第17話

 「な、何あれ……」


 思わずそんな声が出てしまう。元の世界では動物園ですら見たことの無い生き物。野生の中で生きるとはこういうことだというのを、溢れ出す殺気から感じる。


 〔グルルルル……〕

 《ひっ……》


 オオカミのような動物が喉を鳴らした。今にも襲い掛かって来そうなその様子に、和泉が震えだす。


 《森オオカミだ……気を付けて、動きが早いから》


 私たちにだけ聞こえる声で蒼仁が言う。また私たちが知らないことを知っている様子からも、事前に色々と準備してくれていたのだろうということが分かった。


 この短期間で一番成長したのは蒼仁かもしれない。精霊樹の根元に座り込んで、飛べないと落ち込んでいたあの小精霊はもうどこにもいない。どんな時も冷静で頼りになる、しっかりした存在に彼は成長した。


 《私が蔦で動きを止めるから、和泉、後はお願い。蒼仁、手伝って》

 《分かった》

 《え、ぼ、僕……?》

 《いくよ!》


 木蓮がてきぱきと指示を出し、その掛け声とともに蒼仁が動き出す。だが、突然指名された和泉は動揺を隠せない。


 そうしている間にも2人は森オオカミを足止めするために動いている。


 蒼仁が手を伸ばすと、森オオカミの足元に大きな落とし穴が空き、その体ががくんと落ち込む。その隙をついて木蓮が素早く蔦で絡めとった。


 《和泉!》


 木蓮が叫ぶ。


 《ぼ、僕、できない……》


 森オオカミの迫力に気圧され、震えるばかりの和泉。


 《燎火がやる!》

 《ダメ!燎火はしちゃダメ!》

 《どうして!》


 そんな和泉をじれったく思った燎火が、森オオカミにとどめを刺そうと手のひらを向ける。しかしそれは木蓮によって止められた。


 《森の中で火を使っちゃ危ないんだ》

 《あ……》


 冷静な蒼仁の言葉に、燎火がはっとしたように動きを止める。


 そう、ここは森の中。燃えやすいものしかない場所だ。そんな場所で燎火が火を攻撃に使えばどうなるか。精霊樹の周りは結界が張られているとはいえ、延焼しないとは言い切れない。木蓮はそれが分かっていたから、最初から和泉に頼んだのだ。


 …………あれ、楓香でも良かったんじゃ……?


 まぁ、うん、そこは木蓮にも考えがあるんでしょ。ところで、私は何すればいいんだろう。皆の、木蓮と蒼仁の動きが良すぎてすることが無いのだが。


 《ユカは楓香見てて!》

 「あ、はい!」


 そうだね、楓香は見てないとね。すぐどっか行っちゃうしね。あったみたいです、私の仕事。


 「楓香……あれ、楓香どこ!」

 《なーにユカ?》


 良かった、いたいた。


 《ね、いっぱいいたよ》

 「え?いっぱいいたって……もしかして……」

 《蒼仁が森オオカミって言ってたやつ!いっぱい!》

 「うそでしょ……」

 《嘘じゃないよ!》

 「あ、いや、分かってるよ?楓香は嘘なんてつかないもんね?」

 《そー!僕いい子!》


 いや楓香、そんなのんきなこと言ってる場合じゃないって。囲まれてるってことだよね?そんな恐ろしいこと何でこの子は怖がらずに言えるの……。


 「木蓮!蒼仁!森オオカミに囲まれてる!」

 《うそ……》

 《嘘じゃなーいー!》


 木蓮の反応にまた楓香が反論してるけど、ツッコんでる暇はないみたい。


 《和泉!大丈夫、和泉なら出来るから!》


 少し焦った様子の蒼仁が和泉を急かす。


 《うぅ……》

 

 木蓮と蒼仁が2人がかりで抑え込んでいる森オオカミを見て、和泉は苦悶の表情を浮かべる。誰にでも優しい和泉は、たとえそれが森オオカミであったとしても、命を奪うという事に抵抗があるのかもしれない。だが、これからこの森を出るためには、こういう事にも慣れておかなければならないのも事実だ。


 和泉が大きく成長できるチャンス。これを逃せば、彼はいつまでも怯えて生きていかなければならない。生きるという事は、時に死と隣り合わせだ。


 《和泉っ!》


 木蓮の焦りに満ちた叫びが響く。森オオカミを見る和泉の目が変わった。覚悟を宿した目だ。手を固く握りしめ、木蓮の蔦に絡めとられてもなおこちらに襲い掛かろうとする森オオカミを見据える。


 握りしめていた和泉の手が、森オオカミに向けられる。


 〔――!〕


 大きな水球が森オオカミの顔を覆った。


 森オオカミはなんとか水球から逃れようと身をよじらせるが、しばらくすると抵抗していた力が抜け、蒼仁の作った穴の中に倒れて動かなくなった。


 木蓮の操っていた蔦が森オオカミの体を離れる。その体が動くことはもうなかった。


 《あ……僕……》


 和泉が自分の両手を見つめて呆然とする。


 だが森オオカミたちはそんな和泉に暇なんて与えてくれない。


 《次来るぞ!》


 蒼仁が鋭く叫んだ。

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