特別な時間をあなたとともに②
階段を上がり、二階の奥に用意された客室は広々とした四人部屋だった。
まだ昼過ぎだったが、今日は空いてるから構わないと龍太が鍵を渡してくれた。
室内にはベッドのほかに、リビングスペースとしてローテーブルとソファ、安楽椅子がセットされている。杏色を基調としたインテリアには、色合いの綺麗なパッチワークやアートパネルなどがさりげなく配置されていて、オーナーのセンスの良さを感じさせる。
クロゼットに上着をかけて、莉奈は道中で買い物をしたレジ袋を取り出した。
中にはりんごジュースとジャム、クラッカーが入っている。近くのご当地スーパーで、三人でああだこうだと言いながら選んだのだ。
「さっそく食べましょうよ。楽しみで仕方ないんです」
「俺も気になってます。椎名さんは食べたことあるんですか」
栗原の問いに、椎名は曖昧な表情をした。
「りんごジュースは実家でも常備してたけど、ジャムはあんまりだな。見たことのない種類も多かったし。まあ、昔はあんまり好んで食べてなかったってだけかもしれないけど」
そう話しながらも、椎名の手は既にクラッカーの包みを開けている。久しぶりの地元で浮かれているのだろう。
莉奈は紙コップとジャム用のプラスチックスプーンを用意した。
栗原がジュースのボトルを開けて注いでいく。
形だけ乾杯、と紙コップを寄せ合ってから、地元の味をしばらく堪能した。
「着いてから食べてばっかりですね」
栗原がりんごバターのジャムをクラッカーに取りながら笑った。小さい瓶から遠慮なく豪快に盛っている。
莉奈も負けじとくるみバターのジャムの蓋を開けて、クラッカーの上に載せた。
素材の味とバターの風味がほどよく合わさって、やみつきになりそうだ。
「お昼の蕎麦もおいしかったよね。新潟もへぎそばが有名だけど、また違った美味しさがあって、やっぱりその土地に根付いた味って興味深いなって思ったなあ」
「さっきのスーパーも、ローカルチェーンなだけあるって感じの品揃えだしな。地元民の生活のためってだけじゃなくて、観光客がその土地を知ることができるいい場所だと思うよ」
椎名はそう言って、これまたジャムをたっぷり載せたクラッカーを口に放り込んだ。
ジャムは好みでなかったと話していたがお気に召したようで、既に三、四枚ほど平らげている。
「さて、俺は夕方まで友達と会ってくるよ。ついでにちょこっと実家にも顔出してくる。車乗ってっちゃうけどいい?」
クラッカーを三人で半分ほど平らげた頃に、椎名はそう言って立ち上がった。夕食は七時なので、まだ時間はたっぷりある。
「いいですよ。近くを見て回ったり、部屋でくつろいだりしてますので」
莉奈の返事を聞いて、椎名は身支度をして部屋を後にした。テーブルの上を片付けていると、横から栗原がウエットティッシュで拭き上げてくれた。
「栗原くんはこれからどうするの」
「どうしましょうかねえ……なんか近くにありますっけ」
「ちょっと買い物したり見たりするところはありそうだよ。このまま夜まで部屋にいるのもなんだし、行ってみない?」
スマホで調べた情報をもとに、二人はペンションを出た。
おそらく冬真っ只中の時期よりは寒さも緩んできているのだろうが、やはり寒いことには変わりない。湯沢よりも標高も高いので、同じ寒さの厳しい地域と言っても環境は違う。日差しがあるのが救いだ。
少し歩くと、飲食店やショップの並ぶエリアに到着した。平日だが人通りはそこそこ多い。カフェやベーカリーなどが目立つが、その中に雑貨屋や土産物屋もあるようだ。
すでにお腹が膨れているので、それらの店を覗きながらぶらぶらと散策する。
「いいよねえ、こういう雰囲気」
「そうですね。湯沢にはこの規模の通りはないですし。越後湯沢駅前の温泉街も、宿泊施設の他はお土産が買えるところもあまり多くないですしね」
「湯沢も好きなんだけどね。駅の西口近辺から少し離れると地元民の住宅街だけど」
話しながら通りがかった雑貨屋に入ってみる。手作り感のある品がずらりと並んでいて、目移りするほどだ。
刺繍の入ったポーチやハンカチなど、素朴な中に愛らしさのあるデザインが多い。
「けっこうあちこちでこういう系統のお店は見かけますけど、同じではないんですよね。その店のオーナーさんのこだわりがあるというか」
「そうだね。だから、こういうのを見るとつい買っちゃうんだ」
莉奈はそう言って、刺繍の入ったハンカチを手に取った。実はさっき見かけてから気になっていたのだ。
広げてみるとちょうど良いサイズ感で手触りも良く、購入を決めるまでさほど時間はかからなかった。
栗原にちょっと買ってくるね、と言い置いて、莉奈はレジに向かった。
購入したハンカチの包みをバッグに入れて、店を出る。
途中でまた適当な店に入って商品を眺めてみたり、土産物屋で会社に買って帰るお土産をどれにするか悩んだりしているうちに、日が暮れ始めていた。
「そろそろ戻ろうか。椎名さんが帰る前に、お風呂に入ってのんびりしてようよ」
「そうですね、けっこう歩いたし疲れ……あ、」
どっ、と体に衝撃が走って、栗原の言葉が途切れた。誰かにぶつかられたらしい栗原がそのまま莉奈に体当たりする形になり、足元がよろめいた。
「わわ、……っと、あれ」
知らぬ間に人通りが多くなっていた。なんとか転ばずにバランスを立て直して振り向くと、そこに栗原の姿は見えなくなっていた。
「く、栗原くん」
人波が押し寄せる。莉奈は慌てて道の端によけた。あたりを見回しても、栗原が着ていたカーキ色のダウンコートは見当たらない。
莉奈はバッグからスマホを取り出した。電話番号は知らないが、メッセージを送るだけならできる。どうにか連絡を取ろう、と画面を操作し始めた時だった。
「桐島さん!」
ぐいっと腕を引かれて名前を呼ばれた。
取り落としそうになったスマホを握りなおして振り向くと、探していたカーキ色がそこにいた。
「ああ、栗原くん。よかった、見つかって」
「もー……心配しましたよ。すぐに紛れてどっか行っちゃって」
「ごめんって。派手にぶつかられてたみたいだったけど、大丈夫?」
「俺は平気ですけど、桐島さんのことを吹っ飛ばしちゃいましたからね。怪我ないですか」
「平気」
するり、と、栗原は指先を莉奈の手のひらに落とした。
あまりにもさりげない仕草に、指が絡まるまで莉奈は気づかなかった。
「まだ、人の多いところを通る感じみたいなので。はぐれたら面倒でしょう」
「う、うん」
手を繋いだまま、栗原は迷いなく歩き出す。
言い訳めいた栗原の言葉が気になるが、それよりも迷子にならないことに集中することにした。指先が熱く感じるが、きっと気のせいだろう。
しばらく無言のまま歩き続けて、混み合った通りを抜けた。人がまばらになったと同時に、繋がった時と同じくらい自然な流れで栗原は手を離した。
そのまま、ペンションに向かって歩いていく。
「……そういえば」
その沈黙を破るタイミングを慎重に選んだように、栗原は口を開いた。
「さっき、桐島さんが買ってたお土産。サンドクッキーでしたっけ」
「うん。りんごカスタードとガナッシュチョコの二種類が入ってるって。それがどうかした?」
「そういうの、うちでも作れないですかね」
「うちでも……って」
「ホテル雪椿で、ってことです」
莉奈は目を丸くした。
場繋ぎの会話かと思ったが、そういうわけでもないらしい。
彼は言葉を続けた。
「うちって、オリジナルの売店商品がないじゃないですか。地元の商品と花咲グループのプライベート商品だけで。でも、それじゃつまらないなって」
「ああ、なるほどね」
先ほど莉奈が買ったサンドクッキーは、地元のパティスリーと共同開発したものだというPOPがつけられていた。数が入っている他のお土産と比べると割高だったが、その売り文句に惹かれて決めたのだ。
「観光協会と地元老舗パティスリーがタッグ! サクサククッキーとなめらかクリームのマリアージュ!」とかわいらしい丸文字で書かれたPOPは、数多く並ぶ土産菓子の中で一際目についた。
「いちホテルでやるってのは難しいんですかねえ」
「コスト的には簡単じゃないだろうね。お菓子そのものの味やデザインもそうだけど、包装なんかも細かく打ち合わせをしなくちゃいけないから、手間もかなりかかりそうだし……でも、確かに、あったほうが売店の売上も良くなりそうだよね」
「そうなんですよね。俺、この間の会議に出たんですけど、去年に比べて売店の売上が芳しくないって話になったんです。店内の配置や装飾を変えるのもいいですけど、そもそも足を運んでもらう人数を増やすにはどうしたら良いのかなと思ってまして」
月に一度の館内会議では、各部署の役職者の他、交代で主任以下の若手社員も出席することになっている。
ちょうど先週にあった会議には、栗原が出ていたのだったと思い出す。
「確か、加賀の本社や箱根はやってるよ。ホテルオリジナル商品」
「そうなんですか」
石川県の加賀温泉郷にある本社では、地元の飲食店とコラボした商品を定期的に開発している。ほとんどがレストランのメニューだが、スイーツや土産菓子も発売されることがあり、公式サイトやSNSでたびたび大々的に宣伝している。
また、本社に次いで売上の高い「ホテル箱根薔薇」でも同じように地元の店舗とタッグを組み、新商品を開発したと、数ヶ月前に発表されていた。
「今の雪椿にそこまでやれる力と時間があるのかっていう疑問はあるけど……可能性ゼロの話ではないと思うよ」
そこまで話したところで、ペンションに到着した。
日が落ちたので、建物の周りに飾られた電飾がきらきらと光っている。玄関を開けると、ドアベルで気づいたらしい龍太が、人懐こい笑顔でおかえりと出迎えてくれた。
「暗くなると寒いでしょう。お風呂沸いてるから、入ってきたら」
「ありがとうございます」
リビングのカウンターの奥から、篠塚の明朗な声が聞こえた。返事をして階段を上がる。
風呂の支度をして再びリビングに降り、階段の裏側にまわって通路を進むと、温泉の暖簾がかかっていた。
「俺、部屋の鍵もらっときます。先に上がると思うので」
「そうだね。じゃあよろしく」
鍵を栗原に手渡して暖簾をくぐる。一度に五人も入ればいっぱいになりそうな広さだが、幸いなことに他の客はいなかった。
隅々まで手入れが行き届いた脱衣場で服を脱ぎ、ボディタオルを持って浴室へ向かう。内風呂がひとつと小さな露天風呂がひとつ、洗い場は三つというこぢんまりとした浴室は、檜の香りが満ちていて気持ちがいい。
歩き回って疲労の溜まった脚をほぐしながら湯船に浸かる。
ぼんやりと、栗原の話を思い出す。
「……オリジナル商品、かあ……」
売店のオリジナリティの弱さは莉奈も気になっていたことだった。
以前、ゲストからも言われたことがある。館内を移動中に売店の前を通りがかった時、呼び止められたのだ。勤め先に持っていくお土産を探しているのだと、その男性客は言った。
売店のスタッフはちょうど、品出しか何かで席を外していた。
「ホテルの名前が入ったお土産はないの?」
「すみません、ここにあるだけでして……花咲グループオリジナルの商品なら、こちらに」
店内まで入り、案内しようとしたが、そのゲストは首を横に振った。
「やっぱり、どこのホテルに泊まったかが一目でわかるようなものがあったら、周りに配る時に話が弾みやすいでしょう。だからホテル雪椿って書いてあるのがあったらいいなと思ってさ。でも仕方ないか。この、花咲さんのラングドシャにするよ」
どの施設もオリジナル商品を設けているわけではないだろう。
だが、はっきり言えば越後湯沢駅の売店コーナーや温泉街の土産物屋と変わり映えのしないホテル売店は、徐々に売上が厳しくなっているのが実情だ。
また、東日本のあちこちに施設を構える花咲グループのオリジナル商品は、言ってしまえばホテル雪椿でなくても購入できる。
本社ではオンラインショップを立ち上げ、そこでも販売を開始しているので、なんなら自宅から出ずとも手にすることができるのだ。
売店の主任である瓜生愛子は、打開策を検討していると言っていた。だが状況はあまり芳しくないらしい。
「正直、たったひとつ雪椿のオリジナル商品を作ったところで大きく変わるとは思えないの。もちろんそれ自体には意味があることだけれど、商品開発と並行して、違う角度からも何かしたいと思うんだよね」
「違う角度……例えば、企画とかですか」
「そうだね。ただ、全然思いつかなくて」
そんな中途半端な状態のままで、彼女はきっと先日の会議に臨んだのだろう。
瓜生の胃を思うと心配になる。
ばしゃ、と音を立てて、莉奈は顔に湯を被った。
いつの間にかすっかり体は火照っている。これ以上いたらのぼせてしまうので、莉奈は上がることにした。
シャワーを浴びて脱衣場に戻り、体を拭いて服を着る。
手早くドライヤーとスキンケアを済ませて出ると、リビングのほうからいい香りが漂っていることに気がついた。バターとミルクが溶け合う香りは、今日のディナーがシチューであることを予想させる。
その香りを胸いっぱいに吸い込みながら、莉奈は階段を上がった。
ノックをすると、はい、と間伸びした返事が聞こえる。ドアを開けると、ベッドの上で寝転びながら、テレビを見ている栗原の姿があった。
「椎名さん、もう少ししたら帰ってくるみたいですね」
「あれ、連絡きてた? お風呂入ってから全然見てなかった」
スマホを見ると、確かにグループメッセージが来ていた。
返事にスタンプを押して、莉奈もベッドに寝転がる。
「何見てるの? 長野の番組?」
「ローカルニュースって面白くないですか。全然知らない場所なのに、その土地に住んでる気分になるっていうか」
「それはわかるかも。当たり前のように流れている料理や催し物を見ると、この町ではこういうことやってるんだ、ってわかって楽しいよね」
画面には長野県の酒蔵の特集が流れていた。
酒蔵の一年間を追いつつ、近年の酒造りを取り巻く環境についてもわかりやすく解説が挟まれている。
「日本酒だったら、新潟も負けてないよね」
「そうですね。その中でも魚沼地域は米どころですから。まあ、日本酒はあんまり得意じゃないのでほとんど飲んだことないですけど」
「そうなの? ま、わたしも柳から聞いた話の付け焼き刃でしかないけど」
「柳さんは酒豪ですもんね。椎名さんの部屋で飲む時、いつも自前で瓶一本持ってきてますし」
あはは、と笑い声が重なった瞬間に、ドアノブが回る音がした。椎名が帰ってきたのだ。
「お、二人とももう風呂入ったのか」
「はい。露天が気持ちよかったですよ」
笑顔で返した栗原に、椎名は細長い紙袋を差し出した。
「貰いものだけど、長野の酒だよ。後でみんなで飲もうか」
友人や家族と会って楽しかったらしい、椎名の満足げな顔に、栗原は苦手を言い出すことはなかった。
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