第4話 滑稽なキス

「ようやく私の番ね。おいで……佐登留くん」


 今度は虹華が腕を大きく広げて慈しみに満ちた笑顔を向けてくる。


 ふと新音が気になって目をやると、未だ倒れたままでうわごとのように何か口走っていた。


「周りなんて見なくていいの……。まっすぐ私のことを見ていればいいわ……。誰よりも優しく癒してあげるから」


 虹華が俺の頬を両手でふんわりと掴んで振り向かせる。


「うん……」


 うなずくと、虹華は静かに俺の肩を抱いて引き寄せた。彼女の慈愛が手のひらからじんわり伝わってくる。


「いい子いい子、もう大丈夫よ……」


 頭をなでられて恍惚こうこつの境地にたどりつく。今まで18年間生きてきて辛かったこと、しんどかったことなどが走馬灯のように頭の中で光景が浮かんでは消えていく。


 中学時代、イジメられる俺を見て見ぬふりをした先生や友達、高校時代には人格を否定されるようなこっぴどい振られ方もした。


 楽しいことはなかったか? あった。でもそれは全て独りぼっちの時の思い出だった。家から一歩でも出た時に、誰かと一緒にいて幸せだと感じたことが俺にはなかった。


 そんな人生だったことを思い出した。

 そしてこれからの生き方に思いをせた。

 切り替えよう。過去はもう振り返らない。


「顔、傾けて……?」


 急に呼びかけられて我に返った。虹華の美しく整った顔が眼前に迫っている。


「優海ちゃんが初キスだったの? 私じゃなくて残念だわ……」


 ま、まあ優海も可愛かったから……別にいいんだけど、そう言ってくれるとすごく嬉しい。てゆーか初キスなのバレてるし。ガーン。でもこんな綺麗なお姉さんならリードされるのも悪くないな。


「そうそう、そのままで大丈夫だから……」


 しっかり雰囲気作りもしてくれる……。さすがお姉さん! ああ、このままゆっくりキスの海を二人で揺蕩たゆたって……。相変わらずマスクのせいで視覚情報も触覚情報も半分以下しか感じられないがな。


 ああ……どんどん虹華の顔が、そして潤む目が近づいてピントが合わないくらいになっていく……。


 唇をアヒルみたいに突き出して、母親のおっぱいを探す子犬のように虹華の唇を求める俺。傍から見たらめちゃくちゃ滑稽だぞ、これ。全く。


 唇と唇がくっつく。いや、正確には不織布と不織布がひっついた。


 うう……、俺のツバの味しかしない~。ひどい、ひどすぎるっ。こんなのキスじゃないし。


 ん? 虹華が恍惚とした瞳で俺を見つめている。何これやばいっ、破壊力半端ない! 下半身を刺激して……。


 いや、そんな事ばかり考えてはいられない。なぜかというと、やっぱり虹華からも他の二人と同じように緊張の色が見て取れたし、一つ一つの仕草が固かったからだ。


 どうしてこの子たちはこうやって無理な婚活をしなければならないのか、自分になにか手助けできることはないのか、俺は真剣に考えを巡らせた。


「もういいだろう!? 離れなさいっ!」


「ぐわあっ!」


 びっくりした、新音か。いつの間に立ち直ったんだよ。虹華だって俺の肩を引き寄せてくれてるんだからイヤがってる様子じゃないのに、いきなり引き離すなんて……。いてててて! 耳を引っ張るな、耳を。


「痛てーなあ、もう! 別にもう少しやってもいいだろ? なあ虹華?」


「私は構いませんよ……ふふ」


 うわあ……! 虹華の全てを包んでくれそうなお姉さんオーラっ! そしてマスクしてても伝わってくるアルカイックスマイル! これこれ、こーゆーのが見たかったんだよ。お願いだから今だけは堅苦しいしゃべりと突っ込みで邪魔しないでくれ、新音!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る