序章(蒼海星)、異世界霊体海上同棲生活。
第一話、夢見る異世界は海に満ちていた。
◇
僕がそれを初めて見たのは、去年の春。中学二年生の頃だった。
中学生活二年目、新しいクラスにも慣れてきた頃、不思議な夢を見るようになった。夢は記憶の再現と言って、自分がどこかで見て聞いて知って忘れたことが形になったものと聞く。つまり、ただ忘れているだけで本当は微かにでも経験したことを夢見るのだ。
僕は小学生の頃からたくさん本を読んできたから、知識だけで言えば同世代よりうんと多い。自分が賢いと言うつもりはないけど、夢の幅は広いと思う。
とはいえ。
とはいえ、いくらいろんな夢を見られると言ったって限度がある。
例えばヨーロッパのどこか。イギリスやフランスの薄い街灯に照らされた夜道を黒のシルクハットを被り茶色のコートを着て歩く紳士になっていたとして。急に現れた暗殺者とアクション映画さながらな動きで銃撃戦を繰り広げたり。
何かSF的な能力か実験かで無酸素状態でも生きていけるようになった僕が宇宙に飛び出して、ゲームさながらに宇宙戦艦の概念を押し込めた人型生物を育てる超未来の艦長になったり。
まあそんなような夢ならありえないこともないと思う。見たことないけど、見てみたい気はするし。
けれどもだ。
僕が見た夢は、そんな
惑星……の名前はわからないけど、とにかく地球じゃない場所。
地球みたいに大きな大陸があるわけじゃなくて、日本で言う小笠原諸島くらいの陸地が点在しているような。沖縄とかインドネシアとか。あの辺の島国諸島を想像するとわかりやすいかもしれない。いやまあ日本も島国と言えば島国なんだけど。もっと規模が小さいから。
陸地は少なく、大部分が海に沈んでいる星。
地球が青いことなんて、衛星が飛び回り一般人が宇宙旅行を出来るようになった今はもう当たり前に知られていることだけど、写真一つなければ青いだなんて到底言えないと思う。少なくとも僕は地球の写真や映像を見るまで信じられなかった。
でも、あの星は違った。陸地が少ないからこそ、海の上で生活するのが当たり前になっていた。見渡す限りの大海原。船旅に出たことのない僕はテレビやパソコンでしか知らない景色。青い海から昇り、青い海に沈む太陽を毎日見ていれば、星が青いことなんて遠く空高くから見なくたってすぐわかる。
そして地球とは決定的に違うもう一つのこと。
それが深海だった。
海の深く深くずっと奥底。普通なら砂とか大地とか岩盤とかがあると思うんだけど、あの星は違った。何かよくわからない磁場?歪み?みたいなものがあって、そこから別の星――
そう、あれはもう世界としか言いようがない。ファンタジーで読んだ異世界というもの。もしかしたらまだ海の星はどこかこの宇宙の中の知られていない遠くの場所にあるのかもしれないけれど、それでも僕は異世界だと思う。
夢の中の異世界。この一年、僕が見続けている夢は、どこかの世界の海の星の景色だった。
◇
朝がやって来た。
毎日寝起きの意識がここまで鮮明なのは夢の中だけで、これが現実でもあれば良いのにといつもいつも思う。
横になっていた身体を起こし、立ち上がる。床には濃い青の絨毯が敷かれ、近くのテーブルには
壁は乳白色で、材質はわからない。触り心地は絨毯と同じで良さそう。いつか触れる日が来たらいいなと実は期待している。
ぼーっとしている間に部屋の主がベッドから起き上がり、カーテンを開けた。透明なガラス窓から眩しい陽射しが差し込んでくる。外は明るく、一面青空に水平線の彼方まで青い海が広がっていた。
「んーっ」
くーっと背筋を伸ばし、しゃなりと髪を揺らした人。陽の光を浴びてきらめく髪は黄金色……いや
ほっそりとした身体は華奢とまでは言えず、自分にはない胸の膨らみも含めて健康美を感じさせる。
鈴の音のような声を漏らした人――女性に、なんとなくの気持ちで近づく。
『おはようございます』
なんて言ってみても反応はなくて、澄んだ海色の瞳が僕を映すことはない。
近づいて見える眉や睫も髪と似た色で、青の瞳を柔らかく縁取っている。スッと通った鼻筋に薄い朱色の唇、整った顔立ちは現実離れしていて、白い肌からは青白い血管が薄っすらと透けて見えた。
彼女からの返答がないことに落ち込むことはなく、まあいつも通りかと肩を竦めた。というか、彼女が服を着替え始めたせいで慌てて動くはめになった。
この夢の世界で幽霊状態の僕に気づいていないのだから、意識せず彼女のタイミングで着替え始めるのは当然だ。だからといって、僕が彼女の裸を見て恥ずかしくないかというと話は別になる。
一年前はむしろ興味津々だったはずなのにいったいどうして……という疑問ももう解決済みではある。結局はアレだ。僕がこのすごく綺麗な女の人、リィムさんの着替えだったりお風呂だったりを覗き見ることに罪悪感を覚えるのだ。
相手が一切認識していないとはいえ、僕としては一年以上一緒にいる気持ちではいる。朝も昼も夜も。ほぼ毎日ずっと一緒。純日本人の僕からしてみれば、映画に出てくるお姫様みたいな出で立ちの人と一緒にいて照れないわけがない。それに、瞳の色も
自慢することじゃないかもしれないけど、僕は自分の目の色にだけは自信がある。リィムさんの目よりも綺麗だって、そこだけは自信がある。深い海から水面を見つめたような、たぶんそんな感じ。僕は深い海に潜ったことないけど、たぶんそう。
一瞬映ってしまったリィムさんの白い肌に頬が熱いような気がしつつも、着替え終えた彼女に付いて歩いていく。ドアを開け、扉のないエレベーターの中へ。
『……これだけは相変わらず慣れないなぁ』
つい呟いてしまった。もちろん隣の美人さんに聞こえることはない。
エレベーター、とは言ったけれど、厳密にはエレベーターなんかじゃない。
ボタンもなければドアもなくて、入ってすぐにリィムさんを認識して自動で下に降りていった。原理はわからないので、勝手に体重を認識して動いていると思っている。もしくは何か異世界的な不思議パワーで。
ファンタジックな動く床は僕のことを認識してくれないので、意識して下に進まないと空中に取り残されることになる。幸いなのは日本のエレベーターみたいに天井があったりしないことだろう。天井があったら頭だけ上に突き出すホラーが出来上がってしまうかもしれない。結構ちゃんと怖い。
「みんな、おはよう」
朝の挨拶を交わす。僕の耳には"ポヌマーエ"としか聞こえていないけれど、これが挨拶だとはわかる。どうしてって、もう数え切れないほど聞いてきたから。挨拶の前に何か言ってもいたけど、そこはわからない。たぶん"人形たち"とか何かだと思う。
リィムさんの挨拶相手は人ではなく、小さな人形だった。手乗りサイズよりも少々大きいだろうか。それくらいの人形が部屋の中をちまちま動き回っていた。
僕とリィムさん(正確にはリィムさんだけ)を認識して、ぺこりと頭を下げる人形たち。彼ら彼女らの身体は透き通った水でできていた。淡い水色に景色が透け、床を歩き宙を飛び、自由自在に空間を動き回る。
部屋は少し……いやかなり大きめな一軒家といった風体で、エレベーター先のリビングも十二分に広かった。カウンターキッチン風な備え付けのテーブルと椅子、乳白色の壁は変わらず、床は薄い青の絨毯で覆われていた。
僕の家にあるような家電は一切なく、物がありそうなところには濃い青色の石っぽい何かが置かれている。一年以上見ている夢でもあれが何なのかはわからない。僕は勝手に魔法石と呼んでいる。
電球は今は点いておらず、太陽光がふんだんに取り込まれて明るかった。電球など不要と言わんばかりの家宅設計である。まあ夜は魔法石で明るくなるんだけど。
リビングを離れ洗面所で顔を洗い、むぐむぐと口を濯ぐリィムさん。鏡を見つめる瞳はマリンブルー。鏡に映らない僕の心はホラーブルー。
あまり癖毛のない髪を水を操って
白金色の髪は水に濡れてきらきらと輝き、太陽光を反射してとても眩しく綺麗だった。
彼女の操る水はしなやかに浮かび曲がり、先の水人形以上に自由自在な動きを見せていた。
これなら洗濯機がないのも頷ける。洗いから乾燥まで片手間で出来てしまう。さすが魔法だ。実際魔法かどうかは知らないので、僕が勝手に魔法と呼んでいるだけではあるけれども。
朝の身だしなみチェックを終えて満足気に頷いたリィムさんは、リビングへ戻りテーブルに着く。水人形たちにより用意された朝食がテーブルの上に並べられていた。
今日の献立は謎の魚を焼いたものと謎の魚介類のスープと謎の海藻のサラダ。あとお米っぽい何か。
とりあえず食べ物は一度口にしてみたい派の僕としては、どれもこれも美味しそうで興味をそそられる。見た目毒々しいこともなく、普通に美味しそうなため食べてはみたい。まあ触れすらできないんだけどね。
「あらゆる世海の海に感謝します」
短く食前の祈りを捧げてから食事に入る。ついでに机の上にあった杖?ステッキを手に取り軽く振るう。単語としては"キャラティー"まで聞き取れた。以降はわからない。一年経ってこれは、さすがに自分の耳に自信がなくなる。いやでも、夢の世界だから起きたら脳に記憶されていなくて薄れた記憶がどうのこうので、結果として言葉を覚えられないと思えばおかしくないはず。うん。
リィムさんのステッキ操作によって、部屋の角に置かれていた魔法石が光輝いた。石の上にフォオンとSFな画面が浮かび上がり映像が流れる。テレビだ。異世界式テレビだった。ちゃんと音もあり、摩訶不思議な音声が耳から耳へ抜けていく。
人の食事風景を見ていてもお腹が空くだけなので、僕は僕でテレビを見させてもらうことにする。おそらくニュース番組であろうもの。何やら海上の様子と海中の様子と、どこでもかしこでも活動している人の様子を映している。
海中にいる人は地球人のようにウエットスーツを着ているわけではなく、酸素ボンベを身につけているわけでもない。なら専用の魔法石があるのかと思いきやそれもない。まさか呼吸をしていないのかとも思ったが、この一年でそれは違うとわかっている。
どうやらこの世界の人は、地上にいる時点で魔法をかけることで海中呼吸を可能としているようなのだ。ウエットスーツ風な私服で海に入れるのもそれが理由だろう。いわゆる海中呼吸の魔法というやつ。……そのままだけど。命名僕だから仕方ない。
ちらと振り返り、食事を続けるリィムさんを見る。何も言わず静かに一人で食事を進める姿は少しだけ寂しそうで。伏せ気味な瞳が何を宿しているのか僕には見えなくて、いつか一緒にご飯を食べられたらいいなと、これが何度目かわからないくらいに同じことを思った。
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