第2話 追いつめられた魔導師

3)


 ――いいかげん、あきらめてほしいもんだな。

   まあ、あいつの気持ちはわからんでもないが……。


 と、ぼやきつつ、ばさり、ばさり、鬱蒼と茂った邪魔な枝を軽々と打ち払いながら、森の中を進んでいる男がいた。

 見上げるばかりの大男だ。

 男の名を、グレンと言った。

 筋肉の盛り上がった逞しい身体には、大男にありがちないびつさはなく、均衡がとれている。その剥き出しの腕や、はだけた胸には、いくつもの大きな傷跡が残り、彼が歴戦の勇者であることを物語っている。

 だが、その顔つきは意外に優しく、なんというか、人なつっこい印象を与える。見る者が、その戦士としての見かけに惑わされず、虚心にながめれば、なぜか安心してしまうような、そんな顔をしていた。

 さぞや優れた戦士であろうと思われる大男であるが、身につけている武器は、その巨躯にふつりあいな小刀のみであった。

 いま彼は、その小刀を手に、行く手を阻む密生した木立を切り開いているのだった。

 と、戦士としての彼の耳が、森の奥から、木々の合間を抜けてくる剣呑な物音を聞きつけた。


「逃がすな!」

「追いつめろ!


 複数の男たちが怒声を上げ、呼びあっている。


 ドウン! ドウン! ドウン!


 立て続けに何かが爆ぜるような音。


「ぎゃあーっ」


 苦痛に充ちた悲鳴が上がる。


「うえっ、まだ打てるのか、火炎弾ファイアボールを?」


 驚愕した声。


「慌てるな、もう魔力が尽きるはずだ」


 冷静な声が続く。


「よし、囲め、退路はもうない」


 緊迫した状況に、グレンの身体が俊敏に動き出した。

 疾い。

 疾い。

 茂る枝や、絡み合う蔦をものともせず、グレンは走った。

 まるで獰猛な魔物が突進するかのように、声のする方に駆けていく。 



4)


「あきらめろ、ルビーチェ、もうどうにもならぬ」


 ようやく状況が、グレンにも見えた。

 木立の先は、崖だった。

 切り立った断崖が、壁のように高くそそりたっている。急峻な岩肌には手がかりもなく、ここを登ることは常人にはできないだろう。

 その岩肌を背にした一人の男。

 やせぎすだが、眼光はするどく、その顔には強い意志が表れていた。魔導師のマントを身にまとっていた。マントはかなり位階の高そうな意匠であるが、今、それは血と泥に汚れ、ぼろぼろになっている。

 男は、崖を背に追いつめられながらも、杖を構え、追っ手を威嚇していた。

 その男を、これは魔法を警戒しているのであろう、距離をとって半円形に包囲しているのは、鎧を着け、武器を手にした十数人の騎士であった。

 こちらも、そのうちの何人かは傷を負い、血を流し、魔導師の激しい抵抗を思わせる状態だ。

 騎士を指揮していると思われる、身分の高そうな一人、おそらく貴族だろうが、今、魔導師に降伏を呼びかけたところだった。


「抵抗しても、むだなことだ。もはや大勢は決したのだ」


 貴族があざけるように言った。


「お前のいない間に、な——」


 魔導師の目に、怒りの色が充ちた。


「黙れ! おれは許さぬ、なにがあってもきさまらの——」


 魔導師がその身に残された渾身の魔力をこめて杖を振り、


 バリバリバリバリ!


 無詠唱で、杖の先から、紫色の雷電がほとばしった。


「ゲッ!」

「ギャッ!」


 その高電圧に大気が電離するなか、鞭のように荒れ狂った雷電になぎ倒され、数人の騎士が棒のように倒れた。

 びくびく痙攣する倒れた身体から白い煙が立ちのぼり、肉の焼ける臭いがただよう。

 だが、それが魔導師の最後の魔力だったようだ。

 魔導師はがっくりと膝をつく。


「今だ、やれっ!」


 号令が下り、膝をついた魔導師に、剣を構えた騎士たちが殺到する。


「無念だ……すまない、姫様……おれが……」


 失われた魔力に、もはや身体を支えることもできず、地に倒れふしながら、魔導師が絞り出すようにうめいた。その目に浮かぶのは涙か。


「手こずらせおって。だが、ここまでだ」


 貴族がほくそ笑んだそのとき


「おおおおおおおおおおおおっ!」


 魔獣の咆吼のような雄叫びが轟いた。

 全員が、ぎょっとして動きを止め、声のした方に目を向ける。

 颶風のようだった。

 見上げるばかりの大男が、魂を揺さぶられるような咆吼を上げながら、木立を突き抜け突進してくるのを目にして、騎士たちは凍りついた。

 その隙に、大男の太い腕がうなり、いちばん近くにいた騎士が吹き飛ばされた。

 騎士の身体は木の幹に叩きつけられ、背骨がくの字に折れ曲がって、もう動かない。


「おおおおおおおおおおおおっ!」


 また一人、騎士が吹き飛ぶ。

 突然の衝撃から立ち直り、残りの騎士たちが剣を構えて、ようやく大男に向き直ったときには、大男の両手には、たたきのめした二人の騎士からうばった剣が握られている。


「何者だ、お前は!」


 貴族がうろたえて叫んだが、大男は答えず、剣をかざしながら、騎士たちの中に飛びこんでくる。


 ザグリ!

 ドズッ!

 ゼグッ!


 驚くべき太刀風の速さ、そしてそこに込められた力、十数人いた騎士は、あっという間にすべて切り斃された。大男の豪剣の前に、鎧はなんの役にも立たなかった。全員が一太刀で両断され、生き残りは一人もいない。

 そこになんの躊躇いも遠慮もなく、貴族かも知れない身分の高そうな男も真っ二つにされて、地面を赤く染めた。

 累々と転がる騎士たちの死骸。

 もはや、その場に生きているのは、大男——グレンと、魔導師の二人のみ。


「むう? ちょっとやりすぎちまったか?」


 グレンは、ぽいと剣を放り出し、頭をかいた。

 そして、仰向けに倒れたまま、ぐったりしている魔導師に歩み寄る。

 その顔をのぞきこんで、


「おい、あんた、ルビーチェとかいったか、大丈夫か?」


 と呼びかけたが、すぐに自分で


「まあ、それで大丈夫なわけないよな」


 そう続けて、笑った。

 魔導師も、おもわずつられて微笑み、そして気を失った。

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