第八話、急転直下。

 太陽の光が水の層にき止められ、月光の下のように薄暗い世界となった海の底。

 淡い水色に輝く水人形が縦横無尽に飛び回り、僕らがいる一帯だけを照らしていた。


 砂地、岩場、魚、海藻、貝、その他動植物。

 生き物たちは自然を謳歌し自由気ままに海中を動き回っていた。


 一方僕ら、人間、ゴーレム、幽霊の混成部隊はというと。


「うむむ、トトレレめ。他所の世界の者に迷惑をかけおってからに。今後の交流に差し支えがあったらどうするつもりだ。心配だぞ。ゲン」

「私が言うのも何だが、お前、心の声が漏れているぞ、グン」

「なに!?俺の心の声だと?どれのことだノノナレ!ガン」

「……気にするな。早くトトレレを回収して鉱石選びを再開しよう。ゴン」

「むむ……そう、だな。ギン」


 ぺらぺら喋るゴーレムと。


「トトレレさん、大丈夫でしょうか……」

「海鉱石人族の方の丈夫さは私たちと比較にならないほどですから、そういった意味では確実に無事でしょう。マリテュールも焦りはあれど危険信号までは出していませんでしたし」

「そうですね。自分もリィムさんに同意します。傷一つついていないことかと。ただ……」

「ただ?」

「……深海に落ちていたらと思うと」

「……それは、困りますね」

「この近くに深海はありませんから大丈夫なはず……です。深海より手前に海溝があるので、落ちるとしたらそちらでしょう。……まあ、海溝も海溝で落ちたらとても困ったことになりますが」

「潜水艦が必要になりますからね……」

「その時は自分も一緒に謝ります」

「私も謝りますよ」

「……はい。皆さんすみません、お願いします」


 しょんぼり喋る人間と。


(潜水艦を引っ張り出すのはさすがに私の裁量を越えてきちゃうわね……海溝の先は深海だし、一直線に落下なんて構造的にありえないんだけど、万が一も考えたら……うぅ、胃腸が痛い)


 表に出さず辛そうな声のリィムさんと。


『これどんな状況なんだろうね。そもそも潜水艦ってあの潜水艦?僕この世界で初めて聞いたんだけど。海溝と深海は一応聞き覚えあるし、地球にもあるにはあるか。でもたぶん意味違うんだろうなぁ。というか絶対違うか。深海はなんか別世界への入口っぽいし、海溝はその手前の手前、みたいな。うん。ニュアンスはきっとこれで合ってるはず。伊達に一年リィムさんと一緒にいないよ、僕』


 独り言を無限に話す幽霊と。


 三者三様、いや四者四様な状況だった。

 真面目な話、ゴーレムの一人が行方不明なのはやばいと思う。今の状況って、つまり外国の要人が一人災害に遭って安否不明になっているってことだよね。


 字面にするとやっぱりやばいじゃん。

 日本に例えれば、海外の政府首脳陣の一人が日本海に沈められて行方不明になっているって……うん。任侠映画じゃないんだからおかしい。海に沈められたら地球人ならその時点で死んじゃってるね。


 とにかく状況はあんまりよくないと。

 リィムさんが辛そうなのも僕は辛い。表情はいつも通りを装っているのに、さっきから心の声ががんがん漏れてくるのが辛い。普段なら声が聞こえて嬉しい!ってなるのに、今はあんまり嬉しくない。


(相手は海鉱石人族よ。身体は丈夫。身体は丈夫。大丈夫大丈夫。きっと元気に泳いでいるわ。あぁでも重みはあるのよね。落ちたら……いえ、考えるだけ無駄。どうせすぐ着くんだもの。マリテュールが焦っていないんだから私が焦る必要はないわ)


 え?ん?なんかすごい久々に新しい単語が頭に入ってきた。

 マリテュールって何?専門用語はやめて――……ってもしかして水人形のこと!?あー、言われてみればリィムさんよくマリテュールって言ってたかも。そっか。……マリテュールって言うんだ、あの水人形たち。ようやくわかった。けどこれ、何かの略語かな。とりあえず意味は伝わった。水人形たちの総称がマリテュールらしい。うん。まあ僕はこれからも水人形って呼ぶけど。


 その水人形が先導するのに付いて進むこと十数分。急ぎながらもこれだけ時間がかかってしまった。歩いた先に見えたのは大きな裂け目。海の底にある断崖絶壁であった。

 そう、それはまさに、地球でも海溝と呼ばれる代物と同じで。


 でも、やはり世界が、星が異なるからか違うところがあった。

 海溝の中へ、深くへと流れ込むように大きな海流ができていた。奈落への落とし穴のように、真っ暗闇へ続く一本のレール。一度乗ったら降りられない、落ちるところまで落ちて行ってしまいそうな怖さがある場所だった。


 先ほどのリィムさん曰く、落ちても一直線に最後まで落ち切ることはない構造だと。だとしても、怖いものは怖い。幽霊体じゃなければ絶対に近づきたくない。化け物や怪異に遭遇するのとはまた違う、異様な怖気が背筋に走る。


「着きました、が……皆さんしっかりと魔法術は使っていますね」

「はい。もちろんです。ララミレさんに魔法術の紐を繋いでもいますから、わたしたちが滑って落ちて二次災害、なんてことにはなりません」

「そこまでは聞いていませんが……わかりました。とにかく気をつけてくださいね」

「はい」

「こっちは任せてくれ!絶対に動かないよう足は埋めておきますからなぁ!ガン」


 後ろの方、海溝の海流が及ばない場所では一人のゴーレムが海底に足を突き刺して立っていた。突き刺すどころか埋まっている。そのゴーレムから伸びた青白く光る紐。マリテュールよりは弱い明るさの紐が全員に繋がっていた。


 職員同士も紐で結び、他のゴーレムにもまた紐が通じる。一人につき最低でも埋没ゴーレムの紐と他二組の紐が通るように繋げられていた。安心安全設計が凄まじい。

 それだけこの場が危険ということなのだろう。僕には紐も何もないけど。というか海流の影響さえない。幽霊だからね。うん。


 穴があり、海流で吸い込まれるなら皆も髪が揺れ動いたり衣服が揺れたりするのかと思いきや、それはそれでなかった。きっと魔法で海流の影響を受けないようにもしているのだろう。光る紐の方は保険だ。二重三重の保険をかけることで、万が一が起きないようにしている。さすがリィムさんだった。


「ホロンさん、行きますよ」

「ええ。自分が先に行きます」

「はい。お願いします」


 段取りは話し合っている間に決めていたのか、前に出たリィムさんと職員の一人。他の三人(ゴーレム二人と職員一人)は何やら応援っぽいことを言っていそうな雰囲気だった。


 匍匐前進するでもなく、ゆっくりと足を動かしていく二人。徐々に足場のない断崖に近づく。後方からは空気を読んだのか声が止んだ。

 僕は恐怖を押し殺して飛び、リィムさんよりも先に海溝の上に立つ。下を見ればどこまでも深い海の穴が見え、両腕に鳥肌が立った。めちゃくちゃに怖い。


 吸い込まれるような感覚はなく、それでも音は聞こえる。弱く水が流れる音。何かを引き寄せるかのような重苦しい海流の音が耳の奥底に響いていた。


『……ふぅ……ふぅ……すぅぅ……はぁぁ……よし』


 自然に荒くなっていた息を深呼吸で整え、下へと降りていく。

 リィムさんたちは断崖で立ち止まり、さすがに怖くなったのか海底にぴたりとうつ伏せで寝そべり、海溝を覗き込むように見ていた。


 二人の前上空を降り、海溝へと沈んでいく。

 誰かの水人形が海溝を照らし明るくするのを見ながら、どこにゴーレムがいるのかと見回す。


 数メートルほど沈み、上では静かにリィムさんたちがこちらを見つめているのが目に映った。下を見ると恐怖に呑まれそうで、それでも水人形の明るさだけは確かにそこにあった。夜を恐れる昔の人の気持ちが少しだけわかった気がする。


 僕のいる場所よりもさらに下方。十メートルは先だろうか。水人形が止まった位置に妙なものがあった。

 長方形のような、菱形のような。できるだけ真下を見ずに近づくと、普通にゴーレムの人だった。


 両の手と足を全部岩壁にめり込ませ、急斜面から滑り落ちないように身体を固定していた。その固定度がまた、絶対に外さないと言わんばかりに人間で言う二の腕太もも付近まで沈めているので、これは落ちるはずもないと安堵する。


 僕が見つけたのと同様にリィムさんたちもゴーレムを見つけたようで、壁を伝って少しずつ降り始めた。

 ゴーレムがいるのは九十度の壁が十数メートル続く場所で、その下に急斜面が長々とあり、斜面が終わるとまた九十度の壁となっている。その先はわからないし、僕には見に行く勇気もない。


「トトレレさん!もう少々お待ちください!今ホロンさんが行きますから!」

「じ、自分が行くのは事実ですが、上から叫ばないでくださいっ。落ちそうで怖いです!」

「あああ!やっと来てくださいましたか!マルテュールさんが来てからすぐに来てくださるとは思っていましたが、よかった!本当によかったです!ガン」

「トトレレさん!マルテュールじゃなくてマリテュールですよ!」

「だ、だからリィムさん叫ばないでくださいっ!」


 普段より声量が大きいのは恐怖故だろう。その気持ちはよくわかる。

 リィムさんの内心も結構な動揺具合だ。


(無事!無事!私も無事!!海溝の先はあああああうううう!!見る意味なんてないわね!!!!!もう絶対見ない――下に行くのに見ないなんてできるわけないじゃないの!!!!!!!!)


 ここまで声を荒げるリィムさんは初めてだった。表情も崩れて顔が引き攣っている。顔色も普段に増してひどく青褪めて見える。

 それでも足を緩めないのはさすがと言える。


 まるで特殊部隊や救急隊のように壁を伝いゴーレムの下まで辿り着くと、職員二人で何やら魔法を使って紐を繋げる。ゴーレムと紐で結ばれる二人。三角形のように青白い紐が通された。


 慎重にゴーレムが斜面から手足を引き抜き、壁に縋り付く形で立ち上がる。


「お、おお……。これが魔法術ですか。一切海流を感じません。ガン」

「トトレレさん。感動は後でよいので早く上に戻りましょう。ここは危険です」

「急がず焦らず戻りましょう。自分はもう怖い目に遭うのは御免です。今も十分怖いですが」

「ええ。焦らず行きましょう。私もこれ以上の恐怖は御免です」


 そうして、ロッククライミングの要領で上を目指し岩壁を登っていく。

 そもそもここは水の中、魔法で海流の影響を受けないなら泳いで戻ることも可能なはずだ。それをしないというのは、万が一を考え慎重を重ねた結果だと考えられる。

 もしくはゴーレムの人が重くて高く跳び上がるように泳ぐのには向いていないか。そんなことないか。スマートゴーレムだし。


 海溝を抜け出した先、上で待っていた職員とゴーレムの手を借りて三人が戻る。ほっと息を吐き、何とか問題一つ起こらずに済んだと息をこぼす。これもリィムさん含め皆が慎重に動いた結果だろう。


「――な」

『――え?』


 だからだろうか。

 僕のよく知る怪異のように、人が油断し、安心し切ったところを突いてくる。


 それは、一瞬の出来事で。

 未だ海溝の中にいた僕だからこそ全容を把握できた。


 まず、突風のような流れが生まれた。轟々と唸り声を上げ、この場にいる全員を巻き込む海流が吹き荒れた。海溝に元からあった流れに沿って、深く水底へと引きずり込むような海流だった。


 魔法のバリアは容易く貫通し、リィムさんともう一人の職員が投げ出される。それも海の底へ一直線の滑り台に乗せられて、だ。

 上に戻ったばかりのゴーレムが咄嗟に地面へ足を突き刺し、そのままの勢いで腕を伸ばして職員を助けようと――届かず、急にロボットのように伸びた腕が掴まえた。


 上にいたゴーレムと職員は前者が両の手足を地面へめり込ませ、後者がその内に収まる形で息の合った防御姿勢を整えていた。


 そして、一人。ただ一人、僕の取り憑き相手でもある人。リィムさんが、リィムさんだけが海流に呑まれたままでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る