終話、こちらの世界で守護霊として。
例のスマートゴーレム海中遭難未遂事件から、早いもので三日が経った。
今日は十七月の十四日、第四曜日。平日。夕方。
平日なのでリィムさんは当たり前に仕事をしに行った。眠そうに朝起きて、ご飯を食べて身支度を済ませ、今は少し疲労を感じさせる顔でぽちぽちとパソコン(石板)を弄っている。
この三日、リィムさんは忙しそうだった。
彼女の心の声を拾った限りで大雑把にまとめれば、"ゴーレムたちの世界と円滑に交易するために支障が出ないようしようね!"というお話になる。
上への報告書とか、改善案とか、他の課への連絡とか、ゴーレムたちとの改めての話とか。
そういった小難しいやり取りが多く、話の中心にいるのがリィムさんなので、全体の流れはもちろん個々の話も最終的には全部彼女が確認していた。そうして、事件のごたごたが収まったのが今日のお昼くらい。
その間、傍で付かず離れずといる僕は取り憑き相手からの愚痴をよく聞いていた。今もまた。
(疲れた……。何よ竜巻って。竜巻が海流を作り出すなんておかしいじゃない。竜巻なら普通渦潮ができるものでしょう?もうおばか。みんなおばか。私たちの課に深海まで行って調べてとか言う人もそうだし、自分たちだけで鉱石採りに行かせてとか言う海鉱石人族もそうだし、とりあえずもう一回行ってみようとか適当なこと言う上もそうだし……疲れた)
ぽろぽろと簡単に言葉がこぼれてくる。リィムさんの声がよく聞こえて嬉しいが、声に元気がなくて悲しい。
パソコンを見つめる表情は凛として――いるように見えて微妙に虚ろだ。それでもちゃんと仕事は進んでいるのだから、大人はすごい。世の中、働いている人は皆こうらしい。前にどこかで誰かから聞いた覚えがある。
大人になりたい、大人になりたくないと葛藤を抱きながら時間が経つのを待つ。
彷徨わせていた視線を上げると、窓から差し込む夕日が室内を照らしていた。人工的な部屋の明かりに負けないほどの橙色が綺麗だった。窓際に寄り、沈んでいく太陽を眺める。天気の良い日はいつもこの部屋から落日を見ている。綺麗なものは何度見ても飽きることがない。リィムさんの髪と同じだ。
『……』
茜色の大空を見つめていると、徐々に徐々にと心の内が穏やかになっていく。
三日。三日か。
僕がポルターガイストを覚えて三日が経った。リィムさんが書類仕事や多方面への情報伝達作業に追われている間、僕はひたすらポルターガイスト=念力=念動力の練習をしていた。名前は適当だ。僕にとってどれも同じようなものなので気分で変えている。
謎パワーを手に入れ、夢の世界における干渉能力を得た。が、その干渉能力はこの三日間、まともに使えるとは言い難い代物でしかなかった。
どれだけ気合を入れても、どれだけそれっぽく意識を集中させてみても、起きるのは髪を数本揺らすような微風だけ。水滴一つ浮かばせるどころか動かせやしない。
一体全体あの時の、リィムさんを支えて助けた時の僕の力はどこに行ってしまったのか。あの時だけですべてを使い果たした……という考えもなくはないが、それを考えると僕はとてつもなく悲しくなってしまうので考えない。力そのものはあるとしている。
なんでまともにポルターガイスト使えないのかと考えると、やはりあの時のことが頭に過る。
"リィムさんを助けたい。絶対の絶対に、何が何でも助ける"。
そんな、覚悟とも言えるような意識。当時は必死過ぎて、今同じように思えと言われても出来るわけがない。そう簡単に覚悟決められたら僕は現実でももっと上手く立ち回れている。
人を守る想いが力になる。
創作ではよく見る陳腐な言葉だが、ありふれているからこそこれが真実なのかもしれない。
『……ふっ』
一人それっぽく笑って、考えることを止めた。
答えの出ない問いは考え続けると疲れるのだ。疲れた時はやはり水人形と戯れるに限る。
今リィムさんの部屋には水人形がいないので、部屋を出て別の部屋を進む。途中でふよふよ漂っていた水人形を発見し、ポルターガイストを纏わせた指先で触れる。不思議な質感が指先から伝わってくる。
猫じゃらしでも振るようにやんわり指を動かすと、水人形もそれに沿ってふわんふわんと動く。可愛い。
何もしていない状態の水人形は本当に何もしないで空中をふわふわ漂っていることが多いので、こうして構ってあげると簡単に遊んでくれる。
ドームの職員は水人形の動きにいちいち気を配っていないので、こうして僕が遊んでいても何か言われることはない。そもそも僕の存在が見えていないのだから、水人形が勝手にふよふよふわんふわんしているとしか思われていないことだろう。
気まぐれな遊び相手は飽きるとどこかに行ってしまうので、僕も適度に動きを変えたり他の子と戯れたりして時間を潰している。
如何にポルターガイストが極弱とはいえ、何にも触れられなかった時とは雲泥の差だ。これだけも十二分に楽しい。癒され成分が高くて頬が緩む。
そんな風にしていたら、リィムさんがとぼとぼと僕の横を通り過ぎていった。水人形たちにばいばいと手を振って追いかける。もちろん返事も返答も何もない。これにも慣れた。慣れって怖いね。
改札(謎の機械)にICカード(謎カード)を翳してドームを出て、家に向かう。
沈みかけの日が青空を薄暗く遠く染めていた。
無言で帰るリィムさんはやっぱりお疲れ気味で、ご飯食べて寝て元気になってほしいと切に願う。僕は元気なリィムさんの方が好きだから。
家に帰り着き、食事やらお風呂やらを済ませ自室に戻る。今日も彼女のご両親はいない。静かな家、一人きりの夜だ。
「……うー、にゃぁぁー」
ベッドにぱたりと倒れ込み、足をぱたぱたとさせて唸る。唸り声は言語が関係ないので僕でもわかる。異常に可愛いと思ってしまうのは僕だけだろうか。そんなわけない。
ひとしきりぱたぱた唸って、萎むように足が止まり声も止んだ。
うつ伏せだから見える、背中に広がった白金色の髪が芸術的なほど綺麗だった。
『……ふぃー』
部屋の電気が消され、リィムさんの髪に惹き止められていた思考が動き出す。
息を吐き、レースのカーテンを透かす月明かりを見やる。青白い月光が僕の疚しい心を浄化してくれる。
正直な話、僕はリィムさんの髪が好きだ。――……いやそうではなくて、事実とは言えば事実なんだけど、今考えようと思っていたこととは全然違った。美髪に引っ張られ過ぎている。意識を戻そう。
僕は正直、リィムさんに共感できない。
心からこぼれた言葉が直接伝わってくるから、彼女の考えていることはわかる。
家に自分以外いなかったら寂しいんだろうなと、リィムさんの声を理解はできる。
毎日毎日一人で。一人の家で一人の食事で、一人の部屋で。寂しいとか、悲しいとか、胸が痛くなるような言葉と表情には辛いものがある。
でも、彼女と違って僕には家族がいる。家を出る時はいってらっしゃいで、帰ってくる時はただいまで。挨拶にちゃんと挨拶があり、食事も一緒に取れるような、そんな家族がいる。
リィムさんと比べてずいぶんと恵まれた家庭環境だとは思うけれど、だからこそ僕はこの人に共感できない。
生活方式は違って、育った環境も違って。言葉も文化も、家族の在り方さえも違う。ありとあらゆるものが違い、果ては生まれた世界すらも違うから。
遠く離れた世界に住む僕には、リィムさんの想いを理解はできても共感はできない。
けど、けれど。そうであったとしても。
『少しは、幽霊らしいことしてもいいよね』
そっと呟き、ベッドで横になり目を閉じているリィムさんの傍に寄る。
床に腰を下ろし、足を伸ばして左足の膝を立てた。膝の上に肘を置き、腕を手前に折って手の甲で頬を支える。
少し、いやかなり格好付けた体勢だけど、今だけは誰にも文句は言わせない。
静かに気を集中して、ポルターガイストで部屋にそよ風を吹かせる。
実際に吹いたのはそよ風どころか大気の流れ程度の微風でしかなかったけれど、それでよかった。
今僕のやっていることが、気休めにすらならないような意味のない行為なんだってことくらいは最初からわかっている。
僕がこうして傍にいることも、リィムさんのために何かできないかと頑張っていることも。
無駄なこと、徒労に終わるのは目に見えている。
それでも、ほんの欠片でも、彼女がこれから見るであろう夢の中で寂しさを紛らわせられればいいと思うから。
言葉は交わせず、姿すら見せられない。家族だなんて到底言えない、家族代わりにすらなれない僕ではあるけれど。
幽霊らしく、霊体らしく――守護霊らしく。
見守る先へ"穏やかで在れ"と願いを込めて。
少しの間、リィムさんが眠りに落ちて僕の意識が途切れるまで、月明かりに揺れる彼女が安らげるようにと微風を吹かせ続けていた。
後書き。
これにて序章終わりです。読了ありがとうございます。お気に召しましたら、評価感想等よろしくお願いいたします。
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