第11話 波乱とも言えない波乱

 物がなくなる…普通ならヒロインが悪役令嬢にいじめられる過程で起こることだとボクは思っていた。

 悪役令嬢ポジションのボクがこうなるとは……?とはいえ、ボクのポジションは完全に悪役令嬢とはかけ離れているのはわかっている。

 どちらかといえば、「総愛され」

 自分で言うのもなんだけど。

 そして、攻め様からの「溺愛」

 これも自分で言っていて恥ずかしいけど。


 それから、ヒロインのリリールルーとの関係もとても良好だ。どちらかというと師弟関係に近いものを感じる。

 だから、そこに恋愛感情は全くないと言い切れるし、レオン様を筆頭とした攻略対象達との恋愛も全くない。それどころか、彼らはこちらが心配するほど相手の影がない。

 特に兄二人に関しては、おそらく長兄のアルバス兄さんが家を継ぐことになるのだろうけど、婚約者すらいない。

 貴族、まして筆頭公爵家と言われるセフィロニス家の男子が婚約もまだというのは本当はおかしいのだけど……

 兄二人いわく「ユリウス以上の人間でないと、家族になる心になれない」のだそうで……いや、貴族だからね。政略結婚視野に入れていこう?

 あと、ボク以上の人間は五万といるからね?

 そう言っても多分聞いてないんだろうな……


「レオン様、この体勢は流石に恥ずかしいです」

「……それで?」

 いつものサロン。しかしサロンにいるのはボクとレオン様だけ。

 さらには僕はソファに座ったレオン様の膝の上に対面になるように座らされていた。

 顔が近い上にがっちりと腰を抱きしめられているために逃げられない。

 その上で、レオン様は不機嫌だった。不機嫌というよりも怒っている。


 レオン様の従者であるイルドはドアの外にいて、誰も入らないように見張っているらしい。


「いつから、ユリウスの物がなくなるようになったんだ?あれが最初ではないだろう?」

 あれ、というのはつい先ほど。レオン様が僕のペンを借りようとして何も入っていないことに気がついた時のこと。


 確かにその前から、「あれ?」と思うことはあった。なくなるのはペンと栞。ハンカチも無くなったことがあるが、それくらいで、悪意らしい悪意も感じられなかったので、そのままにしてしまった。

 ペンはハガルの商会から買い足していたし、栞はなくてもそうは困らない。

 ただ栞は庭の綺麗な花を押し花にした単純なものではある。男が持つにはあれだが、ターニャや母が本を多読するボクにと作ってくれたものだ。大量に作ってくれているものではあるが、実はもらうときに一つ一つ花や作っているときの状況の説明があるので、地味に思い入れがあるものでもあった。


「……一番最初にあれ?と思ったのは、試験が終わって2〜3日した頃です」

「なぜ言わなかった?」

「困っていたのかな?と。机の上にあるのを見て、咄嗟に借りてそのまま返しそびれているのかな?と思ったのです」

「しかし、立て続けに無くなったのだろう?」

「……はい……」


 どこかで言わなければいけないと思いながら、言うタイミングを逃していたのは自覚している。

「ユリウス……俺は怒っているわけじゃない。ただ、言って欲しかった。愛しい婚約者を助けたいと思うのはわがままだろうか?」

「いえ……流石に言わなければいけないとは思っていたのですが、すみません」

 普段は見上げているレオン様がふっと上目遣いでボクを見つめる。美形の上目遣いにウッと言葉が詰まりそうになりながらも、ボクは謝るしかできなかった。


「ふぅ……ユリウスだしな。仕方ない……」

 そう言って、ぎゅっとボクの腰を抱きしめ、肩口に額をスリっと擦り付けた。

 何か、言ったような気がしたけど、レオン様の声はくぐもって聞き取れなかった。


 それからのレオン様の対応は早かった。兄たちもこれには「これはれっきとした窃盗だぞ」と怒り心頭だった。

「誰のでも盗んでいいということではありませんが、流石に相手がユリウス様ではタチが悪すぎますね。これでは王室やセフィロニス公爵家へ喧嘩を売っているととられても仕方のない案件です」

 そうしれっと怖いことを言ったのはイルドだった。学園内の不祥事は学園内でということで間違いはないのだが、相手が相手である。ボクがぼんやりしていたとしても周りはそうは思わない。

 ボクが公爵子息であり、王太子婚約者であるという点が問題であり、さらにはそのボクが両家にとんでもなく溺愛されている存在であるということもことを大きくするには十分であった。この部分に関しては自分で言っていて恥ずかしくなると再三伝えたい。


「そんなことが!?」

 試験が終わったと言っても、真面目なリリールルーはサロンへやってきて夏の長期休暇前の舞踏会に向けて最後のマナーの追い込みをボクと行っていた。

 そんな中、レオン様達が剣呑な雰囲気なものだから、ビクビクと肩をすくめてしまっていたので、ことの次第を話したのだ。

 ちなみに当事者であるボクが外野のポジションになっているのは何故かというと、「ユリウスは優しいから」なのだそうだ。

 優しいというか内気なだけなんだけど、と首を傾げていると、イルドがため息をついた。

「あの方々はユリウス様の髪の毛一本も誰にも与えたくないような方々なのですよ。まあ、同意はしますが」

 同意しちゃうんだなぁとイルドを見上げると、その反対側でリリールルーが同意を示すかのように首を縦に振っていた。赤べこかな?


 気を取り直したところで、ふと思い出したことがあった。

「そういえば、リリールルーは長期休暇前の舞踏会、ドレスやエスコートする人は大丈夫?マナーもダンスも上達しているからそこは問題ないけど」

 その言葉にリリールルーは悲しそうに微笑んだ。

 光の少女というだけで貴族階級が通う学園に特待生で入ったはいいけど、それで親の懐が潤うはずはない。

 これがちゃんとシナリオ通りなら、彼女の卒業後の進路は攻略対象との結婚なはずだ。そうでなくても、彼女の能力なら魔術師団などに入れるだろう。

 しかし、今はまだ学生で、学校内のものは特待生だから優遇されるがドレスやパートナーは自分で用意しなければならない。

 もちろん欠席するという選択肢もあるが、ここまでマナーもダンスも頑張っているのにお金を理由に披露する場を失わせるのもボクには躊躇われた。


「……決まってない?」

 俯いてしまったリリールルーにボクは殊更優しく問いかける。

 するとリリールルーは躊躇いがちに頷いた。

「そっかぁ……」

 ボクの持ち物紛失事件はレオン様や兄さん達がなんとかしてくれるだろうから、こっちはボクができることないかな……

「あ、でも、大丈夫です……私みたいな平民が舞踏会に出られると思ってないので……ユリウス様方にこうして貴族のマナーを教えてもらえているのが奇跡みたいなものなのです。ですから、これで私は十分なのです」

 小さく首を振って、思いを断ち切るように微笑むリリールルーに、ボクは尚更諦めてほしくなくなってしまった。

 舞踏会はこの世界の女の子の憧れなんじゃないかな?

 本来のシナリオならレオン様や兄さんがきっとドレスを贈って、エスコートもするんだろう。でも、今の状況だと……

「ねえ、ボクはリリールルーの本音を知りたい。もし、お金とか身分とかの心配をしているなら、その心配が全て解決するとして、リリールルーは舞踏会出たい?それでも出たくない?」

 「え?」とオレンジ色の瞳が大きく見開く。そして、

「……出たいです……」

 小さく躊躇いがちにそれでも自分のデビュタントの瞬間を想像したのか、ほんのり頬を紅潮させて頷いた。

 ボクはその言葉に嬉しくなってしまって、思わず手を握ってしまった。

「うん、じゃあ、出よう!大丈夫。だってここまで頑張ったのだから、その成果をお披露目しよう!」

「え?あ、はい!」

 びっくりしたように、それでも花が綻ぶようにリリールルーが笑ったのを見て、やっぱりヒロインなんだなとどこか納得する自分がいた。


 それをレオン様達がじっと見ていたわけだけど、ボクは気がついていなかった。


 リリールルーのドレスは流石に自分ではどうにもできなかったので、ターニャと母に相談して、時間もなかったので既製品を手直しする形で準備した。

 母はリリールルーを着飾るのが楽しかったようだ。

「ユリウスは可愛いけど、流石に女の子のように着飾ることはできないでしょ」

 そういうことらしい。よかった、女の子だったらできたのにって後悔されていなくて。


 正ヒロインだけあって、とても可愛らしく仕上がった。髪も結い上げ、ほんのりと化粧を施す。

 彼女の健康的な明るさと聡明さと謙虚さが表れているような愛らしさだった。

 思わず「ほぅ」と見つめていると、ターニャが隣でこそっと耳打ちをした。

「坊っちゃまは殿下の婚約者様なのですからね、惚れてはダメですよ」

 それに対してボクは手を横に振る。

「違うよ。なんていうか、妹とか姪っ子の成長を見守っている感じっていうのかな?」

 実際のところ、新人の子が独り立ちをしていくような感慨深さだったのだが、そんなことは言えない。十五歳でも中身は二十代後半の陰キャだなんて。

「それなら良いですが」

 何か含みのある言い方だったが、まあ納得してくれたからいいかと思う。


 パートナーに関しては、兄二人に相談した。これはレオン様に相談してはいけない気がしたのだ。

 そうしたところ、アルバス兄さんの一声で決まった。

「クロードなら問題ないだろ?」

 クロードに声をかけると、アルバス兄さんの頼みだからと二つ返事で了承してくれた。いや、うん……それでいいの?


 そういうわけで、リリールルーの舞踏会デビュタントの準備は整ったのだ。


 しかし、ボクの方、つまり持ち物紛失事件の方は解決していなかった上、ついにレオン様の逆鱗に触れる出来事が起きてしまった。


 いや、レオン様の逆鱗に触れるっていうのもおかしいんだけどね。


「……あ、やっぱりない……」

 油断した。

 あれからボク用のペンは追跡魔法が付与されたものをハガルに注文しエルドニス兄さんが付与を手伝って作っていた。しかし、それが出来上がるのに少しだけ時間がかかっていた。

 その間にもペンは紛失していて、ボクは大切にしていた父からの贈り物のペンを仕方なく今日は持っていていたのだ。

 気をつけて制服の内ポケットに入れていたのに、ほんの少ししまい忘れて席を立ってしまった隙になくなっていた。


 流石にこれにはボクでもショックを受けた。自分の不注意とはいえ、貴族階級が通う由緒正しい学園の中にこんなに簡単に人のものを取る人がいるのだと、改めてこれは由々しき事態なのだと、被害者はボクだけだらと悠長に構えていた自分の横面を叩かれたような衝撃を受けた。


「ユリウス?」

「……あ……レオン様……お父様にもらったペンが……」

「盗まれたのか!?」

 その声にイルドやハガル、クロードも反応する。

「ユリウス、大丈夫だ。俺が見つけてやる」

 その目は獲物を狩る王者のものだったとのちにイルドは語る。


「ふ〜ん……で、殿下は断罪の場を決めたのですね?」

「ああ、そのためにはエルドニスに犯人探しを任せたい。ユリウスの残滓を辿るくらいできるだろ?」

「……私をなんだと思っているのですか?そんな魔法普通はありませんよ。まあ、できますが」

 できるんだ……

 アルバス兄さんは声が大きいのと実直が過ぎて計画が無になる恐れがあるというので、曲者であるエルドニス兄さんだけを呼び出し、レオン様は含みのある笑みを浮かべた。

 レオン様の中ではほぼ計画の流れは決まっているのだろう。ただ、ボクは言わないだけで。

「レオン様?何をなさるつもりですか?」

「ユリウス、心配はいらない。的確に逃げ道を塞いで獲物を捕まえるだけだよ」

 獲物って言った。

 そのレオン様に同意を示すように、エルドニス兄さんも神妙に頷く。

 あ、獲物なんだ。


「そのためにユリウスには少しだけ力を貸してほしい」

「もちろん、ボクが当事者だからいくらでも貸すよ?」

 その言葉にエルドニス兄さんは微笑んで、ポケットから透明な石を取り出した。クリスタルかな?

「うん、じゃあ、これにユリウスの魔力を込めてもらってもいい?ユリウス特有の闇の魔力をね。少しでいいから」

 手渡され、言われるままに石に魔力を込める。微々たるものでもいいんだろう。何をするかわからなかったけど、そうするのが解決への道ならそうする。


 エルドニス兄さんに返すと、それを兄さんは粉砕した。キラキラと粉になって空に舞う。

 そのキラキラの粉はそのまま窓の隙間をすり抜けて意思を持つかのように飛んでいってしまった。


「これでしばらくお待ちを」

「ああ、ではわかったことはまとめておいてくれ。決戦は舞踏会だ。父王にも許可は取ってある」

 ……そういうことか。これが断罪イベントになるんだ。

 え!?しょぼっ。ペン紛失が断罪のって……いや、違う、レオン様達はこれを王家と公爵家への謀反と位置付けたんだ。陛下にも許可どりしてあるんだ。この舞踏会は学園の集まりなので最高責任者は学園長でもある陛下になる。だからレオン様はちゃんと段取りをつけて、この舞踏会で不穏因子を排除しようとしているんだ。


 しかし、なんでペン?しおりもタオルもあったけど、でも、ペンであることが多かったな。なんでだろう?


 そんなわけで、本来ならこれが終わったら長期休暇というウキウキとした気分で迎えているはずの舞踏会を、なんともいえない気持ちで迎えてしまったのだ。


 我が家で母の号令の元、ターニャ達メイドに着飾られていくリリールルーは衣装合わせをした時よりも肌や髪にのケアにも気をつけたようでキラキラしているように見えた。

「うん、とても綺麗だね、リリールルー。頑張ったのだから、背筋を伸ばして。クロードは熱血漢で豪快な人間だけど、紳士ではあるから、わからないところはリードしてもらうんだよ?」

 世話好きなおじさんみたいになってないかな?

「あ、ありがとうございます!ユリウス様!」

 頬をうっすらと赤く染めて、涙目で頭を下げるリリールルーに、ボクは慌てた。

 だって、ただの自己満だ。

「ううん。楽しもうね?舞踏会」

「はい!」

 にっこり微笑むリリールルーはヒロインそのものの可憐さを持っていた。


 玄関先にはアルバス兄さんとクロードが待っていて、リリールルーを見て惚けたように見つめていた。

 そりゃそうだ、かなり可愛いもんなぁ。母がご満悦で送り出してくれてるもんね。

「クロード、行け。ユリウス、今日は俺がエスコートする」

 アルバス兄さんに手を差し伸べられて、ボクは迷わず頷く。これもレオン様から聞いていた。会場までアルバス兄さんがエスコートしてくれる。

 ……あれ?ボクも男だから、エスコートは必要なくない?むしろ本来はする側で……もういいや、なんでも。

 悟りの境地とはこういうことなのだろうか?先にアルバス兄さんとボクがいつもの王家の馬車に乗る。そしてクロードがリリールルーをエスコートして乗り込んできた。

 王家の馬車なのは、レオン様が「今日もこれで来てくれ」と寄越したからだ。

 それを断るのは忍びなく、大きめの馬車はありがたいのでそのまま了承したのだ。


 会場に到着すると、エルドニス兄さんとイルド、そしてレオン様が待っていた。

「ユリウス!」

 大きな歩幅で歩み寄ってきたレオン様に思わず見惚れてしまう。

 正装。何度も見ているものではあるけれど、いつかの時を思い出す。

 今日のボクの服のせいかもしれない。レオン様に懇願されてあの時と同じ色合いで作られているから。レオン様の色。あの時と違うのはそれを意識しているかどうかだ。

 レオン様のものは白を基調として金糸と黒糸で刺繍が施されている。シンプルだけど、レオン様の凛々しさや清々しさ圧倒的な雄々しい美を遺憾無く表している。

「大体のことは終わったよ。安心して」

 レオン様はそう言って、ボクを会場へとエスコートした。

 このレオン様の横にボクがいることはまだ違和感があるけど、それに対して拒否をするのはやめたのはいつだっただろう?

 奇異の目で見られることもなれてしまったし、レオン様以外が隣にいることを想像できなくなってしまった。

 もう前世を思い出すこともほとんどない。それに前世で読んだようなチート能力もないのだから、結局等身大の自分で生きることしかできない。もう、それでいいと思っている。

 

 そんなことを思いつつ会場に入った。

 会場がざわついている。全ての視線はリリールルーに注がれていて、王子であるレオン様が入ってきても意識はこちらに向いていなかった。


「やっぱり!あなた、平民のくせにクロード様に取り入ったのね」

「ユリウス様にも媚び売って、勉強教えてもらっていたし」

「殿下にも擦り寄って助けてもらっていたり」

「なんて浅ましいのかしら!」

 レオン様が入場されたのに気がつかなかったのだろうか?

 中心にいるのは……ああ、当時レオン様の婚約者筆頭候補と言われていた侯爵令嬢だ。ボクが男だということで、何度も何度も父親が自分の娘を進言して、鬱陶しがられて一時期謹慎させられていたと覚えている。

 令嬢自体もお茶会のたびにボクへ鋭い視線を寄越してはいたけど、何事もなかったな。

 そして、ベルン伯爵家の令嬢もいる。そうか、彼女は侯爵令嬢の取り巻きだったのか。


「ほぅ、私が入ってきたのにも気がつかず罵り声を上げているとはどこのどなたかな?」

 凛とした、しかし、ボクの名を呼ぶ時とは打って変わった絶対零度の声がホールに響く。

 ざわついていたホールがその一声で水を打ったように静まり返った。


「さて、名乗り出てもらおうか?」

 見れば顔の色を失くし、かすかに震えている。エスコートした男子は素知らぬ顔で遠巻きになっていた。

 そうだろう。すでに婚約している場合もあるが、この学園生活の中で相手を見つけるというのであれば、彼女達からは手を引きたいと思うはずだ。


「あ、お、恐れながら、レオンハルト殿下……!」

 さすが侯爵令嬢だ。まあ、父があれだから娘も怖いもの知らずというか我を通すタイプなのだろう。

「何だ?発言を許そう」

 レオン様のその言葉、顔色をよくした侯爵令嬢やベルン伯爵令嬢、その取り巻きは色めきたった。

「はい。発言をお許しいただきありがとうございます。平民出身であるリリールルー・ランランルーがこのような仕立ての良いドレスで着飾り、クロード様にエスコートされるなど厚顔無恥にもほどがあります。この者が殿下のご婚約者様であるユリウス様をたぶらかしたこともありますし、先生にも取り入って先に出題問題を教えてもらったり、魔術試験では優遇してもらったという話も聞いております」

「それに、このところ噂されていますユリウス様の所持品がなくなるという出来事はリリールルーがやったと聞いております」

 終わったなとレオン様を見上げて思った。レオン様の目が据わり、獲物を捕らえるような眼光に変わっている。

 「噂」「聞いている」というあやふやさを出しながらも、リリールルーを貶めようとすることはありありとわかるが、全てにおいて悪手だ。


「それは事実か?」

「はい。我が国の太陽にそのような嘘は申しません」

 言質がとられた。リリールルーを噂でしか知らない者ならもしかしたらそれを鵜呑みにするかもしれない。しかし、サロンを活用する特進クラスの生徒達が頭を抱えたのを見た他の生徒も、察したようだ。


「そうか。確かに、リリールルー・ランランルー嬢の出自を考えれば本日のドレスは奮発したように見える。な?ユリウス」

「え?はい。我が母、メリア・セフィロニスが腕によりをかけてリリールルー嬢をドレスアップさせましたので。クロードには兄、アルバス・セフィロニスよりリリールルー嬢のエスコートをするようにと命じてあります」

「ふむ、だからか。リリールルー嬢の可憐さを引き立てる素晴らしい衣装だ」

 レオン様がそういうとクロードがリリールルーを促す。

「もったいないお言葉です」

 慌てたように、でも美しいカーテンシーでリリールルーは答えた。うん、スムーズにできてる。

 ……ちょっとだけ、胸がチリっと痛んだのはなんでだろう?


「それから、リリールルー嬢がユリウスに取り入ったという件だが、それは教師陣に頼まれたユリウスがサロンという場をもうけて、リリールルー嬢が貴族社会のマナーを学べるように取り仕切ったことを言っているのか?」

「え?」

「さらに、教師が勉強で困っている生徒を見過ごせないのは当然だろう?これに関してもユリウスが兄であり教師であるアルバス・セフィロニス先生とエルドニス・セフィロニス先生に頼みサポートをしてもらっていたという事実があるが?」

「え……」

「魔術試験に関してはこの学園に光属性を持つ先生がいなかったため、通常とは少し違った形になったと聞いている」

 令嬢達は再び顔色を失くし俯いてしまっている。

 自分に向けられなくてもレオン様の冷静だが怒りの込められた声はスッと心を冷やす。


「最後だ。リリールルー嬢がユリウスのものを盗んだという話だが、聞いて呆れる」

 視線だけでイルドを呼び寄せると、イルドはペンケースがいくつも乗ったトレーを運んできた。

「ああっ……!」

 咎められている令嬢達だけでなく、他にも何人か膝から崩れ落ちていた。

 それは特進クラス以外の生徒だった。

「うん、気がついたか。さて……ここは私ではなく先生に調べてもらうとしようか。お願いできますか?」

 そう言うと、アルバス兄さんとエルドニス兄さんが頷き、両端のペンケースから一つ一つ開けてはボクのペンや栞を取り出して並べていった。


 真ん中に近づくにつれ、侯爵令嬢はガタガタと震え出す。ああ、彼女が盗ったのかと誰が見ても明白だった。

「たかがペンや栞かもしれないが、これはれっきとした窃盗であり、犯罪である。この学園は犯罪者の巣窟だったか。これを学園長である国王が知ったらなんとするだろうな?ましてだ、自分がやっていたにもかかわらず、「そう聞いた」となんの罪もないリリールルー嬢に濡れ衣を着せるとは、マナー以前の話だとは思わないのか?」

 最後、真ん中の上質な革を使ったと思われるペンケースの中から父からもらったあのペンが出てきた。

 ボクがホッとしたと同時に、侯爵令嬢がカッと目を見開き声を上げた。


「そもそも!私の方がレオンハルト殿下の婚約者として、王妃としてふさわしいと思いませんか?女性であり、侯爵家ではありますが、殿下を満足させる器量はありますわ!こんなパッとしない方よりも私の方が華があります!レオンハルト殿下には私の方がふさわしい!ましてや、平民女より私が下!?そんなバカな話があると言うのですか!?どうせ色目でも使って取り入ったのでしょう!?私が目を覚まさせて差し上げなければ、この女が調子に乗って自分の身分を弁えずに大きな顔をしだすのですわ!」

 そう喚く侯爵令嬢とそれを冷ややかな目で見つめるレオン様を見て、何かがフラッシュバックするような感覚があった。


 これは……そうだ、このシナリオがもし正常に進められていたら、ここでこうして喚いているのは自分だったのかもしれない。そして、レオン様の横にいたのはリリールルーで、ボクはレオン様からも兄二人やイルド、クロード、ハガルからも敵意を向けられていたのかもしれない。

 あそこにいる侯爵令嬢はボクの姿……


「言いたいことはそれだけか?」

 低く威圧するような声音に侯爵令嬢はヒュッと喉を鳴らし押し黙った。

「侯爵令嬢……器量がいい?自分の方が私にふさわしいだと?聞いて呆れる。そもそもリリールルー嬢が調子に乗ったところなど見たことはない。いつも謙虚であり、勤勉だ。だからこそ特進クラスのサロンに受け入れられ、こうして今日の日を迎えられたのだろう?身分がいくら高かろうとそれにあぐらをかいて大きな顔をしているのはご令嬢ではないのか?この学園は確かに貴族階級のものが入れるところではあるが、例外的に入学できたのは何も光属性持ちだからだけではない。リリールルー嬢の素養が学園でも問題ないと判断されたからだ。階級が高かろうと人柄がなければ特進クラスにはいられない。そちらが特進クラスにいないということはどちらが厚顔無恥かわかるだろう?それも分からないほど無知ではなかろう?」

 レオン様の言葉が耳を通り抜けていく。リリールルーを褒める言葉が何故か自分の心にナイフのように突き刺さるのだ。

 ボクがここにいてはいけないのでは?本当はレオン様はリリールルーを選びたいのでは?

 喉がカラカラに乾き、目の前が白くフェイドアウトするような感覚に陥った。


 怖い。あ、そうか。ボクはちゃんとレオン様に恋をして愛しているんだ。だからいなくなってしまうのが怖いんだ。

「ユリウス」

 柔らかく自分を呼ぶ優しい声が聞こえて目の前が真っ暗になった。体温が戻ってきた感じがして深く息を吸うと、鼻腔いっぱいにレオン様の匂いで満たされた。

 そして抱きしめられていることに気がついた。真っ暗になったのはレオン様の胸に額を押し付けられていたからだ。

「大丈夫かい?」

 温かい声に胸がいっぱいになる。ああ、好きだな。実感したらダメだ。ちょろい。前世から数えても初めてのことだ。でも、そうか、好きになるって幸せだなと思ってしまった。


「ふふっ、ユリウスは本当に可愛い」

 ボクが落ち着いたのがわかったのだろう、少しだけレオン様の腕が緩んだので顔を上げると、優しい眼差してボクを見つめていた。……なにこれ?嬉しくて恥ずかしくてむず痒い。


「ご令嬢の言葉を借りるなら、そもそも自分とユリウスを同じだと考えている時点でおかしい。選ぶ選ばないの問題ではない。ユリウスしか私の伴侶にはなり得ない。そういえば父である侯爵もよく父王に進言していたが、そもそも選択肢にユリウス以外は入ってない!」

 ドーン!!という効果音が付きそうなほどにきっぱりと言い切って、レオン様は胸を張った。

「リリールルー嬢とて一人では頑張りきれなかっただろう。それも全てユリウスのサポートのおかげだ。先ほども言ったが特進クラスの自習サロンはユリウスの提案によるもので、リリールルー嬢が貴族社会に馴染めるように、友人と呼べる者ができるようにという配慮のもとに立ち上げたのだ。また、今日の衣装、パートナーにしてもユリウスが動いたからできたことだ。リリールルー嬢はこの舞踏会への出席を諦めようとしていたのだからな。それをユリウスが公爵夫人やアルバス先生に頼んでこのような形に収めてくれたのだ。持ち物紛失の件もユリウスはもっと穏便に収めようとしていたが、一向に収まることがなかったため、私が強硬手段をとらせてもらったのだよ」

 そこまで一気に言うと、ニヤッとレオン様は微笑んだ。

「ここまで優しく、機転が効き、穏やかで、思いやりがあり、優秀で友好的で勤勉で奉仕の精神に長けているものを私は知らない。だからこそ私はユリウスを愛し、永遠の伴侶にすると決めているのだ。今もこの腕の中で私の言葉に照れて小動物のように震えているユリウスは愛らしくてたまらない。だからこそ、ユリウスを悲しませるようなことをしたものを私は許さない!盗みを働いたものは窃盗罪及び不敬罪、もしくは王室及び公爵家への謀反とみる!何か申し立てはあるか!?」

 ……恥ずかしいやら最後の一文が穏やかではなくてびっくりするやらで、感情が忙しい。


「殿下、恥ずかしながら、言い訳をさせていただいてもよろしいでしょうか?もちろん処分は受けます。貴族の出として恥ずべき行為であったことは重々理解しておりますので」

 一人の男子生徒がレオン様の前で傅く。

 それに続くように何人かの生徒が膝を折り、女生徒も恭しく頭を垂れる。

「わかった、話を聞こう」

 その言葉に張り詰めた空気が少し緩む。しかし、それは言い訳を許されただけであり、罪が軽くなったわけではない。

 それは当人達もわかっている。だが、それをする理由が少なからずあったのだろう。それに耳を貸さないレオン様ではない。

 そうしてくれないとこちらとしても何もできないし。


「ありがとうございます。この学園の生徒であるならば特進クラスへ入ることがステータスでもあります。特進クラスの生徒は特進クラスに居続けられるよう、普通クラスの生徒は特進クラスを目指すものが多くおります」

 かすかに震えている。レオン様はまだ王子ではあるが、いずれ立太子することは内定しているし、その先は国王である。身分もさることながらその本気の威圧は大人でも萎縮するほどのものがある。

 それを一身に受けるのだ、震えないわけがない。それでも伝えることがあるのならそれを乗り越えるしかない。


「しかし、今年の特進クラスはユリウス様のご提案で自習サロンを開き、それにより過去に類を見ないほどの優秀な成績だったと聞いております。成績表を見ても普通クラスの生徒はいくら頑張っても特進クラスにかすりもしない、格差は開くばかりでございました」

 胸に置いた右手に力が入り拳を握る。悔しい、そう言っているようだった。きっと彼は入学時ライン上の者だったのだろう。それが今回の試験で水をあけられたのだ。きっと頑張ったのだろう、それでも入学時よりも差が開いてしまったのだ。


「そんな中、『ユリウス様の使った持ち物、特にペンや栞をお守りにすると成績が上がる』と言う噂が立ったのです。いけないことだと承知の上で、特進クラスへの憧れが捨てきれずこのような罪を犯してしまいました。ユリウス様、誠に申し訳ありませんでした」

 その謝罪の言葉をきっかけに、口々に「申し訳ありません」と言う言葉がホールへ響く。

 レオン様の前に出たものだけではないようだ。


「百歩……いや一万歩ほど譲ってハガル商会が準備した学園セットのペンをと言うのならば反省次第ではと言うこともあろうが、こともあろうにユリウスが大切にしているお父上からの贈り物であるペンを盗んだとあってはな、流石に見過ごせない。確かになくなったとしょんぼりしているユリウスはいつも以上に庇護欲を誘い、そんな姿を公で見せるくらいなら閉じ込めてしまいたいくらい愛おしかったが、それは置いておいて盗みは罪だ。わかっているな?」

 途中何言い出すんだ?とレオン様をこっそり見遣ったが、その顔はずっと冷静で、相変わらずの威圧感だった。

「はい……」

 シーンと静まり返ったホールに、カツカツカツと靴音だけが響く。

「レオン様、良いでしょうか?」

「ああ、しかし、本当にそれでいいのか?」

 羞恥にレオン様の懐に潜り込んでいた顔をもぞりと上げると、一瞬で表情を緩めたレオン様と目が合う。それに小さく頷くとレオン様の腕から解放された。


「話はわかりました。しかし、ボクの持ち物を持ったところで成績が上がるわけないと思いませんか?」

 ボクが喋り出したので一斉に注目されてしまう。苦手だ。だけどやるしかない。これがボクの役割なのだ。当事者からの情状酌量案、レオン様や学園長である王様から伝えるのとはまた違うのだ。


「特進クラスの人は自分の力で勉強をしたのです。分からなければ質問をし、仲間と切磋琢磨したから今回の成績をおさめたのです。それをペンや栞を持つだけで何もせずとも成績が上がると思うのですか?確かに自習サロンは勉強を励む環境としては最適だったかもしれませんが、それだけです。成果を手にしたのはそこに集まった者の頑張り以外にありません。そこでボクから提案です。罪は罪です。それを償うのは当然です。しかし、これは学園内で起こったことで、ボクも父のペンを返していただき、それ以外は大切に使ってもらえればこれ以上は咎めません。そこで、学園追放という案も出たのですが、ボクからはこのような形で償っていただこうと思います」

 先ほどのカツカツと言う靴音はイルドのものだ。レオン様の隣にトレーを持って立っている。そのトレーの上には分厚い二つ穴のリングファイルが乗っている。

 厚さは5センチくらい。

 それをボクはよっこいせと手に取る。どよめきが起こる。

「これがボクからの提案です。ちょうど明日から夏の長期休暇なので時間はたっぷりあるはずです。そこで、このファイルには各教科の先生からの課題や過去問を詰め込みました。この課題を全てやり切ること、そして平均90点以上にすることが罪への償いとします。あ、盗んだ人の名はわかっていますので、罪を逃れることはできません。逃げても課題が倍になるだけですのでやめた方がいいと思います。また、終わらなかった方は理由次第ですが、長期休暇明け終わらなかった枚数分ペナルティで増えます。点数が届かなかった方はもちろんその点数に届くまで何度もやっていただきます。応用はそんなに多くありませんよ。基礎ができていれば90点は容易く、スラスラと解けるはずです。大体200枚ほどありますが、1日10枚で20日、20枚頑張れば10日で終わります。ボクもやってみましたが5日で終わりましたので、皆さんもできると思いますよ」

「……いや、あのスピードであの正答率はユリウスだからだぞ。流石に俺も1日40枚は無理だ」

 レオン様が呆れたように呟いたけど、そんなことはないと思う。集中すれば特進クラスの生徒はそれくらいできると思う。

 でも、誰も何も言わないため、キョトンとするしかない。あれ?簡単すぎた?


「……そもそもやってみたと言うのがユリウス様の凄いところですよね」

 イルドがそう呟くのに対してレオン様も神妙な顔で頷いている。

「それがユリウスだから、仕方がない」


 そうして、おそらく断罪イベントというものが終わった。

 その後は、課題を受け取るため、盗みを働いた者たちはホールを辞し、それと入れ違いに学園長である国王陛下と王妃陛下が入場して舞踏会は無事に執り行われた。

 リリールルーは特進クラスで仲良くなった者たちと代わる代わる踊り、この舞踏会を楽しんでいる様子が伝わってきた。


「ユリウス、踊るぞ」

「はい!」

 差し出されたレオン様の手を取る。もちろん、ボクは女性パートを踊るわけだが、そういえば以前ダンスレッスンをレオン様としていた時に言われたことを改めて思い出した。


「ユリウスは女性パートを踊るが、ユリウスを女性扱いするつもりはない。ユリウスはユリウスだからな。だから、俺とユリウスだけのダンスをしよう」


 そうだ、レオン様は最初からボクをボクとしてみていて、大切にしてくれていたんだな。ボクは自分の人生を歩み、他の人もシナリオの中の人ではなく生きているんだと言っておきながら、どこかボクと一線を引いていた。特にレオン様は攻略対象の筆頭だからと心にも線を引いていたんだな。


 一曲終わる。楽しい。こんな楽しくレオン様とダンスを踊ったことはなかったかもしれない。

「ユリウス、楽しそうだな?」

 そういうレオン様も柔らかく微笑んでいる。幸せだなと思う。この人から愛されているのはこんなにも自分を温かくするのだと胸がいっぱいになる。

「はい。レオン様、好きです」

 ボクのその言葉と同時に曲が終わる。組んでいた手が、体が離れる。

 レオン様は驚いたようにボクを見つめていた。

「ユリウス……もう一度……」

「えっと……ボクはレオン様をお慕いしております」

 恥ずかしい。照れ隠しでへにゃりと笑うと、レオン様は手で顔を覆い天を見上げてしまった。

「レオン様?」

 どうしていいのかわからず、手を伸ばすとその手をガシッと掴まれ、そのまま引き寄せられた。

 ぎゅっとレオン様に抱きしめられる。

「俺のユリウスが天使!!結婚しよう!待てない、早く俺の、俺だけのものになってくれ!」

 公の場での一人称をどこかに置いてきてしまったレオン様にぎゅうぎゅうと抱きしめられる。

「苦しいです、レオン様。結婚もしますし、ボクはレオン様だけのものなのでどこにも行きませんよ」

 その言葉にレオン様は「ユリウスは女神だった」などと言いながらボクを抱きしめ続け、アルバス兄さんとエルドニス兄さんは「こんな日がいつか来るとは思ったが今日だとは思わなかった」と涙を流し、アルバス兄さんの涙に何故かクロードが感化され号泣し、それをイルドとハガルが冷めた目で見ているのを生徒たちは呆気に取られながら見守る中、リリールルーが嬉しそうに「ユリウス様が可愛い!」と特進クラスの友達とキャッキャと喜んでいるのが視界の端に見えた。

 なんだろう、いいところに収まったのかな?

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