第三話、少年と骸骨と学校②。

 一言だけ呟いて立ち止まる甚伍を見て私は頭を回す。

 まず、私たちを追ってきているあの骨はここにあった骨と考えて良さそう。私たちを狙う理由はわからない。もしかしたら攻撃されないかもしれないけど……それは楽観的過ぎる。じゃあどうすればいいか。


 さっきの甚伍の考えだと、欠けた部分を返せばいい。それが違うものであっても骨であればそれでいい。欠けていた、人間の薬指の骨。そんなものがどこにあるか――。


「カコカコカコ」


 思考を打ち切るように骨の音が聞こえてきた。

 足音は消え、代わりに甚伍の荒い息が耳を揺らす。必死に声を押し殺そうとしている。海色の瞳の縁からは雫が滲み出てきていた。


 どがぁぁん!!と、想像でもなんでもない本物の音を出して、私たちがいるすぐ後ろの壁が吹き飛んだ。壁の欠片がこちらに飛んできて甚伍の腕を擦る。服を裂き、さっと肌に赤色の線が通るのが見えた。


「う、ぅうあっ」


 弱弱しく声を上げながら、少年は必死に足を動かす。何もできない私自身が歯痒くて、それでもと今は頭を回す。


(どうしてなんでなんでっ)


 甚伍の頭の中は理解不能でいっぱいだった。

 この子は……確かに察しは良かった。即座に骸骨の欠けている部分を見つけたのは良かった。動き出しも、理科室に向かったのも。でもそこまで。

 だってまだこの子、十五歳なんだもの。それだけできてもっと頑張れって無理に決まってる。だから私が何か考えてあげないと。口も手も出せない私だけど、このまま少年を見過ごして死なせるのはすごく……ものすごく嫌だから。


『骨……骨……骸骨……』


 思考に没頭する。周囲の景色が目に見えて鈍くなるのは錯覚なんかじゃない。この身体の時の私は思考加速ができるので、頑張れば少しは解決策を導き出せる……かもしれない。後で異様に疲れるのはしょうがないと割り切る。今は甚伍の方が大事だもの。


 遠のく足音を耳にしながら、骸骨という単語を頭の中で転がす。


 骸骨と学校を結び付けようとすると、やはり最初に出てくるのは理科室だった。人体模型、骨格標本。授業で取り扱うのだからあってもおかしくない。甚伍の学校だけでなく、他の学校にもあることだろう。じゃあ他に骨格標本が置いてあるところは?と考えると……。


 ――保健室に行きなさい。


 言葉を思いに乗せて、なんて綺麗な言い方はできない。甚伍に憑いている私に唯一できる、精神操作のような代物。普段はほんの少し心向きを変えられる程度だけど、心の弱っている今は本当によく効いた。


 方向転換をし必死に走る甚伍と、追いかけてくる骨。救いは骨の足が遅いこと。それだけでも十分助かる。


 階段を下り、保健室への廊下を直走る。

 途中で足がもつれ転び、それでもすぐさま立ち上がったことからは甚伍の潜在能力を強く感じられた。正直こんなに走れたんだって驚いてる。


「はぁ……はぁっ……」


 息は荒くともまだ足は動くらしい。呼吸を整える暇もなく横開きのドアを引き開け、カーテンの多い部屋へ踏み入れる。

 他の教室よりも手狭で、仕切りとなっているカーテンの合間にベッドが見えた。奥に進むと棚に医薬品らしきものが置かれており、壁にはカレンダー以外にいくつか紙が貼られていた。


「……人の身体の絵か」


 ぽつりと呟く甚伍が何と言ったのか私にはわからないけれど、彼の見ている絵を見て察しはつく。


 人体の絵。

 壁に貼り付けられている絵の中には、保健室らしく人体を示したものがあった。少しデフォルメされてはあるものの、上から下まで臓器を含めた人の身体を表している。個々の部位に文字が書かれていて、それぞれどんな名前なのかよくわかるようになっている。丁寧な一枚絵だった。私には一切伝わらないのが玉に瑕。


 感心を覚えながらも絵からは目を逸らし、骸骨に関連するものを探す。

 求めるのは人体模型。理科室にあるなら保健室にもあるでしょうとの考えだった。


 保健室って怪我を治療するところだし、あるかなと思ったんだけど……ないわね。絵しかなかった。困ったわ。

 言い訳だけど、甚伍って一度も保健室来たことなかったから私も何があるのか知らなかったのよ。まあ来たことあっても忘れてたかもだけど。


 ――適当に何か使えそうなもの持ちなさい。


「……使えそうなものか……使えそうなものなぁ……」


 ぼやく甚伍を横に置いて、私は保健室を出る。

 大盤振る舞いの精神干渉だけれど、別に私が甚伍の近くにいる必要はないのよ。保健室の中見て回って何もないのわかったし、どう考えても私は外で見張りしていた方がいい。あの骸骨、私のこと見えてなかったみたいだし。


『……』


 ……。

 …………。


『……来ないわね』


 じっと待っていると、なかなかに遅い骸骨への緊張と不安が募ってくる。

 来るなら早く来てほしい。でも来てほしくない。甚伍も早く良さげなもの見繕ってくれないかな。というかもう終わってる説ないかしら。


 ちらっと閉まっているドアを透過して中を覗く。

 きちんと扉を閉めた甚伍からは動く骨への些細な抵抗を感じる。でもこれ、たぶん意味ないのよね。さっき理科室の壁壊されたちゃったし、ドアも無視して壁を壊してくるかもしれないもの。――あぁでも、それが狙いならありかもしれないわ。そこで一呼吸挟むだけで甚伍が逃げる隙に繋がるかもしれないし。甚伍、天才?


 保健室内ではわたわたと何かを探している少年がいた。あんまり余裕はなさそうで物が放り出され床に散乱していた。


 すぐに外へ戻り、見張りを続ける。

 時間にして数十秒か。次第にカツカツとした嫌な音が近づいてきた。やけにゆっくりだったのは骸骨が階段を下りるのに手間取ったからだと思っておく。体感だけでなく正しい時間としても外にいた時より追いついてくるのが遅くなっている。


 階段で転んだら骨折するものね。しょうがないわよ。もちろん転んで骨折ってもいいわよ。


 考えている間にも骸骨は近づいてきて、気づけば私の十数メートル前方まで来ていた。傷一つない人型の骨が夕日を浴びて床に陰影を作っている。


 ――次は美術室に向かいなさい。


 思念を投げ、私は外で骸骨の動向を見守る。

 どうやってか知らないけれど、この骨、甚伍の居場所を特定しているみたいなのよ。理科室の時もそう、保健室も――……もしかして、道に迷ってたから遅かった?いやないわね。そんなわけないわよ。


 迷子疑惑のある骨は今回も壁を破壊し部屋に侵入するかと思いきや、律儀にもドアに手をかけてきちんと引いて開けた。意味がわからない。何なのよこの骨。


 動く骨と一緒に保健室を覗き込む。


『……ふふん』


 そこに甚伍はいなかった。勝ち誇る私。私たち、天才。


 眉をひそめ――てはいないけど、困惑しているような雰囲気の骸骨を他所に、私はいなくなった少年を追う。


 探され人である甚伍はというと、普通に廊下にいた。音を立てないように走っている。位置としては私と骨がいた場所よりも奥の通路。

 保健室はドアが二つあるので、骸骨が開けた方じゃない扉からそそくさと脱出してもらった。私は特に指示を出していないので少年の独断だったりする。理科室での動揺もなくなり、思考も冷静になった様子。少しは安心できる状況になった。


 向かう先は美術室。

 保健室で見た人体図を見て思いついた。もしかしたらあの骨が美術室の絵から飛び出してきたんじゃないかって。ありえないことはない……と思いたい。希望的観測ではあるけれど、可能性はゼロじゃない。理科室のいなくなった骨格標本は見なかったことにするわ。


 走る甚伍の傍を飛びながら、彼の持つものを見る。


 鞄はない。この不思議な異海に紛れ込んだ時点でなくなっていた。ポケットに物を入れようにも、走りやすさを考慮してか何も入れていないらしい。私は英断だと思う。

 鞄もなければ収納場所もないので、持てるものは限られている。手に持てる大きさであまり重くないもの。


 少年が選んだのは包帯とはさみとテープと、謎のボトルだった。ペットボトルのようで違う、不透明白色な縦長の容器。容器には日本語で"次亜塩素酸ナトリウム"と書かれていた。ごめんね。私、日本語読めないの。


(美術室で何を見ればいいんだろう。……骸骨の対処法なんてわかんないけど、絵に封じ込めるのが定番っちゃ定番か。……骸骨に効くのかなぁ)


 甚伍の心の声に同意しながらも、私たちは美術室に向かう。他に選択肢は……ないのよ。


 道順としては保健室から離れて幾度か角を曲がった先になる。距離はそれなり。ただ階段を挟まないので、骸骨との距離を離すには向いていない。おそらく先ほどのように長い時間稼ぎにはならない。

 骨への対処法があるならそれを見つけて、ないならないで次の逃げ場所を考えないといけない。


 走ること数分。

 落ち着いたペースで走っていた甚伍の息が再び切れてきた。同時に見える美術室の扉。私も授業に付いていって何度も入ったことがある。


 がらがらと戸を引き、先ほどと同じく閉める。


 美術室の中はこれまでで一番広かった。等間隔に並べられた厚い木の机と椅子。水道があり、壁には誰が書いたか様々な絵が飾られている。壁際の棚には絵の具や各種筆が多数置かれており、過去の授業を思い起こさせる。甚伍って、あんまり絵上手くないのよ……。


 窓からは相変わらずの夕日が差し込み、部屋全体を橙色に染めていた。何度見ても綺麗で、不気味だった。


 ドアは二つあるので、両方の位置を確認しておき逃走経路を確保しておく。冷静な甚伍に私の心も休まる。


 奥に進むと白い布が掛けられたキャンバスがいくつも並び、元から布が掛けられていない人物絵が一つだけあった。それぞれ布をちらりとめくり、骸骨絵がないか、何か抜け出した後がありそうな絵がないかと見ていく少年。一つもなかった。悲しい。


 ちなみに次の目的地は決まっていない。困った。本当に困った。


「――まさかまさかこんな時間にこの場を訪れる生徒がいるとはなぁ」

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