第四話、少年と骸骨と学校③。

「え?」

『え?」


 声が聞こえた。この響きは日本語。当然私には理解できない。

 音の方向を見ると、それは一枚の絵だった。布が掛けられていなかった人物絵。まさかと思って見ていると、絵の中の人が口を動かしていた。本当にまさかよ、これ。


「……誰ですか」

「私かい?私は"喜劇悲劇の男役"さ。素晴らしい名前だろう?私を描いた男が名付けたものさ。元は日本ではなくイタリアで描かれたものでね。こちらに来てからもうずいぶんと経った。私が目覚めた時には既に日本にいたから、私はイタリア語なんてさっぱりなんだがね。ははは。いやしかし、君は誰だい?こんな時間にどうしてここへ?どう見ても君は普通の学校の生徒だろう?少々不格好だが制服を着ているようだし、霊感を持つ生徒は久々だがこのような時間に来るのは初めてだ。ん?いやそれよりジジルはどうした?まだ部屋の鍵は彼が持っていたはずだろう?あぁいやしかし、そうとも限らないか。彼も高齢だからな。職員室から持ってきたという線もあるな。どっちだい?おっとそうだ。ジジルのことを言っていなかったね。ジジルは美術の講師をしている青年、ではないな。ははは。長いこと彼と共にいたから時間がね。昔は彼もなかなかに美顔な青年だったのだよ。今となっては髪の薄い老人だがね。時間とは残酷なものだ。しかし私は今のジジルも嫌いではないのだよ。年を重ねて貫禄が出た彼も彼でね、昔のジジルの面影は残っているのが彼らしいのだ。まあ彼本人なのだが。ははは。話を戻そうか」

「ちょ、ちょっと待ってください!!」

「ん?あぁすまない。少し喋りすぎたかい?」


 全然お話わからなかったけど、この絵がものすっごくお喋りなのだけはわかった。甚伍が途中で話を止めたのもわかったわ。


 絵が喋ってるとか意味わかんないけど、動く骸骨も意味わかんないからそこは納得しておく。


「すみません。変な骸骨に追われていて、それの対処法を探しているんです。何か知りませんか?」


 人物絵は肩から上が描かれていて、鼻の高い金髪の男の人が表情豊かに喋っていた。気品ある服装は貴族っぽいけれど、よく動く表情が軽薄な印象を与える。……それにしても本当によく動く絵ね。


「骸骨?いや知らないな。骸骨骸骨骸骨。悪いね、思いつかないな。しかし君は面白いな。君の話だと骸骨が動いているわけだろう?講師が誰もそれに気づいていないということは、ここが異界と化しているということになる。なるほどなるほど面白い。さっきから少年がおかしなモノを持っているような気もしていたが、どうもそれは気のせいじゃないようだ。しかしそれとはまた無関係のような気もする。むむむ、ここにジジルがいたらまた楽しかったのだがね。あぁ彼は探偵の真似事も好きでね。二人で推理小説を読んではよく話し合っていたのさ。ははは、彼は推理が下手くそだがね。見当違いの推理ばかりで、それがまた面白いのだよ。生徒ならジジルと話す機会もあるだろうが、彼はシャイだからな。無愛想で生徒にも心をあまり開かないだろう?時間があれば私とのことを話すと良い。興味を持つことだろう」

「すみませんっ。もう行きます、ありがとうございました。失礼します」

「おっとそうかい?なら親切な絵画らしく君に助言を送ろう。骸骨の話なら音楽室に行ってみるといい。あの場の偉人たちなら何か知っているかもしれないよ」

「え?は、はい。ありがとうございます……」

「ははは、良い良い。早く行くといい。私にも足音が聞こえてきた。歩く骸骨か。私のところまで来るのだろうかね。面白いが向こうは私に興味はないのだろうね。あぁ寂しいものだ。骸骨が来ないなら一眠りでもしようかね。絵画らしく止まって眠って静かにと。はははは――――」


 ひたすら話し続ける絵から逃れ、甚伍は急ぎ足で美術室を離れる。

 もう骸骨の足音は近くまで来ていた。


(音楽室か……ここからだとどう行けばいいんだろう。とりあえず逃げないと……)


 音楽室?どうして音楽室に?

 疑問はぐっと呑み込み、急いで壁を通り抜けて廊下に出る。


『まったく変な絵だったわねぇぇやあぁあああ!!!?』


 骨の顔ドアップはやめてくれるかしらっ!!!??

 私、そういうの嫌なんだけど!…………はぁ、びっくりした。壁越えた先に急に骸骨いるじゃないの。やめてもらえる?めちゃくちゃ距離近いじゃない。ていうかあなた、また壁壊す気?……あ、壊さないのね。また普通にドア開けるの。その基準何なのよ、もう……。


 ――骸骨は後ろのドアから入ってくるわよ。


 とりあえず甚伍には精神干渉で情報を伝え、前から出てもらうことにする。

 骨は保健室の時と同じようにちゃんとドアを開けて入ろうとしているので、甚伍も逃げ出しやすい。今のところ鉢合わせしなくて済んでいる。


 なんとか美術室から脱出し、私たちは音楽室を目指す。何故音楽室なのかは知らない。想像だけど、さっきの絵が音楽室に仲間がたくさんいるよ!とか言ったんだと思う。余計なことをとも思うけど、私は何にも思いつかなかったから文句は言えない。もう向かうしかないのよ。


 定期的に休憩を挟めているおかげか、体力は問題なさそうな甚伍に付いて廊下を進んでいく。

 音楽室は確か四階か五階にあったはずなので、甚伍もかなり疲れてしまいそうではある。骨は……上り階段だとあんまり時間稼ぎにならないのよね。理科室の時そうだったもの。


(音楽室がだめなら薬剤でどうにかしてみよう。……どうにかなる、どうにかなるさ……)


 不安を誤魔化しながら階段を一段ずつ上がっていく。

 骨の音は聞こえない。少しは余裕がある。あるけど……明確な解決策がないせいで徐々に焦りが見えてきた。


 もしものもしもとして、ずっと頭の片隅に考えがないこともないけれど。……いえ、今は音楽室ね。それに甚伍の持つ薬もあるもの。大丈夫よ。大丈夫。


 長い階段を上り切り、廊下を突き当たりまで進むと音楽室があった。ここは入口が一つしかないので逃げるのは難しい。――と思いきや、意外に意外、私は知っている。この音楽室にはちゃんと"非常口"が設置されているということを。


 "非常口"。

 緑色の看板に簡素な人型の模様が描かれた案内板のようなもの。目印としてわかりやすく、私も甚伍がこぼした声を聞いて知った。子供の多い場所なだけあって、どこの教室にもそういった緊急用の脱出手段は用意されているらしい。火事とか怖いものね。良いことだわ。


 今までと同じくがらがらと扉を引いて開き音楽室に足を踏み入れると、突然音が聞こえ始めた。


 軽やかな旋律は流麗で、止まって聞いてみれば一つの楽曲が奏でられていた。曲名は知らない。

 音の元を辿ると黒のピアノが一つ。音楽の授業だと八割くらいは使われていた記憶がある。もちろん甚伍は弾けない。


 綺麗な音色は聞いていて心地いいけれど、問題が一つ。

 ピアノには弾き手がいなかった。大変。動き回る骸骨、喋る絵に続いて、勝手に弾かれるピアノが追加されちゃった。


 そう音も大きくないし害はないかと思って、ひとまず部屋を見渡す。

 あまり楽器はなく、机と椅子の山が端に寄せ置かれている。右奥には別の部屋に続く入口があって、そちらに楽器の多くが飾られている。非常口もそちら。前に授業中暇で外を見に行った時、非常口から先が階段になって下に続いていたような記憶がある。


 壁や床は他の教室と違う不思議な素材で、壁の上方には有名人らしき絵がずらりと横に並び飾られていた。きっと昔の音楽家の人たちね。


「――――?」

『……甚伍?』


 ある程度見渡して不思議ピアノ以外何もないことを確認した。そんな時、甚伍の様子がおかしいことに気づく。何やら口をぱくぱくと開けて閉じてと繰り返している。


『どうしたの――まさかっ』


 精神干渉を使うか迷って、先に答えが見えてしまった。

 音が、ない。そう、音がなかった。ピアノの音以外に一切の音が聞こえない。呼吸や衣擦れの音もなければ、床を踏む足音もない。リズムを刻むピアノの音だけが延々と聞こえ、他に聞こえるものはない。


 甚伍は口を開け閉めして遊んでいたわけじゃなかった。ちょっぴり疑っちゃったわ。ごめんね。


(声が出ないの、これピアノせいだ絶対)


 心の声は聞こえるのね。

 とはいえ、これで私の推測は正しいとわかった。


 ただ素敵な音を奏でるだけのピアノじゃなかった。結構ちゃんと迷惑なピアノだった。どうしましょう。これじゃあ足音聞こえないわよ。骸骨来ても……って、それは私が見張っていればいっか。


 ――用事は手早く済ませなさい。


 私は甚伍が音楽室で何をしたいのか知らないので、さっさと終わらせることを勧めて部屋の入口に戻る。


 ちょうど音楽室への入口が境目になっているのか、一歩外に出るとピアノの音は一切聞こえなくなった。戻るとすぐに聞こえてくる。不思議で不気味なピアノだった。


 今回はドアを閉めていないので、そのままの体勢でちらと部屋の中を見れば、甚伍が壁の上に取り付けられている肖像画を見上げていた。肖像画の方も美術室同様顔が動き、少年を見下ろしている。こっちの絵も動いて喋る謎の絵らしい。


 私は音楽室の外にいるのでピアノの音は聞こえず、代わりとばかりにコツコツと軽い音が鼓膜を揺さぶってきている。


 ――そろそろ骸骨が来るわ。


 心に干渉し、情報を伝える。ばっとこちらを見て、顔を引き攣らせる少年。話は全然進んでいない様子だった。さっきのピアノの音があるんじゃ話も何も、と言いたくはなる。


(無理だ……どうすればいいんだよこれ……)


 諦めを色濃くした言葉が私に届く。

 それと同時に視界の隅に骨の姿が映る。予想通り、早々とやってきてしまった。


 私に出来ることはない。だからどうにか甚伍に頑張ってもらわなくちゃいけない。


 ――持っている薬を使いなさい。


 私のいる側(入口側)を見ていた少年が手元の薬剤を見る。顔を上げ、もう一度映った瞳には覚悟の色が見えた。


 密かに罪悪感を抱きつつも、私はただ、静かに少年の動向を見守る。


 何をするのかと思っていたら、最初にこちらへ向けて走ってきた。

 急いで包帯を伸ばし、鋏で切ってテープでドアと音楽室の内壁を留める。かなり下の方にあるので、もしかしたら骸骨が引っかかるようにとの罠なのかもしれない。遠くに骸骨見えてるし、さすがにこんなのに引っかからないとは思うけど……可能性はゼロじゃないわ。


 包帯をピンと張った後は手持ちの薬剤を振り掛け染み込ませる。どんな薬なのか知らないけれど、甚伍が保健室で探していたものがこれだとすると、ある程度の効果は見込める。私も少しは期待が持てる。


 罠を作り終え、再び走って奥の部屋へと向かう。ドアを開け、同じ細工を施しているのがここからでも見えた。


 甚伍本人は非常口から逃げようとし、考え直したのかこちらの部屋に戻ってくる。


(音がないならピアノの後ろで一度隠れておこう)


 冷静で大胆な行動だった。

 と、考え見ている間に骸骨は近づいてきて、普通に音楽室に踏み入れて普通に罠に引っかかって転んだ。


 勢いよく頭から倒れたにしては無音で骨が転び、私が唖然としている間に甚伍は素早く近づき持っていた薬剤を存分に振りまいた。


 中身が何なのかは知らないけど、きっと骸骨に害がある代物。たぶん直接人に振り掛けていいものじゃない。


 躊躇せず薬剤すべてを骨に振り掛け、空になったボトルは投げ捨てる。ほんの数秒骸骨の様子を見た後、すぐに非常口へ向けて駆け出した。


 甚伍の代わりに骨を見守っていると、何事もなかったかのように床に手をついて立ち上がる。振り掛けられた薬剤も効いていない様子――でもない?


「――――」


 ピアノの音にかき消されて何を言ったのかわからなかった。まあ聞こえても何言ったのかわからないんだけど、とりあえず立ち上がって薬剤を落とそうと頭を振っている。フリフリ横に振って、しょんぼりした様子で肩を落としていた。

 その後、何事もなかったかのように歩き出す。どことなく背骨から哀愁が漂っているような気もする。


『……はぁ』


 溜め息を一つこぼし、現状への嘆きを呑み込む。

  

 音楽室での成果は何一つ得られなかった。甚伍の雰囲気で察した。顔は強張っていたし、ピアノのせいで他の音何も聞こえなかったのは私も知っているし。

 薬剤の効果も、こうして見たからよくわかる。効き目はきっとない。あったとしても微々たるもの。だめだった。この骸骨が結構感情豊かでおばかっていうのはわかったけど、だからってこの意味不明な状況が解決するわけじゃない。骸骨退治なんてできないわ。


 頭を振り、気持ちを切り替えて甚伍を追う。

 音楽室では二個目の罠に引っかかっている骸骨がいた。やっぱりこの骨、おばか。

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