第五話、少年と骸骨と学校④。

 空中を飛び、歩く骸骨(今は転んでるけど)から逃げる少年を追う。

 

(どうしようどうしよう……ほんとにどうしよう。次は……くそ、次なんてないよもう)


 外階段を下り、別の階で校内に戻った少年から思念がこぼれてきた。

 焦りに満ちた声が私の胸に突き刺さる。


『…………』


 案は、ある。

 たぶんきっと、これなら解決するだろうっていう案。他にあるわけないでしょって、そう言いたくなるような解決策。でも私は、それを甚伍に勧めたくなかった。そんなことをさせたくなかった。


 だけど。だけど、これはもうそれしかないのかもしれない。他に打つ手がない。私にも甚伍にも。やれるだけのことはやった。


 ぐっと強く拳を握り、歯を嚙み締めて目を閉じる。

 数秒だけそのままでいて覚悟を決めた。私のやるべきこと。幽霊らしく、少年に取り憑く霊体らしく、精神に干渉して無理やりにでもやらせましょう。どんなことをしたとしても、やっぱり私は、この子に死なれるのが嫌だから。


 ――家庭科室に向かいなさい。


「っ!」


 胸の奥に溜まる嫌な物を押し込んで、走る甚伍に付いていく。骸骨の歩く音は聞こえない。まだ距離はある。


 家庭科室そのものも現在地からそう離れた場所になかったから、一分もすれば到着できた。険しい顔で必死に表情を取り繕う少年を見て、見つめて。じっと見つめる。私と目が合わなくても、これからのことはちゃんと私が見ておかないといけないから。


 がららら!と勢い良くドアを開けた甚伍に、もう一度精神干渉を行う。


 ――左手の薬指を切り落としなさい。


「……う、あ」


 半ば伝わっていたことではあっても、はっきりと頭で理解するのとは違う。少年の躊躇がよくよく伝わってくる。それでも、やらないといけない。


「う、くそ、なんでだよなんでっ!」


 声を荒げ、涙を拭いながら家庭科室の机を漁って包丁を取り出す。無理やりに呼吸を抑え、震える手で刃物を握り込んだ。

 右手が持ち上げられ、左手の指に添えられ――ようとするところで止まる。躊躇っている内に家庭科室の天井が壊された。埃が舞い、視界が悪くなる。


 そんな中でも、落ちてきた破片が少年の頭に当たったのは見えていた。体勢を崩してよろめき、咄嗟に机に手をつき耐える。


 差し込む夕日に照らされ、私の目に焼き付く赤い色。黒髪を染める赤が、流れるように溢れ垂れていた。


 甚伍は頭の後ろに手をやり、ぬめるそれを、逆光で見にくいそれを確認する。赤く染まる手は命の色をしていて、鉄錆の香りが私たちの鼻を衝く。改めてこの骨が平和な存在でないことを鮮明に伝えてくれた。


 足音がなかったのは上の階にいたから。おばかだと思っていたけれど、律儀な部分もあると思ったけれど、やっぱり化け物は化け物で。行動が人に予測できるような甘いものじゃなかった。


 だからこそ、こんなふざけた出来事は終わらせなくちゃいけない。


 ――やりなさい!!


 もう一度、今日何度目かわからないくらいの精神干渉を使う。やらないと死ぬ。それだけは許せないから。許しちゃいけないからっ。


「ああああああああああああ!!!」


 絶叫し、よろめきつつも握りしめたままでいた包丁を自身の左手の薬指に叩き付ける。

 ストン、と異様に軽い音がして。甚伍の指が一つ手から離れた。痛みでおかしくなりそうだという思念が伝わってきて、罪悪感でズキズキと痛む胸を抑えながら、彼に最後の精神干渉を行う。


 ――指を渡すのよ。


 ここまでして一か八か。これでだめならもうどうしようもない。賭けでしかないけど、最善は尽くした。


 震える手で指を拾い、スッと背骨を伸ばし直立不動の体勢を取る骨の前に跪いた。目を逸らしながら床に指を置き前方に差し出す。私もまた、甚伍を一人にしないよう、気持ちだけでも寄り添えるようにと彼の隣に正座し頭を下げた。


「――――カコン」


 骨は、指を拾った。微かに視界の隅に見えた手は白く細く、肉も皮も一切ない骨だけで作られていて、今なお血を垂らす薬指とはまるで違うもののようだった。


 数秒か、十数秒か。

 甚伍の心の悲鳴と恐怖だけが聞こえ、あとは何もない。そっと顔を上げると、骸骨が少年の頭に手を伸ばしていた。


 何をするのかと驚き、止めようとするも私の手は骨をすり抜けて先にいく。


 甚伍の頭に骨の手が触れた瞬間視界すべてが輝いて――――。



『……え』

「…………あ」


 気づけばそこは、学校と甚伍の家との間の道だった。帰り道の途中。日は沈み切り、辺りは夜の闇に包まれていた。

 街灯に照らされた周囲を見渡すと、遠目ではあるけれど前にも後ろにも生徒の影があった。自転車、自動車、歩行者。人影があり、生きる人の気配がある。


 さ、っと甚伍を見ると、彼は呆然とした様子で周りを見て、それから自分の手を見た。左手を。左手の薬指を。


「う、ぁ……ぁ」


 声にならない声が聞こえた。痛みと、喜びと、安堵と。

 ぽろぽろと涙を落として、ぐすぐすと弱く鼻を鳴らしながら少年は家に向けて足を動かす。失ったと、自ら切り落としたと思った指を左手と右手で確かめ、大事に守るようにして歩く。


 そんな少年の姿を見て、聞いて。

 私は一人、重く重い溜め息を吐いた。宙空に溶けていく息は私の込めた重みなどなかったかのように流れていく。


 よかった。ひとまず、本当に。よかった。


 何が起きたのかは全然わからないし、結局解決策はあれでよかったのかもわからない。今の状況だけを見れば、きっとよかったんだとは思う。

 でも、とりあえず最後にこれだけは言っておかないと。


 ――頑張ったわね。


 これが本当の本当に今日最後の精神干渉。誘導するものじゃない、ただの私の気持ち。この言葉が通じるかはわからないけれど、伝わったらいいなと思う。あれだけ頑張った少年を、私だけがずっと見ていた甚伍が、誰にも何にも認められず褒められずに苦しい記憶だけで終わるなんてあんまりだから。


 甚伍は一度足を止め、涙を流しながら小さく頷いて再び歩き出した。

 伝わったのか伝わっていないのか。今はわからない。でもいつか、いつの日か。私がこの少年と、石海甚伍と話せるようになった時、もう一度褒めてあげたいと思う。


 少年が私の思いを受け取ったかどうかわからず考えている間も、彼はとぼとぼと家に向かって歩いていた。そんな姿を見て、どうしてかいつもの日常に戻ったような気がして。私は苦笑しながら、かっこいい一人の少年の背中を追いかけた。

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