特別な時間をあなたとともに④
*
「お疲れ様です。瓜生さんいますか」
軽井沢旅行から帰って数日後、莉奈は珍しく私服のままホテルに来ていた。
公休日なのだが、やり残した雑務を片付けに来たついでにと、売店に顔を出してみたのだ。
「あ、桐島さん。どうしたの」
「ちょっと相談なんですけど」
切り出した枕詞に、瓜生は重たい土産品を入れるために紙袋を二重にしてセットしていた手を止めた。
「売店の売上アップに向けて、ちょっと考えたことがあって」
「というと?」
「オリジナル商品とか売店でのイベントとか、やっぱりあったほうがいいと思うんです」
莉奈の言葉に、瓜生は逡巡する様子を見せた。
だが、すぐに哀しげな笑みに変わる。
「うん、けどやっぱり難しいんだよ。売店は人数も少ないし、その業務が増えるとけっこうきついんだよね」
「売店だけでやる必要はないんじゃないですか」
「……どういうこと?」
虚を突かれたというように目を丸くした瓜生に、莉奈は話を続けた。
「企画課や広報課、あとは料飲なんかにも協力を仰いだらいい……ううん、共同でやるべきだと思うんです。もちろん、フロントもやります」
「共同で……って」
「たとえば、商品開発にあたって、一番地元のお店とのコネクションがあるのは売店ですけど、デザインや販促についてのノウハウはマーケティングの専門部署のほうが持っているはずです。それに、売店だけで行き詰まることがあるなら、同じように食材やドリンクの調達先を持っている料飲の力も借りられる。レストランやバー、ラウンジのカフェメニューなんかは、商品の方向性を決める判断材料にもなると思うんです。料飲は若い子も多いから、流行のリサーチも難しくないでしょうし」
それに、と、莉奈は深呼吸した。
「ゲストに売店を薦める時、やっぱりわかりやすいホテル雪椿のお土産があったらいいなと思うんです。だからわたしたちも丸投げにはさせません。例えば、瓜生さんや売店の方たちが忙しいなら、フロントからも売店のヘルプに入ります。入社した時の研修で少し教えてもらいましたよね。できないことはないです。協力し合えれば、できると思うんです。売店だけの問題じゃないですから」
「……ヘルプって、そんな簡単に言うけど」
「佐竹マネージャーには相談済みです。瓜生さんさえよければ、次の会議で本格的に話に出すって言ってました」
「どうしてそこまで……」
瓜生は何から言ったらいいかわからないと言うように視線を彷徨わせた。
「ここに泊まりに来てくれるお客様のことを、たったひとつの部署に任せたくはありません。売店のことだからって、打開策の打ち出しを瓜生さんだけに任せるようなことはしたくないんです」
軽井沢で話した時、栗原は真剣な表情をしていた。
その顔がずっと頭から離れないでいて、椎名や桜庭、梅本たちにも相談したのだ。梅本は先日の会議に栗原同様、出席しており、その時の様子を思い出すように視線を遠くに向けていた。
「そうなんだよね。他のホテルの公式サイトだと、そのホテルならではの商品をメインに置いて、地元のものやうちみたいなグループの商品を載せているところもあるんだよね。地域のお土産は正直駅の売店の方が品揃えは圧倒的だし、国内に十もあるホテルのグループで通販もあるなら、わざわざうちに来てグループの商品を買うって人も多くはならない。ホテル雪椿の売店に行ってみよう、何か買おう、ってなるのって、けっこう現状だと難しい気はするよね。何かやるなら、予約もできる限り協力するよ」
桜庭はすでに乗り気であった。
「商品もいいけど、売店で何かイベントをするのはどう? それこそ新潟で米どころ、酒どころなんだから、それにちなんだやつとかさ」
「安直じゃないですか」
「いいんだよ、安直で。うちは関東からのゲストが多いだろ。目を引くのはわかりやすいアイコンがいい。それで釣って、来てみたら米や酒だけじゃなくていろいろあるんだ、って興味を持ってもらえるような……導線づくりって言ったらいいのかな。そういう感じのイベントをやったらどうかな」
売店でも土産用に地酒を揃えているが、日本酒は特に最初のハードルが高い。
飲んだことのない人がちょっと試すような、試飲会みたいなものをやったらどうかと、桜庭は続けた。
「正月のイベントで日本酒バーをやるだろ。あれ、かなり好評だからさ。瓶で買うのはちょっと勇気がいるけど興味がある、少し飲んでみて決めたい、っていう人は少なくないよ。酒蔵に直接頼んだら協力してもらえるんじゃないかな」
売店の仕入れは酒屋にまとめて頼んでいるが、桜庭は料飲では団体の催し物などもあるので酒蔵との付き合いもある、と教えてくれた。
そうして聞きまとめたことを勢い任せに喋り続けて、莉奈は自分が随分と独りよがりになっていることに気がついた。
自分がどうにかしたいと思うあまり、実際に表立って動くことになる瓜生の立場をまるで無視していた。彼女は押し黙ったまま、ただ莉奈が話すのを聞いていた。
「す、すみません。出過ぎたことをしました」
冷静になって謝ると、瓜生は首を横に振った。
口元を押さえていた手はそのまま、何かを堪えるような声で、彼女はありがとう、と言った。
「ごめんね。……ずっと一人で考えていたから、みんながそんなふうに考えてくれているなんて、全然、想像もしてなくて」
「瓜生さん……」
「売店のメンバーと自分だけの、狭い世界で考えていたんだ。人手に余裕のない状況で新しく何かやるなんて無理って思ってた。発注とか在庫管理とか、そういうことで時間はあっという間になくなるから。でも本当はそれだけじゃだめなのは感じてたんだ。だから……助けてもらえるなら、何かしてみたいって思うよ」
ホテル雪椿の人員は決して潤沢ではない。売店は、営業時間の縮小や業務の見直しなどをしつつ、なんとか最小限の人数でやってきている。
フロントも予約もマーケティングも決して余裕があるわけではないが、いつまでも一部のスタッフに負担が集中する状態では良くない。
それに――
「わたし、自分のできることはやりたいんです。このホテルをもっと良くしたい、もっとお客様に喜んでもらえる、楽しんでもらえる場所にしたいんです。どこをとっても、胸を張って最高のホテルだって言えるような、最高の場所になったらいいなって」
「同じだよ。わたしたちが精いっぱい働いているこの場所に、たくさんの笑顔や幸せが満ちてくれたらいいなと思う」
瓜生は鼻先を赤くしながら頷いた。
「そう思ってる人は少なくないです。実際、売店のことをずっと考えていたのは、わたしよりも栗原くんが先ですよ」
「えっ、そうなの」
意外そうに目を見開いた瓜生に、莉奈は笑ってみせた。
「そうですよ。会議の時から気になってたんですって。その話を聞いて一緒に考えていたんです。佐竹マネージャーに相談したのも、彼ですから」
「そっか……若手の子たちがそうやって積極的に動いてくれるなら、当分このホテルも安泰だね」
よし、と、瓜生は気合を入れるように頷いた。
「次の会議までに、イベントとか新商品のこととか、少しアイデアを出しておきたいと思うの。桐島さん、協力してくれる?」
「もちろんです」
*
その数日後、瓜生から熱烈な感謝の意を表明されたらしい栗原は、莉奈に「俺のこと言いましたね」と抗議してきた。
「だって事実でしょ。わたし、ひとの手柄を横取りする趣味はないもん」
「別に言わなくてよかったのに……」
恥ずかしいから勘弁してください、と、お手柄なはずなのにため息をつく栗原がおかしくて笑っていると、さらに怒られたので謝って堪えることにした。
それからしばらくして、夏が終わる頃に売店に新登場したホテル雪椿オリジナルの焼き菓子セットは、町内のパティスリーとコラボしたものだった。
その見た目の可愛さと手頃な価格で、SNS映えするというクチコミが徐々に広まって一躍人気商品となるのは、しばらく先の話である。
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