第3話 焚き火(1)

5)


 焚き火が燃えている。

 焚き火の上には、大きな鍋がかけられ、ぐつぐつと煮え、食欲をそそるような匂いがただよう。

 その匂いがとどいたのか、魔導師は、身じろぎし、うめいて目を開けた。

 目に入る空は、暗くなりかかっていた。

 どれほど気を失っていたのか。

 そして、自分が、枯れ草や枝で作った寝床に寝かされていることに気がつく。


「おう、気がついたかい」


 と、声がかかる。


「うっ」


 あちこちの痛みに耐えながら体を起こすと、焚き火の炎の向こうからこちらを見ている大きな影。

 いかつい顔だが、その目は優しい。


「ここは?」


 大男は、魔導師の後ろを顎でしゃくった。

 魔導師が振り返ると、少し先が崖になっていた。


「まさか……?」


 魔導師が崖までにじり寄る。


「おい、気をつけろよ。まだふらついているじゃないか」


 縁まで行って、崖の下を見下ろすと、切り立った断崖の直下、木立の途切れた空き地に、暗がりでかすかに見えるのは、放り出された剣、切断された鎧、そして殪された騎士たちの死骸である。

 大勢のなにかが、そのまわりで動き回っていた。

 威嚇するようなうなり声、牙が肉と骨を噛み砕く音も聞こえてくる。

 森から出てきた小物の魔物たちが、奪い合いをしながら、ガツガツと騎士たちの骸を漁っているようだ。


「おい、まさかこの崖を登ったのか? それも私を背負って」


 魔導師が唖然とした顔でふりかえる。


「まあな。あんた、見かけより重かったぞ」


 と、大男はこともなげに言う。

 魔導師は頭を振った。


「驚くばかりだ……あなたは、たいへんな手だれだな。あの連中を、あっという間に、一人で全員片付けてしまった。まあ、ゾルタンは、武の技は大したことはないが、他の連中は、みな、一騎当千の武人たちだぞ」

「ゾルタン?」

「追っ手を指揮していた、あの口の回る奴だよ、貴族だ」

「ああ、あいつか。みるからに傲岸そうなやつだったが、やっぱり貴族だったか。あいつも斬っちまったが、まずかったか?」

「いや」


 魔導師が首を振る。


「構わない。むしろ、よくやってくれたと言いたい。あいつは、私が絶対に許せない人間の一人だったから」

「それはよかった」


 大男は、ほっとした声を出した。


「どうも、俺は加減ができない。いつもやりすぎるんだよ」


 さもありなん、あの鬼神のような動きを見れば宜なるかな、だ。

 そう魔導師は思った。

 しかし、不思議とこの大男からは脅威を感じず、むしろ親しみのようなものを覚えてしまうのが、よくわからない。


「あなたはさぞや名のある——いや、まず礼を言わなければな」


 魔導師は威儀を正し、深く頭を下げた。


「私の命を救ってくれたこと、心より礼を言う」


 そして続けた。


「私のこの命には、もう、大した価値はないが、私には、まだ、どうしてもやらねばならないことがあるのだ。あなたが助けてくれなければ、私は——」

「ふうむ?」


 大男は言う。


「あんた、随分な訳ありのようだな」


 魔導師は暗い顔をして、唇を噛んだ。

 そして、事情を話し始めた。

 魔導師は、改めて大男に名乗った。


「私の名は、ルビーチェ。この国の王室付きの魔導師だ。いや、もはや、だったというべきかな」

「ふむ? 王室付きの魔導師とは、たいそうな身分じゃないか。そんなあんたに、あんなふうに追っ手がかかるとは、何があったのだ?」


 魔導師の目に、怒りの炎が燃えた。


「王位が簒奪されたのだ。私が王命で他領に赴いている間に。王の伯父アルベルトが謀反を起こし、王を弑して、権力を奪ってしまった」

「なるほど、ならば姫様というのは——」


 魔導師が驚いて目を見開き


「姫? どうしてそれを? なにを知っている?」


 我を忘れそうになる魔導師に、大男が、静かに言った。


「いや、あんた、自分で言ったじゃないか、『姫様、すまない』ってな」

「ああ……ああ、そうだったか……」


 その言葉に、魔導師ルビーチェは、がっくりとうなだれた。


「すべて、私の失敗なんだ……」

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