第5話 笑顔が起こした変化

「旦那様、そろそろお夕食をお食べになられないと……」

 執事のグラムがそっとターニャを引き連れて部屋にやってきた。

 そうだった、父は仕事から帰ってきてからここに来てくれたんだ。

 楽しくてそんなこと忘れていた。

「おっと、ユリウスと話しているのが楽しくて忘れていたよ」

 大きな手が頭を撫でる。うん、今日でこれまでの倍くらい頭撫でてもらった気がする。


「ユリウスは食べたのかい?」

「すみません。ユリウス様もまだなのです」

 ターニャが慌てたように頭を下げる。

「お父様、ターニャは悪くないよ。ボクが話すのが楽しくて話しすぎちゃっただけだから」

 そう言うと、父は柔らかく微笑んだ。あ、そういう表情もするんだ。

「わかっている。私も楽しくて気がつかなかったくらいだからね。それでは、今日はここら辺にしておこうか。ユリウス」

「ん?なに?お父様」

 ベッドから立ち上がって、ボクを見下ろす。

「一緒に夕飯食べようか?」

「いいの?」

「いいから言っている」

 その言葉に嬉しくなる。父と一緒の食事なんて滅多にないことなのだから。

 そうじゃなくても、父がボクを誘って何かするなんて珍事と言っていいくらいない。

「嬉しいな。お父様とお食事一緒にできるの」

 前世のおっさんの記憶が目覚めた時は優位だったが、時間が少し経ち、5歳児のユリウスに馴染んだようで、これまで甘えられなかった衝動が一気に噴出した。これは前世の分も含まれているのかもしれない。


 ベッドから立ち上がろうとすると、ふわっと体が浮いた。

「それでは行こうか」

 気がつけば父に抱え上げられている自分がいた。

「お父様?」

「どうした?」

 う〜ん……この状況をなんて言えばいいんだろう?

「驚いたようですね、旦那様が突然抱っこされたので」

 グラムがストレートに言葉にする。うん、そうなんだけど、それオブラートにくるまなくていいのかな?


「そうか、したことなかったか。……嫌じゃないか?」

 あ、少しションボリしてる。

「嬉しいです!」

「そうか、ではこのまま行こう」

 驚いたのは驚いたけど、嬉しいのも嬉しいんだ。

 父がちゃんとボクを気にかけてくれたことが。これがボクが倒れた原因の罪滅ぼし的なものだったとしても、この瞬間は父と交流できたのだから。


「「ち…父上!?」」

「あら、旦那様」

 食堂に行くとすでに母と兄二人は食事が済んでいて、歓談しているところだったようだ。

 ボクを抱っこして現れた父に兄は瞠目して、母はなんだか嬉しそうに微笑んでいる。

「さて、遅くなった。ユリウス、今日はここで食べなさい」

 父の定位置であるいわゆるお誕生日席の左の角の席にボクは座らせられた。いつもなら、父から一番離れた、母の左横なのに。

 そのイレギュラーな様子に兄たちは驚きを隠せないまま、それでも黙って観察することにしたようだ。母は「あらあら」と微笑んでいる。


 いつもならもっと父は遅い時間に帰ってきて、一人で食事をしているはずだ。まあ、母は同席しているだろうけど。

 でも、ボクが倒れたから父は早く帰ってきて、本来なら兄たちも一緒に食事するはずだったんだ。

 …あ、ボクがお話しすぎたせいだ。


「ユリウスとの話が楽しくてね。遅くなってしまった」

 そう言って「いただきます」のお祈りを二人でして、食べ始める。

 母も兄たちはそれを静かに見守っていて、ちょっと食べづらい。


「アルバス、今日はどんな訓練をしたんだ?」

 静かに父が話を振る。

 アルバス兄さんが背筋を伸ばし、今日の成果を話す。

「エルドニスはどのようなことを学んだのだ?」

 そうすると今度はエルドニス兄さんが同じように、今日学んだことを話す。

 それに対して父は静かに相槌を打ちながら聞いて、「明日も励むように」と激励する。

 それだけで兄たちは嬉しそうに礼をした。


 ボクはいつも、この時が嫌いだった。だって、何もしたことがなかった。だから「いつも通り」としか答えられなかった。

 でもよくよく考えれば、まだ家庭教師もついていないのだから話せることなんてなかったんだよね。

 兄と同じようにってがんじがらめになっていたのは自分だったのかもしれない。好きな本の話をしてもいいのかもしれない。庭に咲いた花のこと、庭にいた虫や鳥のことでも良かったのかもしれない。

 兄と同じような話はできっこなかったんだ。


 そう思うと、気持ちが楽になって食事もいつもよりも美味しく感じることができた。

「ユリウス、楽しそうね?」

 母の言葉に、ボクは頷いた。

「はい。おしょくじもおいしいし、お父様と本の話ができてとてもうれしかったのです」

 それから、ハタと気がついて、フォークとナイフを置いた。

 その様子に父も母も兄たちもボクを注目する。

 これはちょっと緊張する。でも、言わないと。


「えっと……今日はボクがたおれてしまったので、ごしんぱいをおかけしてごめんなさい」

 ペコリと頭を下げる。居た堪れなさが半端ない。

 倒れた上に父と話してて食事に遅れるなんて。

「…もう大丈夫なら問題ない」

 そう言ったのはアルバス兄さん。

「心配はしていないから大丈夫だ」

 ふっと視線を逸らしたように見えたのはエルドニス兄さん。

「旦那様がお許しになったのならもういいのよ」

 そう言うのは母。

 

 その言葉に反応したのは意外にも父で、ボクの肩に手を置き優しく撫でた。

「ユリウスが謝ることではないと言っただろう?私が魔力の制御を怠ったせいだ。ユリウスは何も悪くない。メリア、そう言うことだから間違いのないように」

「わかりました。ごめんなさいね、ユリウス」

 母からの謝罪にボクは「いいのです」と首を横に振るしかできなかった。

 でも、心配はかけたんだよね。そう思うと、えっと「ごめんなさい」は違くて、そっか、こう言う時もこっちだ。


「しんぱいしてくださって、ありがとうございます」

 ペコリと頭を下げて、顔を上げると呆気に取られている3人の顔がある。あれ?違ったかな?って心配になった。う〜ん、でも取り消せないし、あ、笑っとけ。

「「っ!!大丈夫だ」」

「っ!大丈夫よ」

 ん?なんで慌てるんだろうなぁ。あ、笑顔が下手くそすぎたか。気持ち悪かったのかなぁ。


「ユリウス、今日はもう遅いが、明日また父はなるべく早く帰ってこようと思う。だから今日の続きの話をしないか?」

 食事が終わり、やっぱり父に抱っこされながら部屋へ戻る途中のことだった。

「おいそがしいのでは?」

「いや、早く帰ってくる!」

 力強く言い切った父に圧倒される。父ってこんなんだっけ?でも、嬉しいな。まだ話し足りないことがたくさんある。だから、答えは一つだ。

「はい!楽しみに待ってます!」

「ん”っ」

 びっくりすることばっかりの一日だったけど、なんか上手くやっていけそうだ。


 でも、悪役令嬢っていう設定なんだよね。

 これから先どうなるんだろうなぁ?わからないけど、とりあえず、この世界を自分が生きやすいように自分らしく生きてみよう。


 この日をきっかけにセフィロニス家の雰囲気が変わったと言えるだろう。


 これがいいのか、悪いのか、悪役令嬢という設定の強制力なのか、全くわからないのだけど、とにかく、父はあの日以降ボクに本をお土産で買ってきては、感想を聞きたいとボクが寝るまでの時間をボクとお話して過ごすようになったし、母とも一緒に本を読んだりお茶をするようになった。


 一番変わったのは兄二人で、二人とも自分が今日どんなことをやったのか、なぜかボクに報告するようになった。

 話を聞けば聞くほどすごいなぁと思う。

すごすぎて劣等感を抱くことはなくて、本当に尊敬しかない。こんな二人が自分の兄ということが誇らしい。

 でも、きっと兄たちにとってはボクはダメで、グズでノロマなんだろうな。だからこうやって自分たちのすごさを見せて、ボクにも自分たちについて来いということなんだろうと解釈している。

 でも、剣術よりも魔法よりも今は本を読んでいるのが楽しいんだよね。

 もう少ししたら何か学ぶようになるんだろうなとは思うのだけどね。

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