忘れてしまわないように繋ぎ止めて②
*
その年は雪が少なかった。
降り出しも遅かったうえに降ってもわずかに積もる程度で、スキー場は軒並みオープンを延期させた。
各スキー場が臨時休業を繰り返しながらなんとか営業していたその冬の半ばに、時期としては珍しくそこそこの規模の団体客の受け入れがあった。
洋食レストランの並びにある中規模の宴会場にいくつかの円卓を運び込んでセッティングするのに、人手が足りないからと駆り出されたのをよく覚えている。
「悪いなー、桐島」
「本当に悪いって思ってますか?」
当時いた料飲のマネージャーは人づかいの荒さによくない定評があった。
部署内のスタッフはもちろんのこと、ヘルプで入る他部署のスタッフに対しても態度は良くなかった。その一方で、サービスとなると人が変わったように完璧にこなすので、部下からすれば文句を言いたくても言えない相手だった。
「サービス終わったら戻らなきゃいけないので。時間になったら勝手に抜けますからね」
「そんなこと言わないで、片付けまでいていっぱい手伝ってよ」
「無理です。フロントだって暇じゃないんです」
いらいらしながら円卓にかけるクロスを配分していると、当時はまだ役職を持っていなかった桜庭が近寄ってきた。
「ごめんな」
「別に……桜庭さんが悪いわけじゃないので」
「あと少しの辛抱だから」
桜庭は唐突にそう言った。首を傾げた莉奈に、来月で辞めるんだよ、と教えてくれた。
「家庭の都合とか言ってたけど、もしかしたら上からなんか言われたのかもしれない。でもそれを知ってるから、みんな何も言わないんだよ。あの人ももう最後だからって気にしなくなってるし」
「普通、最後だったらもっと優しくなりません?」
「そんなことをあの人に期待したら負けだよ」
桜庭はクロスの片方の端を莉奈に持たせた。
二人で大きく広げたそれを、皺ができないように綺麗に円卓に被せて、垂れ下がった角を内側に織り込んだ。
「まあ、久しぶりのヘルプで余計な喧嘩をするつもりはないので黙っときますけど……」
莉奈が言うと、桜庭は無言のまま、困ったように眉を下げて微笑んだ。
「桐島は大人だね」
「子どもみたいな人が悪いんです。図体は大人のくせに」
桜庭は評価してくれたが、そう返答する自分はまだ子どもだ。
成人式をしてから数年経つが、いまだに自分が大人になったという実感は湧いていない。
「あの人を庇うわけじゃないけど、桐島は宴会サービスも丁寧にこなすし、場の空気を読んで立ち回るのがうまいから、俺らとしてはヘルプに来てくれると嬉しいんだ。あの人もそう思って声をかけたんだと思うよ。だとしても媚びてるなとは思うけどね」
「余計なこと言わなきゃ、わたしもいらいらしないで済むんですけどね」
全ての円卓にクロスがかかった状態を確認してひと息つく。
誰かが運び込んできたシルバーががちゃがちゃとうるさい音を立てた。
「シルバーを並べて、ナフキンをセットして、グラスも配らないと。まだやることは多いな」
「この規模の団体は久しぶりですもんね」
施設課が運び込んできた団体の大きな横断幕が、ステージ上に吊り下げられている。シンプルなゴシック体で書かれているのは、莉奈には内容がよくわからないような、小難しい研究団体の名前だ。
今まではクイーンズホテルで執り行っていた定例の研究報告会のようなものを、今年からはホテル雪椿で行うことになったらしい。駅から歩いてもたいした距離でない立地は、高齢化が進む会員たちにはありがたいポイントだったようだ。
「会長はもう八十を超えてるらしいよ。メインの肉料理、小さめにカットするようにって手配がかかってた」
「参加する会員の方も大半が六十歳以上なんですよね。今の六十代なんて元気だとは言いますけど、こんな真冬に湯沢で集まるのもすごい話ですよね」
「文学とか歴史に関わる団体だし、会長が川端康成好きらしいよ。かの有名な書き出しの通りの景色が気に入って、冬は決まって越後湯沢なんだってさ。ま、東京からも近いし、ちょっと羽のばすにはちょうどいいってのもあるんじゃない」
ナイフやフォークを決められた順番に並べていきながら、桜庭は聞きかじったような噂話を半ば投げやりな口調で話してくれた。
八連勤めだと言っていたので、相当疲れが溜まっているのだろう。朝食スタンバイのために朝も早くに出勤し、日中に一度抜けて夜にまた出勤し帰宅は深夜となる、いわゆる中抜けシフトだと、なかなか体が休まらないとぼやいていた。
そのあとをついて円卓を回りながら、ナフキンをセットしていく。
今回は凝った形にする必要がないので簡単だ。畳まれたナフキンを、形を整えて立たせていくだけなので、不慣れな莉奈でも問題なくセットできた。パーティーの趣旨によっては折り紙のように複雑な形を作る必要があるが、さすがにそこまでのスキルはない。
「セットが終わったら、着替えて飯休憩な」
マネージャーの声が響いたのと同時に、莉奈と桜庭のチームは持ち分のセットを完了させた。他のメンバーもまもなく終わる頃だったので、一足先にとロッカールームへ向かった。
途中で制服貸与室に立ち寄って、ヘルプ用の制服を受け取った。洋食フルコースなので、白シャツに黒のベストとサロン、蝶ネクタイを合わせるスタイルだ。
着慣れているフロントの制服と比べると首元が詰まっているので、心なしか苦しく感じる。
名札を付け替えて、鏡で身だしなみを確認してから、莉奈は社食へと向かった。まだ夕方の五時だが、今を逃すと帰るまで何か食べる暇はない。
かき揚げうどんをチョイスして、桜庭の向かいに腰を下ろした。
「やっぱ、なんか違和感あるなあ。その制服」
「着慣れないですもん。自分でもそう思いますよ」
大盛りにしたカレーを頬張りながら、桜庭は笑った。疲れていても食欲はそれなりにあるらしい。
「桜庭さんは、今日は黒服なんですね」
「ああ、マネージャーに言われてさ」
同じような白黒のスタイルだが、桜庭はベストの代わりにジャケットを身につけていた。宴会において指揮を執れるポジションに立つスタッフのみができるスタイルだ。
そこそこの人数が集まることと、自分自身がまもなく退職するために、単独ではなく二名体制にしたのだろう。
「じゃ、ゆっくり食べてきなよ。つっても、ミーティングが五時半からだからそんなに時間もないけど」
「遅れないように行きますよ、ちゃんと」
おう、と返事をして、桜庭は席を立った。話をしながら、あっという間にカレーを平らげている。
莉奈はうどんをすすりながら、なんとなく胸の奥がざわついていることに気づかないふりをした。
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