一〇
「悪いことをした。おこって出たから
先生の言葉はちょっとそこでとぎれたが、べつに私の返事を期待する様子もなく、すぐその続きへ移っていった。
「そういうと、夫のほうはいかにも
「中ぐらいに見えます」と私は答えた。この答は先生にとって少し案外らしかった。先生はまた口を閉じて、無言で歩きだした。
先生の
「もうおそいから早く帰りたまえ。私も早く帰ってやるんだから、
先生が最後につけ加えた「細君のために」という言葉は妙にその時私の心を暖かにした。私はその言葉のために、帰ってから安心して寝ることができた。私はその後も長いあいだこの「細君のために」という言葉を忘れなかった。
先生と奥さんのあいだに起こった
「私は世の中で女というものをたった
私は今前後の行きがかりを忘れてしまったから、先生がなんのためにこんな自白を私にして聞かせたのか、はっきり言うことができない。けれども先生の態度のまじめであったのと、調子の沈んでいたのとは、いまだに記憶に残っている。その時ただ私の耳に異様に響いたのは、「最も幸福に生まれた人間の一対であるべきはずです」という最後の一句であった。先生はなぜ幸福な人間と言いきらないで、あるべきはずであると断わったのか。私にはそれだけが不審であった。ことにそこへ一種の力を入れた先生の語気が不審であった。先生は事実はたして幸福なのだろうか、また幸福であるべきはずでありながら、それほど幸福でないのだろうか。私は心のうちで疑ぐらざるをえなかった。けれどもその疑いは一時かぎりどこかへ葬むられてしまった。
私はそのうち先生の
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