第二話、少年と骸骨と学校①。

 少年、石海いわみ甚伍じんごの学校――日本では学舎のことを学校と呼んでいるらしい――は彼の家から歩いて十分のところにある。毎日の習慣の如く八時半に家を出た少年は、同学校生らしき子供と並んで歩いていく。並んでいても特に会話はない。距離も近くない。


 甚伍にはあまり友達がいないので、登校中に会話をするなんてことはない。私が友達になってあげたいとは思うけど、年齢も違えば会話もできず、何なら姿すら見えないのだから友達以前の問題だったりする。可哀想な甚伍。せめて応援だけはしてあげましょう。


 他人わたしから哀れみの視線を向けられているとはいざ知らず、少年はいつも通りに学校の校門を抜け自身の所属する教室に向かっていった。


 少年の身上に関して、私にはそれなりに知っているという自負がある。何せ、この一年毎日のように付かず離れず観察してきたのだから。


 少年。名前は石海甚伍。年は十五。つい先日誕生日を迎え十五になった。

 身長は私より小さい。体重も私より軽い。全体的に小柄で、短い黒髪も相まってこれぞまさに少年と言える背格好だった。そして何より特徴的なのがその青い瞳・・・。空よりも濃く、海より深い濃青色の瞳を持っていた。


 こんなにも綺麗な瞳は私の世海でも見たことがないほど美しく、永遠に眺めていたいような、そんな気持ちにさせられる。


 少年の両親の瞳は茶色と橙色なので、何がどうなって青く染まった色の瞳になったのか結構な時間を費やして考えるはめになった。答えは全然得られなかったけど。


 石海甚伍の誕生秘話はさておき、彼の誕生日について。実はこの国、というかこの世海、一年が十二に分けられている。我ながら結構な驚き案件だと思う。

 私の知る一年は二十四か月なので、綺麗に半分。この綺麗さもまた世海同士の結び付きに繋がっているのかもしれない。


 一年が十二か月なので、当然誕生日も十二か月に一度来る。

 私の二倍の速さで歳を取ると考えると、少しだけ寂しくもある。寿命とかどうなのかしらね。その辺まだ知らないから、知りたいような知りたくないような……。何とも言えない。


 そんな、今はまだ年下(この世海基準で)の十五歳成り立てな少年は、教室に着くなり学友と適当な挨拶を交わして椅子に座り、授業が始まるのを待っていた。教室にいる同級生とは当たり障りのない会話をするだけで、あまり積極的に交流を図っている様子はない。甚伍はちょっぴり雑談が苦手な子だった。


 彼が待っている間は私も当然暇なので、教室を漂いながら壁に掛けられている表で目を留める。数字が時間単位で分けられた表、時間割だった。


 甚伍の学校は午前中に二つ、午後に三つの授業が入っていて。

 割り振りとしては、


 09:00~10:30

 10:40~12:10

 昼休み

 13:30~15:00

 15:10~16:40

 16:50~18:20


 となっている。五つ目の授業は毎日ではなく週に二日というもので、カリキュラムはかなりしっかりしている。授業内容も数学から始まり外国語、歴史に芸術と幅広くやっているため、教育としてはやはり整えられていると言える。

 とはいえ、私に理解できる授業は数学や"国語"くらいなので結構な時間が退屈だったりもするのだけど。


 大体そんなときは甚伍の瞳を眺めて時間を潰すので、それはそれでとても楽しくはある。むしろ定期的にそんな時間がほしい。


「はいじゃあ始めますね。前回の続きから。皆さん教科書の三十七ページを開いてください」


 ぼんやりしていたら授業が始まった。規則的な学校のチャイムも鳴っていたはずなのに完全に聞き逃してしまっていた。

 最初の授業は国語らしい。ぺらぺらと紙をめくる音がよく聞こえてくる。


 国語。

 日本という国の言語に纏わる授業。


 ざっくり言うと、日本の有名な作家さんの小説を読んで色々考えましょうっていう授業。作家さんにはすごい昔の人もいれば新しい時代の人もいるから、当時使われていた言葉を学んだりもする。


 そんな"日本語"ばかりが使われていて意味不明な授業を、どうして私が気に入っているかというと。


(――先生の言葉はちょっとそこで途切れたが、別に私の返事を期待する様子もなく、すぐその続きへ移って行った)


 これだ。

 石海甚伍という少年は、集中して本を読むときだけ心に情景を思い描いて文章を読む。それは心の中から溢れ出し、彼の外にいる私にも届く。


 甚伍の言葉は日本語であるはずなのに、私には私の見知った言葉に聞こえる。私にも理解できるし、私でも物語を知れる。途中、私の世海に存在しない個々の単語は一切わからないことも多いけど。


 今は夏目漱石という文豪の"こころ"という作品を読んでいる。時々知らない単語に首を傾げ、すぐさま調べるということもあるので、どうせならそれも私に教えてほしいと思う。

 甚伍は意地悪な子だから私の知らない単語は調べてくれないのよ。悲しいわ。


 頭の片隅でふざけたことを考えていたら国語の授業は終わり、私への読み聞かせもまた中途半端に終わった。続きが気になる。"先生"と"私"の関係性がまだ曖昧ですっごく気になる。


 国語は終わり、休憩があり、次は"情報"の授業だった。

 情報はパソコンを使って何やらよくわからないことをしているのでよくわからない。……うん。興味はあるのよ。でもわかんないものはわかんないし、言ってることもわかんないから面白くない。もっと優しく嚙み砕いてお話してほしいわ。



 放課後。

 今日は十六時四十分までの授業で終わったため、甚伍も元気よく――。


(部活か……)


 全然元気よくなかった。ものすごい重い溜め息と一緒に声が漏れ出してきた。


 部活。

 学生は何らかの部活に参加することが必須で、甚伍は不思議探究部とかいう変な部活に入っていた。何をしているかは詳しく知らない。言葉わからないし。でもたまに魔法陣っぽいの書いてたり、変な儀式っぽいことしてたりしているから不思議探究はちゃんと活動しているのかもしれない。


 甚伍が入った理由は特にないらしい。本人も何故自分が入っているのかたまに不思議がっている。彼が中学一年生の頃はまだこの世海を知らなかったから、その辺りの詳しい経緯を私は知らない。でも、本人が"なんか部活探してたら捕まって流れで入ったんだよなー"とかこぼしてたから、そういうことなんだと思う。甚伍、不憫な子。


「失礼します」


 何やら固い声で喋りながら部屋に入り、甚伍の部活動が始まった。

 資料を見て、調べて、まとめて。読んで書いてまとめて。自分の仕事のことを思い出してきそうな作業をしているせいで頭が痛くなってきた。

 どうして夢の中でまでお仕事に追われなくちゃいけないのよ。おかしいでしょ。


 目を逸らし、少年の座る椅子の真横、机に腰かけた。ぶらぶらと足を揺らし、何か起きないかなーなんて考える。感覚ないからフリだけど、幽霊生活はこのフリが意外と大事だったり……。


 ばしゃーん!ばりーん!どがーん!とか。


 雷は落ちないし、ガラスは割れないし、爆発は起きない。

 何事もなく時間は過ぎ、気づけば太陽も沈みかけ。以前覚えた単語、逢魔が時という時間帯だった。


 部活も終わり、部室を出た甚伍はとぼとぼと疲労を抱えながら家に向かう。私はのんびり後を付いていく。

 学校から家まで十分の距離。何か事件が起きようにも時間も距離も足りない。


 そう、そのはずなのに。


「え……?」

『?何よ、あれ』


 骨がいた。骸骨。薄暗い道に佇む一人?一骨?一体の骨。

 見た目は完全に人間の骨で、頭蓋骨から足まで背骨を伸ばしてピンと道に立っていた。


 甚伍の反応はともかく、私は呟きながら辺りを見回す。人影はない。部活帰りの学生がいてもおかしくないはずなのに、人っ子一人いない。いるのは私と甚伍だけ。


「……っ」


 目が合った。私じゃない。甚伍と骨の目が合った。私のことはあの骨も認識していないらしい。普段なら悲しむところだけど、今はそんなことを思う余裕がない。とっても嫌な予感がする。


「カココカ」

「ひっ」

『う、甚伍逃げなさい早く』


 口を開けて何かを言う。それは言葉にならず、骨と骨が擦れたような軽い音だけが響いた。異様な光景に怯える少年を促すも、甚伍は立ち止まったままだった。足が竦んでいるのか、恐怖で震えているのか。わからないけれど、それはあまりよろしくない。だってあの骨。


「コカコカカ」


 突然骨を揺らしてこちらに走り出した。

 ほらやっぱり、すごい危険な感じしたもの。


 さすがに骨が動いたからか、甚伍も足を動かし始めた。

 位置的に真っ直ぐ家には向かえない。いくらなんでも骨の横をするっと抜けて通るのは無謀が過ぎる。


 どこに向かうかと心配しながら少年を見守ると、来た道を少し戻り横に入って骸骨を迂回し自宅へ走った。走って、走って。


「……どうなってんだよもう」


 ぼやく甚伍の言葉に頷いた。私もそう言いたい。

 迂回路を進んだはずなのに、気づけば元の場所に立っていた。


「カカカカ」


 私たちと同様あの骸骨も不思議そうな様子で周囲を見渡していた。どう考えてもあなたの影響のはずなのに、当の本人ならぬ本骨は知らないらしい。わけわかんない。


『もしかして悪い骨じゃないとか?』

(意外に素通りさせてくれる説ないかな)


 ねえ甚伍、絶対そんな期待持っちゃよくないと思うのよ、私。悪い骨じゃないかとか思ったりもしたけど、普通に悪い骨だから、あれ。私の霊感にビシビシ来るのよ。邪悪な感じはないんだけど、危険度はすごいから。攻撃してくる系のやつよ、あれ。


 私の忠告はいつも通り彼に聞こえないので、ぼんやり周囲を見ている骨の横を通り過ぎようとする。瞬間、骸骨の首がぐるりと巡って甚伍を捉えた。


「ひっ!ごめんなさいごめんなさい通らせてください!」

「カコカカ!」

「ぎゃああああ!!無理無理助けてえええ!!」


 頭を下げつつ通ろうとしたら手を伸ばしてきたので、ひゅんっと飛び退いて後ろに走り出す。そうなるだろうなと思っていたらやっぱりそうなった。


 だから言ったのに……。絶対この骨危ないわよって。まあ聞こえてないから仕方ないんだけど。


 家に帰ろうにも向かう先には骨がいて、骨のいない方に向かうと不思議現象で最初の場所に戻されることが判明した。甚伍が何回か試したから間違いない。

 どれだけ手を尽くしても家には戻れないので、しょうがなく来た道を戻っていく。避難場所は学校だ。


 走って二分も経たずに学校へは戻れたものの、骨の走るコツコツとした軽い音がずっと聞こえてきている。通学路にも人はおらず、校門から校舎までも人はいない。生徒も、教師も。誰一人いない。


 息を荒げる甚伍は何を考えているのか、目的地を定めて必死に走っていた。

 ここまでの逃走劇で肉体的にも精神的にもずいぶんと削られている。こぼれてくる心の声は断片的で、それでも意識は明瞭で頭もよく働いていた。


(骨、欠けてた……標本は理科室……渡せばいいっ)


 少年の思念を拾って納得がいった。

 なるほど、そういうことね。


 甚伍の近くで一人頷き、一度止まって音が聞こえる方に向かう。よく響く軽快な音を伴い、微妙な小走りでやってくる骸骨がいた。じっと観察してみれば、左手の指が一本欠けている。欠けているのは薬指。甚伍は新しい指を渡すことでこの事態の解決に繋がると考えたらしい。


 伊達に不思議探究部とかいう部活に所属してはいない。


 それにしても、骨の走り方には何とも言えない滑稽さがあった。

 怖いのは怖いんだけど、骨だからかしら。全力で走ると骨折するのかも。転んで骨折って動けなくなったりしないかな。しないか。


 甚伍の下に戻り、並走しながら二人で理科室を目指す。

 何故か鍵のかけられていない扉を開け理科室に飛び込んだ。理科の授業は実習だけなら見ていて結構楽しいので、骨格標本の場所は私も覚えている。

 部屋に入ってそのまま通じている右奥の小部屋のさらに右側に――。


「……嘘」

『……』


 ない。標本がない。姿形が一切見えない。そっくりそのまま抜け出したかのように骨格標本だけがなくなっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る