鏖殺の剣の物語2 美姫の檻
かつエッグ
第1話 磔刑の白い腕
――その
なんぴとも、これに抗すること能わず
人も魔も一刀のもとに切り捨て
その前に立つものすべてを悉く滅ぼす、
1)
王国の辺境に位置する、貴族領があった。
険しい山と荒れ野の多いその領地には、とびとびにいつかの城邑があり、人びとはその中で暮らしている。盗賊や魔物が徘徊する危険な世界から身を護るためである。
そんな、ひとつの城邑の中央広場。
物々しく、厳重な柵で囲まれた中に、一本の柱が据え付けられていた。
磔刑の柱である。
なんども罪人を磔にし、苦痛に苦しむその姿を晒し者にしてきたその柱には、流された血がこびりつき、赤黒く染まっている。この柱の上で流された血の中には、無辜の者たちのものも多くあったのは、民のよく知るところだ。
今、その柱には、異様なものが吊り下げられていた。
頑丈な鉄の鎖によって、柱に縛り付けられたそれは。
一本の、腕だったのだ。
上腕から先の、白く、たおやかな女性の片腕。
肩の部分から切り落とされたと思われる、女性の腕が、手首の位置で、柱に縛り付けられていた。
腕の付け根、鋭い刃によってすぱりと切り離されたその切り口からは、白い骨がのぞいていた。
細く形の良い指が、何かを訴えるかのような形のまま固まっている。
本来は美しかったのであろう指の爪は、剥がされたようにほとんど残っていなかった。
無残な光景であった。
不思議なことに、そんなふうに切り落とされ、晒されているにもかかわらず、腕には腐敗の兆候は全くみられない。
まるで今しがた切断されたばかりのように見えた。
四人の槍を立てた兵士が、柵には配置され、辺りを睨みすえている。
町の人びとは、柵を遠巻きにして、こわごわと様子をうかがっていた。
「うわっ、なんだ、これは?」
その異様な光景をみて、おもわず声をあげた男がいた。
中背で、どちらかと言えば痩せ気味のその男は、それなりにきちんとした身なりをしていた。
服装の質もそう悪くはない。冬でもないのに、襟を高く立てているのが、ややそぐわないが。
どことなく育ちの良さそうな顔つきではあるが、これという特徴がない。
年齢もよくわからない。子供ではなく、年寄りでもないというだけだ。
今日会って話をしても、翌日にはもう顔が思い出せない、そんな希薄な印象の男だった。
男のすっとんきょうな声を耳にして、兵士が鋭い視線を向けた。
「しっ、あなた、よけいなことを言うもんじゃないですよ」
男の横にいた、人の良さそうな中年の男が、たしなめた。
首をひねる男に、
「ああ、あんた、この町のものじゃないね。ここではまずいから……」
そういって、男の手を引き、広場から離れる。
「あ、ああ……」
男は大人しくついていく。
その姿が見えなくなるまで、兵士は刺すような視線を外さなかったが、二人が路地に消えると、また兵士は正面を向いて警戒を続けるのだった。
2)
少し後、二人は、路地にある小さな食堂の奥で、向かい合って卓についていた。
夜には居酒屋となるのだろう、その店に、日中の今、客はほとんどいない。
それでも、中年の男は、あたりを油断なく見回して、聞き耳をたてるものがいないことを確認していた。
二人の前に、泡立つ酒のはいった椀と、つまみの干物をおいて、店の主人はまた厨房に引っ込む。
ふう、と息を吐いて、中年の男は酒を飲んだ。
男も、それにつられて、椀の酒を喉に流し込む。
ぬるい濁り酒が、はじけながら喉を下っていった。
「まったく、ひどい話だ……やりきれない」
と、中年の男が吐き捨てた。
怪訝な顔をする男に、中年の男が聞いた。
「あんた、ずいぶん遠くから来なさったようだね、なにも聞いてないのか」
「ああ……」
と、男が答える。
「この土地に来たばかりなんだ。前は、ザハリにいたんだが」
「ザハリだって」
中年の男が驚いて言った。
「ザハリといったら、魔の森で有名なあそこだろう、別の領じゃないか……こりゃあまた、ずいぶん遠くからはるばると……なんのためにこんなところまで。見たところ、行商人でもなさそうだが……」
「あ……うん、まあ」
と男は口ごもった。
「そういや、まだおたがい名乗ってもいなかったな、わたしはアジルっていうんだ。この町で小売商をしている。あんた、名前は?」
「おれか? おれは……」
男はしばらくだまった。
いや、言いたくないならいい、そう中年の男が言おうとしたところで
「おれは……シャスカ、だ」
へんなやつだな、と中年の男は思った。
言いたくないというより、なんだか名を思い出すのに時間がかかっていた、そんなふうだったが、自分の名前を思い出すのに手間取るなんて、そんなばかな話はない。
「そうか、あんた、シャスカか。まあ、よろしくな」
「ああ、まあ、おれはすぐにもこの町から出て行くけど」
「そうなのか、なにか用事でもあるのかい」
「それは……」
シャスカは、複雑な表情を浮かべた。
それは怯えと、哀しみと、そして諦めのようなものがまじった、いわくいいがたいものだった。
「おれは、逃げないといけないんだよ」
「逃げる? シャスカ、あんた」
アジルは、思わず、もういちど、シャスカを詮索するように上から下までみた。
犯罪者か? しかしこの男は、とても悪人には思えないが。
荒事なんかできそうにない。
すると、逃亡奴隷だろうか。
そう考えると、襟を立て首を隠しているのも怪しい。
そこに奴隷印があるのでは……。
「いや、おれは別に罪を犯して逃げているわけじゃないよ」
と、アジルの考えを読んだようにシャスカが答えた。
「お尋ね者じゃないから安心してくれ」
「そうか……じゃあ、お前ひょっとして」
「ちがう、逃亡奴隷でもないから」
「そうなのかい」
「信じてもらえないとは思うが……」
シャスカは、苦笑いをうかべて言った。
「とにかく、おれは逃げないといけないんだ、逃げないとたいへんなことになる」
「たいへんなことって……まさか、殺されたりするのか?」
「わからない」
「わからないって……そもそも、シャスカ、あんたを追いかけているのは、人なのか、ひょっとして魔なのか?」
「わからないんだよ……でもとにかく逃げないとまずいのはわかるんだ、だからザハリからここまで来た。でもまだ足りない。もっともっと遠くにいくしかないんだ……」
アジルはあっけにとられた。
こちらこそ、なにを言われているのかさっぱりわからない。
言葉を失っていると、シャスカが、
「それより、あの吊された女の腕がなんなのか、教えてくれよ」
といった。
「いわくがありそうだ。なんだか、あの綺麗な腕の持ち主は、身分が高そうな気がするんだが……」
「ああ、そうだったな」
アジルは、酒をお代わりして、ぐいと飲み干して言った。
「……ひどい、話なんだよ」
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