第七話、雨と少年と私。
授業終わり。もうすぐ十七時を迎える夕方。未だ日は高く、今日は逢魔が時なんて言わせないとばかりに太陽が輝いていた。雲の上で。
朝から降り続いた雨は降り止むことなく、今でも激しく地面を打ち付けている。この雨の中を歩いて帰るとなると全身びしょ濡れになることは間違いない。私は濡れないけどね。霊体だし。
甚伍はどこからどう見ても普通の人間なので、雨に降られれば濡れる。学校に来る段階でそれなりに濡れたのだから、その時より雨脚がひどくなっている今は言うまでもない。
登下校口から傘を差して出ていく生徒たちを眺めながら、甚伍は立ち尽くしていた。
傘がないわけじゃない。朝差してきたし。
雨に濡れたくないわけじゃない。朝も濡れたし。
帰りたくないわけじゃない。部活もないから早く帰りたいだろうし。
甚伍の内心はよくわかる。今伝わってきているのは、激しい緊張と焦り。言葉にするなら。
(次は魔法使いって嘘じゃん!何あの爺!?誰!?なんで誰も気づかないんだよ!おかしいじゃん!おかしいおかしい!こんなの絶対おかしいよ!!)
となる。うん。大体こんな感じの思念がだだ漏れで私に聞こえてくる。
可哀想だけど可愛い。最近は妖精とばかり話すおかしな子になっちゃっていたから、今みたいに現実逃避できないところに直面すると素が出てきて嬉しい。
でもまあ。
『喜んでばかりもいられないのよね』
呟き、前を見る。建物の外、校門より内側にある大きな桜の木の近く。葉桜になった木の陰を出て、豪雨に打たれる老人がいた。
真っ白な髭を蓄え、縦に長い不思議な形の帽子を被っている。老人の姿が時折ブレて透けて向こうの景色が見えるのはきっと目の錯覚なんかじゃない。
目は閉じていて、長い着物で全身を覆い片手に杖を持っている。
まるで以前甚伍が読んだ本に出てきた神様のような出で立ちをしていた。
隣の少年は登下校口の端に寄り、老人から目を逸らさずじっと何かを考えていた。
私に言葉が漏れてこないところを見るに、もう焦りは薄くなったみたい。
甚伍が頭を悩ませているのはいいとして、私も私で考えないといけない。どうやってあの老人を避けて家に帰るか……。
――皆に倣って帰れるんじゃない?
「そう、だ……僕が気にするから悪いんだ。気にしたら負け……うん」
なんとなくで精神干渉をしてしまったけど、意外に悪くない選択な気がしないこともない。だって他の子供は普通に帰れているんだもの。甚伍だけ帰れない道理はないわ。
何やら呟いて、頷いてから緊張を顔に残したままの少年が歩き出す。他の生徒と同じように傘を開き、そそくさと校門へ向かって進む。
できるだけ雨の老人からは離れ、桜の木を遠巻きにする形で歩けば、意外にも老人がいる場所は簡単に抜けられた。
桜の木を横目に露骨にほっとした顔を見せる甚伍だったけれど、次の瞬間私たちの目の前に老人がいた。
「カァァァァァァツッッ!!」
「うわああああ!」
『きゃあっ!!』
そして甚伍は吹き飛んだ。ごろごろと地面を転がり、転がった勢いのまま立ち上がって校舎に帰ってきた。傘は何とか無事で傷一つない。甚伍もまた長袖の制服のおかげで傷一つなかった。どう考えても怪我するはずの動きだったけど、事実怪我してないんだから気にしちゃいけない。
私はその場でびくりと肩を跳ねさせて、老人をぴっと睨んでから甚伍の下へ戻る。すごく驚かされた。とっても文句が言いたい。ほんとに。一切届かないから言えないんだけどね!
「くそぉ、なんだよもうっ。見えてるんだから行けるわけないじゃん!僕の馬鹿野郎!うぅぅ……」
泣きそうな顔で文句を言う少年。ごめんね。今のは私が悪かった。適当な考えで歩かせたのは私のせいよ。次はちゃんとするから許して。
溜め息を一つ。同時に隣からも聞こえてきた。ちらと見れば甚伍も重い息を吐いていた。
どうしようかしら。これで普通に帰れないことが確定しちゃったわけでしょ?なんで私たちに干渉してくるのよ。他の子だってたくさんいるのに、急に狙い撃ちしてくるじゃない。雨の神様が私たちに何の用が――――。
『……雨の神様?』
なんか引っかかった。
あの老人が神様っていうのは仮定よね。見かけ姿と、雰囲気と。それにさっきの行動と。前回の骸骨みたいに甚伍に危害を加えなかった――衝撃波は怪我になってないから良い――から、悪い奴だとは思えない。根本的に嫌な感じはしないし。
神様だって仮定して、じゃあなんで怒ってるのかって話よね。
――神様への対応は。
甚伍に送る思念は曖昧で、本当はあんまりこういう使い方をしても意味がない。本来精神干渉はさっきみたいな行動の変化だったり考え方の変更だったりするから。でも、今の混乱した頭になら一つの案として浮かばせることができる。
(神様……神様か……)
それに、この少年は不思議探求部なんていう今の状況に打って付けな部活に入っていたりもするから。だからきっと。
(雨の神様ならお祈り。雨乞い……雨乞い?)
はっと顔を上げて、空を見上げる。朝からずっと降り続いている雨。テレビの天気予報では一切雨の予想なんてなかったのに、今日は一日降ったままで止む気配はない。
甚伍の言葉を聞いて、私は理解が及んだ。
神様。お祈り。雨乞い。
例えばこの雨が、どこかの誰かが雨乞いをした結果だとして。あの老人が、その祈りを聞き届けた神様だとして。
祈りに応えた結果、人が願ったことすら無かったかのように雨を避けていく様を見たらどうなるか。怒る。すごく怒る。私だったらとっても怒る。
「はは……そういうことか」
小さく笑って何か言う甚伍も、きっとわかったのだと思う。
私なら怒るけど、神様は怒らない。そんなことで怒ったりはしない。でも、祈りに応えたことを無下にする人間にお説教はするかもしれない。人の願いを聞き届けてくれる神様はきっと、すごく優しいから。
改めて老人を見て、それから隣の少年を見る。
甚伍は傘を閉じ、鞄を背負って歩き出す。傘は手に持ったまま。開かないようしっかり畳まれていた。
桜の木のすぐ傍で立ち、じっと目を閉じていた老人の前まで行く。雨に打たれ、髪から、顎から、手から雫を落として立ち止まる。
静かに、深々と頭を下げて。
「ありがとうございました」
短く、けれどしっかりとした声でお礼の言葉を伝えた。
老人は目を閉じたまま。
「うむ」
とだけ言ってくるりと身を翻した。
甚伍は頭を下げていたから見えていなかったと思うけど、私には見えていた。老人が雨に紛れ姿を変え、細長い竜の姿になって空高く昇っていく姿が。
透き通った体の、大きく綺麗な竜だった。雨を降らす空へ、雲を突き破るように先へと消えていく。
それは私がこの世海で見たもので、甚伍の瞳の次くらいに美しい景色だった。
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