第4章 忘れてしまわないように繋ぎ止めて

忘れてしまわないように繋ぎ止めて①

 カレンダーをめくる頃、ホテルには海外からのゲストが目立つようになってきていた。


 その多くは中国人だ。春節にあたるこの時期は、毎年同じような光景になる。たいていは簡単な日本語や英語でコミュニケーションが成り立つが、込み入った案内になるとそうもいかなくなる。

 そんな時に頼りになるのは翻訳アプリと、中国語が達者なベルスタッフだ。

 李美鈴はその一人で、三年前から冬のアルバイトに来てくれている貴重な人材だ。


「お疲れ様です。これ、今お見送りしたお客様からもらいました」


 肩に薄く雪が載ったコート姿で、彼女はフロントカウンタ―に声をかけてきた。


 莉奈よりも若く、日本の大学への留学を期に単身、移り住んだそうで、たった数年とは思えないほど日本語も流暢だ。それでも、中国語で接客しているときの方が生き生きして見える。


「ん、お菓子?」

「滞在中に、新潟市まで遊びに行ったらしいですよ。それって新潟市のお菓子ですよね」

「うん。定番中の定番だけど……ずいぶん大量じゃない?」


 土産物屋の紙袋を覗くと、地元にいた頃に見慣れた菓子の包みが目に入った。バウムクーヘンにクリームがぎゅっと詰め込まれた、太鼓をモチーフにした洋菓子だ。


「一週間くらい滞在して、観光案内とかお世話になったから、みんなで食べてくださいって言ってました」

「そうなんだ。じゃあ、バックオフィスにあとで開けて置いておくから、休憩の時に食べにおいでよ。喜んでもらえたのは李さんのおかげだしね」

「ありがとうございます。でも、お客様はフロントの方がアプリやパンフレットで頑張って説明してくれたのもとてもありがたかったって言ってましたよ」


 そう言われると悪い気はしない。

 三日前の夕方、翌日の訪問先を決めあぐねていた彼らに観光案内をしたのは莉奈だった。その日は李が休みをとっており、中国語を話せる他のスタッフも席を外していたために自力でなんとかするしかなかったのだ。

 湯沢や魚沼はもう巡ったから他のところで、と言う彼らに、どうにかこうにか新潟市や長岡市の観光地をいくつか案内したのだった。


 そして昨日の夕方、彼らはホテルに帰ってきた時に莉奈を捕まえて、とても楽しかったというようなことを興奮気味に話してくれた。

 感想は全て中国語だったので、アプリを通して翻訳してもらったのだが。


「わたしは観光地を訊ねられるとうまく答えられないですから。まだあまり新潟に詳しくないので。地元の人のほうが、やっぱりそういうのは強いです」


 李は真面目な顔で言うが、かと言って莉奈一人の力でそれを完璧に伝えられるわけではない。使い慣れない言語は微妙なニュアンスの違いまではわからないし、果たして本当に正しく伝わっているのかはその場で判断できない。

 冬になると毎年、英語や中国語を勉強しようかと考えるのだが、結局やらずじまいだ。


 莉奈は土産の紙袋を持ってバックオフィスに入った。

 佐竹に紙袋を渡してフロントカウンターに戻ろうとすると、梅本に呼び止められた。


「ねえ、ちょっと」

「どしたの」


 梅本に引っ張られるまま彼女のデスクへ向かう。そのパソコン画面にはある予約の詳細が表示されていた。


「ちょっと気になる予約があってね。明日のぶんなんだけど」

「気になる予約?」


 画面を覗き込むと、予約名は葛西明里となっている。女性一人の予約だが、プランは夕朝食付き、ディナーは洋食レストランが選択されている。


「一人で来る人は多くないし女性だってゼロじゃないけど、この人、スキーをするわけでもなさそうなの。プランはスキー関係の特典が何もつかないものを選んでるし……それに」


 梅本は言葉を切って、画面を操作した。予約システムのタブを切り替えて、備考欄を表示させる。


「夕食の席と客室の位置を、どうしてもここにしてほしいって強い要望があったの」

「レストランの席と、客室……どっちかならよくある相談だけど、両方となるとかなりこだわりがある感じだね」

「そうそう。ましてや女性の一人客でしょ。何か理由があるのかわからないけど、そこまでは聞けてなくてね。でもかなり食い下がってきて。高桑マネージャーに確認したら、あくまでリクエストとして受けておくならいいってことでその場は聞いてたの。結局どっちもアサインは調整ついたから大丈夫なんだけど、ちょっと謎が多いゲストかなって感じ」


 無茶を言うゲストは珍しくない。混み合う時期に部屋の眺望などで希望を示された場合、リクエストとして受け、確約はしない。

 当日都合がつけば希望通りの部屋をアサインするが、何でもかんでも受け入れられるわけでもないので、あまり安易に答えられるものではない。中には、部屋タイプおまかせの格安プランを選んでおいてあれこれと希望を言ってくる予約者もいるが、そんなことは論外だ。


 梅本の話を聞きながら、莉奈はじっと画面を見つめていた。

 フリー記入が可能な備考欄にはやりとりの経緯が細かく書かれており、電話応対の温度感までも手に取るようにわかる。非常識なわがまま客という感じではなさそうだが、ただの一人旅というわけでもなさそうだ。


「わかった。でも不審者ってわけじゃないんでしょ? 一応気にはかけておくけど、とりあえずは普通に対応して大丈夫だよね」

「あ、うん。それは大丈夫。ただ当日、またなにか要望を言われるかもしれないけど」

「さすがに当日ならできることは限られるからね。うまくやるよ」


 事前情報に感謝を示して、莉奈はフロントに戻った。今日は早番の配置人数が少ないので、笹川はカウンターに立ちながら翌日の準備をしてくれている。その隣のパソコンの前に立って、莉奈はホテルシステムを操作した。


 葛西明里。

 どこかで聞いたことのある名前のような気がするが、それが何か思い出せない。


 予約の内容を確認していると、ふいに笹川が呼びかけてきた。


「今朝のニュース、見ましたか」

「ニュース? いや、今日は寝坊したから何にもチェックしてないよ」

「なんか、栃木のホテルで宿泊客が亡くなったんですって。ルームチャージで二泊していて、亡くなったのは初日の夜中だったみたいです。でも清掃不要の札をかけていたせいで、結局チェックアウトの時まで気づかれなかったとかって」


 聞いただけで胸が痛む話だ。今の時期は暖房も入っているから、時間が経ってからの発見はかなりのショックがあっただろう。


「たまにありますよね。ホテルで宿泊客が亡くなるって話」

「そう……だね」


 言葉がつかえたのはその痛ましさのせいだけではない。

 三年ほど前の冬の、とある出来事を思い出したのだ。


 顔色が変わった莉奈を見て、笹川は焦ったようだ。


「どうしたんですか?」

「いや……ちょっとね」


 なおも訝しむ笹川に根負けして、莉奈は口を開いた。


「うちでもあったんだよ。ゲストが亡くなったこと」

「えっ……」


 ホテルマン一年生の彼女には衝撃の大きな話だろう。

 予想した通り、笹川は雑談をしつつも動かしていた手を完全に止めて、大きく目を見開いた。


「わたしたちにはどうしようもなかったんだ」


 莉奈は目の奥が熱くなるのを堪えながら、あの日のことを思い出した。



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