの色があった。


「簒奪者アルベルト伯は、姫様と婚姻を結ぶつもりだったようだ。そうすれば、王位を襲ってもかたちはつくから。だが」

「その姫様は、拒んだんだな」

「当然だ。自分の父を殺した相手を受け入れるわけがない」

「そりゃそうだ」

「もともと以前からアルベルト伯は姫様に懸想していたという噂もある。王位を簒奪し、姫様を娶れば、一挙両得と思ったのかもしれないが」

「虫のいい話だな、それは」

「自分の妻になれば命は助ける、と提案した。姫様は決して受け入れなかった。気丈にもアルベルト伯を罵った。それでとうとう伯は、姫を死罪にすることにしたんだ」

「それで、あれか」

「そうだ。懸想していただけに怒りも大きかったんだな、残虐なやり方をとった——自分の権力が揺るがないことを民に見せつけるつもりもあったんだろう、刑は、この領の主な城邑三つを順にまわりながら、行われたんだ」

「おいおい、処刑ってそんなになん度もできるものなのかよ」

「だからひどい話なんだ」


 と商人はいって、また酒をぐいと飲んだ。


「まず、この町だ。あの広場で、姫様を晒し者にした後で、片腕を切り落とした」

「ひでえな……でも、それで死んじまうだろう、普通は」

「うむ。当初の計画では、最低の治癒魔法はかけるにせよ、どうせ長くは持たんと誰もが考えていた。でも、死んだら死んだで、死骸を引きずっていって同じことを続けるつもりだったようだ」

「それは……ひでえな……思うようにならず、よっぽど姫様に腹を立てたんだなあ」

「ああ、理不尽な話だ」


 シャースカはそこで、おかしな点に気づく。


「だが、あの腕——」


 切り落とされたはずなのに、瑞々しく、傷はあるものの腐敗の兆候はなかった。


「そうだ。不思議なことが起こった。姫様は死ななかったんだ」

「死ななかった?」

「片腕を切り落とされ、姫様は苦痛の叫びを上げた。ところが、血が流れないんだ」

「いや、そんなことがあるのかね」

「見ていたものはみな、我が目を疑ったよ。姫様の美しい腕の切り口から骨や肉がのぞいているのに、血が一滴も出てこない。処刑人も唖然としていた」

「理由はわかったのか?」

「おそらく、魔法だ」

「ということは、姫様は魔導師なのか?」

「いや、違う」


 商人は首を横に振る。


「おそらく、ルビーチェ師だ。ルビーチェ師は、王室付きの大魔導師で、忠義の者だ。彼が、姫様を守るために、何らかの魔法をかけていたんだと思う」

「大魔導師ルビーチェか。でも、そんなすごい魔導師がいて、どうしてこんなことになってしまったんだ? そいつも謀反でやられちまったのか?」

「彼がいれば、王室はもう少し抵抗ができたはずだ。謀反を抑えることもできたかもしれない、でもルビーチェはこの領にいなかったんだ、その時」

「だめじゃないか。よりにもよって、なんでそんな大事な時に」

「王命を受けて、外交的な使いとして離れた領に行っていたんだ。どうも彼がこの領を離れなければならなかったことも、アルベルト伯のはかりごとの一部だったようだな。あとから分かったことだが。ルビーチェ師も、多分、危険を予知していたんだな、それでせめて姫様に守りの魔法をかけておいたんだろう」

「そうなのか……」

「ルビーチェの魔法で、姫様は即死せずにすんだ。でも、それは姫様の苦痛を引き延ばしただけかもしれん……姫様は生きたまま、体をバラバラにされ、悲鳴を上げ、最後は首だけになり、それでも死ななかった」

「なんてこった……」


 シャースカはうめいた。


「最後に、首だけになった姫様は、『穢れの谷』に捨てられたんだ」

「穢れの谷……それはどんなところなんだ」

「この領の西の果てにある山脈に、深く分け入った谷間だ。強い呪いがかかっていて、想像もつかない化け物がうろついていると言われる場所だ。いくらルビーチェの魔法が強くても、そんなところに放りこまれたらただじゃ済まない。死なない姫様を持て余し、うまくいったら、魔獣がかたをつけてくれるとでも思ったんだろうな」


 そんな場所に、首だけになって、それでも死なないで意識があったとしたら、一体どんな苦痛に苛まれなければならないのか。

 シャースカは、慄然とした。


「そうだ、そのルビーチェは今どうなってるんだ?」

「わからない……」


 商人は眉を寄せた。


「おそらく、ここで何が起きたのか、その情報は伝わっていると思う。今は、この領に向かって駆けつけているところか。だが、もう遅い。王は死んだ。姫はバラバラにされて、谷に捨てられている。簒奪者アルベルト伯の権力は固められて、兵士たちが、国境でルビーチェを待ち構えているんだ。今さら、一人戻ってきてもルビーチェ師に何ができるか……」

「どこかに逃げるしかないのかな、どこか遠くへ」


 シャースカはつぶやいた。


(この俺のように)


 だが、アジルは言った。


「いや、彼は逃げないだろうな。かならず戻ってくる」

「もどってきても、むざむざ殺されるだけだろう」

「それでも、戻ってくるだろうな、彼は」


 アジルは遠い目をして、言った。


「姫様のために……」

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