第七話、水底における状況の把握と悪化。

 倒れ伏せるリィムさんに近づき、呼吸を確認する。思えば水中で呼吸しているって、魔法の原理がますますわからなくなりそうなものだけど――。


『し、しんでる……』


 いや嘘だけど。

 普通に胸が上下していた。ぴっちりしたウエットスーツじゃなくて本当によかった。胸の膨らみがそれなりにあるリィムさんだからいろんな意味で変な気持ちになってしまうところだった。僕は変態ではない。


『……どうするか』


 とりあえず生きていたからよかった。水人形がいなくなったせいで周囲の明かりが乏しい。視界は悪く、ここで彼女にかけられている魔法が解けたらと思うとぞっとする。

 今までの経験上、そう簡単に水中呼吸魔法が解けるとは思えないが、海の底で気絶するという光景は初めてだったから心配だ。


 周りは先ほどとあまり景色が変わっているようには見えない。割合として砂場が五割に増えた程度だろうか。岩場よりも砂場の方が多く、鉱石採取には向いていないように思える。

 この場に届く太陽光の関係上、今の暗さを鑑みればさっきよりも水深が深いことは間違いない。四十メートルか、五十メートルか。わからないがとにかく深い。


 どうする、と思うもどうしようもない。僕、リィムさんに触れないし声もかけられないし。気合でどうにかならないだろうか。魔法があるのだから幽霊が何かできてもおかしくないはず。


『……』


 一人で頷き、気合を込めて瞑想する。


『ふん……ハァァァァァア!!!』


 ぬん、と力を込めて念動を使うかのように砂へ意識を集中させた。舞え、舞え、舞い上がれ!


『…………はぁ』


 無駄だった。


「う……っうー、もう、何なのよいったい……」


 リィムさんが起きた。砂に手をつき、髪に纏わり付く粒子を振り払う。白金色が揺れて海の底がきらめく。軽く手を振り、瞬時に顕現した水人形たちが飛び回る。急に視界が明るくなり、一体が僕の身体を突き抜けていった。悲鳴を上げながらも、周囲を見渡しているリィムさんへよろよろ近づく。


「ロミさん?ロミさん聞こえますか?」


 ブレスレットで会話を試みる彼女の隣で、僕も耳を寄せる。ざざざとノイズだけが鼓膜を揺らす。声は聞こえない。相手側とは音信不通のようだ。


「……どうしようかしら」


 困ったわ、とでも言いたげな声音だった。実際そんな顔をしている。意外に焦ってはいない様子。僕が思っていたよりも悪くない状況なのだろうか。リィムさんには余裕がありそうだ。


(やばいわね。どうしよう……海鉱石人族の人は頑丈でしょうけど、戻ってこれなくなったら世海間戦争にまで発展するわよ。よくないわ。すっごくよくない)


 全然余裕なんてなかった。普通にやばそうだった。というか、あのゴーレムたち海鉱(かいこう)石人(せきじん)族とか言うのか。初めて聞いたんだけど。まあこれからもゴーレムでいいよね。


「……戦争は冗談にしても、今後の交易に影響は出るわね」


 何か呟いたリィムさんは、数回手を振って水人形を増産した。意味がわからない。こいつらそんなに増えるものだったんだ。


「マリテュールたち、海鉱石人族の人たちを探してきてちょうだい。ついでに私の同僚もね。優先するのは海鉱石人族の方々よ。お願いね」


 水人形たちがひゅーんと四方八方へ飛び去っていく。数体だけ残っているのは明かり代わりか。小さくなっていく光が何とも儚い。


 水人形が家でも外でも役立つことは知っていたが、人探しまでできるとは知らなかった。どんな機能があるのだろう。無線機能……はないか。それがあるならブレスレット要らないし。


 見つけたら戻ってきて人のいる場所まで連れていってくれる説が濃厚だ。あの小さな身体じゃゴーレムを引っ張ってくることなどできるわけがない。要は小型の救命救助犬のようなものか。わかりやすい。


 手持ち無沙汰でやることもないので、リィムさんの隣で砂遊びを始めた。念動力の練習である。

 

『ハァァァァ………ハァァッッ!』


 たまにこうして意味なく声を上げてみると、楽しさと共に強烈な虚しさが襲いかかってくる。僕は意外と嫌いじゃない。家に僕しかいない時、全裸で叫んでみたりするような。そんな感覚。

 もちろん念動力は発動などしなかった。砂粒一つ動く気配がない。


 ちらりと隣を見ると、リィムさんが僕を見ていた。――僕を見ていた!?


「……んー、私が飛ばされてきた方向があっちとして……あーだめ、全然わからないわ」


 難しい顔で溜め息をつかれた。

 微塵も僕を見ていることなんてなかった。悲しい。勘違い野郎だったらしい。


 こういうことは往々にしてあるので、気を取り直して念力修行に励む。僕が幽霊だとしたらポルターガイストか。ポルターガイスト修行に励む。


 時折ブレスレット式携帯で電話が通じないか確認しているリィムさんを横目に砂遊びをしていたら、遠くから淡い青の明かりが近づいてきた。

 リィムさんも気づいた様子でふわふわ浮かんでいる光を眺めている。


 水人形かと思い見ていると、後ろに人型の輪郭が見えた。一人、二人。青白い光に隠れて輪郭だけだったものが徐々に色味を帯びてくる。

 片や人間、片やゴーレム。人間よりも二回りほどサイズが大きいので一目でわかった。ある程度近くまで来たところで、向こうが腕を振ってくる。まだ声は届かないものの、特に怪我もなく元気そうだ。


 僕が手を振り返し、リィムさんもまた手を振り返す。仲良しコンビと言えよう。


「ルルミさん、無事だったようで何よりです。ノノナレさんも」

「本当ですよ。リィムさんもご無事でよかったです。わたしはノノナレさんに海流避けとなってもらって助かりました」

「それは……ノノナレさん。私の同僚を助けてくださりありがとうございます」

「ハハハ、いやなに、頑丈なのが私の取り柄ですからな。ガン。しかしララミレとトトレレは何をしているのか、我らの身体なら地に足を沈み込ませれば流されることなどないと言うのに。ギン」

「どう、でしょうか。ルルミさん。上と連絡は取れましたか?」

「いえ、それが一切反応がなくて。ロミも無事だと良いのですが……」

「そうですか。……とりあえず上の心配は私たちが戻れてからにしましょう」


 三人で話をしていると、再び遠くからふわふわと青光が飛んできた。水人形だ。追加で背後に一組の影。人間とゴーレムの組み合わせがまた見つかった。思ったよりもあっさりこの場に集まってきている。これが水人形の成果かと思うと、なかなかどうして侮れない。僕の数百倍は役立っているじゃないか。……僕はお役立ち度ゼロだから、ゼロに何を掛けてもゼロだった。悲しい。


「――これで残りはトトレレさんだけですか」

「うむむ、俺がトトレレと離れたばかりに。申し訳ない。ゴン」

「いえ、私もトトレレさんから離れていましたから。こちらこそ申し訳ありません」


 ぺこぺこと頭を下げ合うゴーレムとリィムさん。

 たぶん、私が悪い。いやこちらこそ。みたいなやり取りをしているのだろう。それも他の人の仲裁が入って止んだ。人数的にはゴーレムが一人足りないので、そちらを早く見つけるのが先決だとか何とか、きっとそんな話のはず。僕だったらそうするし、大人なこの人たちなら絶対にそうするはずだ。


「……ルルミさん、ホロンさん。マリテュールはもう?」

「はい。海流に巻き込まれてすぐに飛ばしました」

「こちらもです。自分もララミレさんに引っ付いて、海底に降りた段階ですぐに飛ばしました」

「それならそろそろ見つかってもおかしくないですね。海流の範囲はわかりますか?」

「わたしがリィムさんの居るところまで来るのに十分はかかりましたので、海流範囲はその二倍か三倍か、大きく五倍程度を見込んでおいた方が良いかと」


 話して話して話して。流れるような会話が続き、そのうちに三度目の光が漂いやって来た。

 これで遭難事件も解決かと、そう思ったのは僕だけじゃないはず。現に職員三人のうちの二人もほっとした顔をしていた。リィムさんだけが表情険しく、ゴーレムも……ゴーレムの人たちの顔色ってどうなってるんだろう。声は一応抑揚あるからわかるけど、見た目じゃ全然わからない。


「……どうやら、少し急いだ方が良いかもしれませんね」


 緊張感のある声がリィムさんの口から聞こえてくる。意味は分からないが雰囲気でなんとなく察した。

 水人形はこれまでのように誰かを引き連れておらず、ただ一体でふわふわと戻ってきていた。それも水を切って進むように早く早くとここまで向かってくる。


 リィムさんは眉を寄せ、彼女以外の面々もまた険しい表情を浮かべる。


 どうにも、僕が思うよりも状況は悪い方向に転がってしまっているようだった。

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