あなただけの宝箱を③


「椎名さんがこの時間にいると、違和感すごいですね」

「俺もそう思うよ。あー、体が慣れてなくて眠いわ」


 修学旅行が到着するその日、いつも退勤するくらいの時間に椎名は出勤してきた。彼の代わりの夜勤シフトには、桃井が入ることになっている。


 莉奈が話しかけると、椎名は欠伸を噛み殺しながら苦笑した。


「中学生が百二人と先生が六人。あとは添乗員。合わせてざっと百十人ってとこで、人数だけで言ったらそんくらいの規模の団体はいくらでも受け入れてるけど……」

「ほとんど子どもですもんね」


 言葉を引き継ぐと、椎名は渋い顔のまま頷いた。


「どうなるのか、全く想像がつかないな」


 飄々としている彼でも思うところはあるのだろう。一昨日に固まった最終の手配書は何度も読み返されているようで、左上のホチキス留めがゆるくなってしまっている。


 莉奈もインチャージとして、手配書の主要部分はコピーをとっていた。ジャケットの内ポケットからそれを取り出して開いてみる。

 今日の一行の到着は十時頃の予定だ。そこから二手に分かれて、スキーや体験工房に行くらしい。スキー組の更衣室として中規模の宴会場が二つ用意されている。


「あ、蕎麦打ちとかも組み込まれてるんですね」

「工房を二日間貸切にするらしいよ。で、半分ずつ交代で行くんだと。むしろ、スキーはその穴埋めみたいなポジションかもな」

「それにしても、なんで湯沢なんでしょうね。中学校の修学旅行ならもっと大きな都市に行きそうなものですけど」


 十数年前を思い出す。新潟市内の中学校に通っていた莉奈の修学旅行の行き先は大阪と京都だった。二泊三日で、お好み焼きを食べたり寺社を訪れたりしたのをよく覚えている。


「なんかなあ、いろいろ事情があるらしいよ。あんまり詳しくは知らないけどな。どうも地域的に、家庭環境が複雑な生徒の比率が高いらしい」

「家庭環境……ですか」

「ああ。それで、家庭の負担を減らすって意味でも、関西とかより近くてバスで行ける範囲で、かつ普段できないような体験を、ってことで、湯沢でスキー修旅になったってのは、営業の遠藤部長から聞いた」

「なるほど……」


 実感のわかないことだと思った。

 そういった家庭が偏った地域があることは、知識としては知っている。しかし、ホテル雪椿はリゾート地の好立地という条件もあって価格帯は高めであり、自ずと来館するゲストの層も決まってくる。

 もちろん全てがそうとは限らないが、どちらかといえば圧倒的に縁の薄い話だ。


「ま、スキーして蕎麦打って、一瞬でも楽しいって思って興味を持つ子がいたらいいなって感じだな」

「そうですね。あ、そろそろ朝のミーティングに行かないと」

「おう」


 椎名に軽く頭を下げて、莉奈はフロントカウンターを出た。平日なのでロビーはそこまで混雑していない。その片隅にクロスをかけられてスタンバイしている移動式のローカウンターは、修学旅行用のものだ。


 ミーティングはいつも通り、予約マネージャーの高桑の音頭で始められた。

 申し送りのほとんどが修学旅行に関するものだ。アレルギーに関わる食事や客室の手配もひとつではないので、漏れが無いように最終チェックを兼ねて各部署のインチャージが声に出して確認していく。

 莉奈はフロントインチャージとして、バスの到着時間や彼らのスケジュールを読み上げた。


「総支配人、お願いします」


 ミーティングの締め括りに高桑が振ると、総支配人の若杉は一歩前に出た。


「皆さん、おはようございます。今日はホテル雪椿始まって初の、修学旅行受け入れとなります。各部署、難しい対応もあるかと思いますが、当ホテルを修学旅行先に選んでくださったことに感謝し、彼らが良き思い出をつくることができるよう、頑張りましょう。もちろん、他のゲストへのサービスや配慮が疎かになることはないように」


 一同がはいと返事をして、ミーティングは終了となった。既に九時二十分を過ぎている。


 修学旅行の生徒たちの荷物は事前に宅配便で送られてきており、それらは昨日のうちに確保されていた客室に入れられている。バスが到着した時に荷物を下ろす作業は無いので、他のバス団体と比較すれば楽ではあるが、かといってそれほど悠長にしていられるわけではない。


 バスの到着時には椎名だけでなく、莉奈と梨本も誘導に出ることになっている。

 それに、一般の個人ゲストのチェックアウトもこれからどんどん来るので日勤者だけでは手薄になる可能性がある。それを見越して、既に夜勤者は一時間の残業を言い渡されていた。


「準備はこれでいいかなあ……」


 修学旅行用のカウンターにかかっていたクロスを外し、椎名は梨田とともにセッティングを済ませた。学校名の入った行燈をその脇に設置してコンセントを繋ぐ。

 そのタイミングで、フロントで外線の着信音が鳴った。


「ホテル雪椿でございます。……はい、お世話になっております。……はい、かしこまりました。それではお気をつけてお越しください」


 電話を取った笹川が、そつのない応対で受話器を置いた。


「椎名さん、修学旅行の添乗員さんからです。今、高速を降りるところだそうで、あと十分くらいで到着の見込みです」

「おお、ついにか。笹川、総支配人と遠藤部長にも連絡して、お出迎えに来てもらって。じゃあ梨田さん、バス誘導は頼みますね」


 緊張と興味の入り混じった表情で、椎名はネクタイの首元を締め直した。梨田も白手袋をきゅっと引いて、笑顔で頷いた。


「任せて」


 梨田が以前に働いていたのは、規模の大きいリゾートホテルだ。一般客の乗用車ばかりでなく、観光ツアーのバスも毎日のように来ていたらしく、それもあってか車両の誘導の腕は一級品だ。

 ホテル雪椿の玄関前のロータリーはあまり広くはないが、梨田の腕にかかれば問題ないだろう。


「じゃあ、桐島もエントランスでスタンバイを頼むな」

「はい、行きます」


 カウンターに残る漆間と笹川、夜勤メンバーによろしくとひと言置いて、莉奈はロビーから正面玄関へと抜けた。控えめだが昨晩から雪が降り続いており、朝一番で除雪しているにも関わらず、既にうっすらと白く染まっている。制服に厚手のタイツを穿いているとはいえ、その中で数分立って待つのはなかなかにハードな体験だ。


「さ、寒い……」

「そろそろインフルエンザが流行り出すな。うつらないようにしないと」


 気を紛らわすようにそう言った椎名の手の中には、小さいカイロが握られている。

 やがて若杉と遠藤も合流した。


「いよいよだね」


 若杉が少年のような笑顔で言う。今回の修学旅行案件を取ってきた遠藤は、対照的に緊張した面持ちだ。


「あ、来ました」


 道路の方まで出ていた莉奈は、雪景色の中にオレンジ色の模様を見つけて叫んだ。大型のバスが三台連なってこちらに向かってくる。


「森倉中学校です。今日から三日間、よろしくお願いします」


 一号車と表示のある先頭のバスから降りてきた添乗員が早口でそう言った。椎名は名刺を差し出して挨拶を返す。


「フロントサービス主任の椎名です。滞在中の館内のことについては、私で担当させていただきます。よろしくお願いいたします」

「ありがとうございます」

「早速ですが、皆様バスを降りられましたら二階の秋桜という会場まで誘導させていただきますので、私についてきていただければと思います」

「承知しました」


 出迎えたメンバーに添乗員が加わって、階段を経由するルートへの誘導を行う。生徒たちも緊張しているようで、総合的にはおとなしくそれに従って歩いている。中には年頃もあってか、ふざけるような歩き方をしている生徒もいるが、気になるほどではない。


 スケジュールとしては、食事会場も兼ねる専用の宴会場で全体集会を行った後、生徒を半分に分けてそれぞれ行動となる。

 半分はここから数分のスキー場でスキー合宿、もう半分は体験工房での蕎麦打ち体験だ。明日は内容を逆にして一日過ごすことになる。

 そして最終日は、午前中に全員でスキー合宿に行った後、宴会場で講演会だ。といっても大層なものではなく、スキー場とホテルから代表者に出席してもらい、仕事などについての講話を行うというものだ。その後、再度集会を挟んで帰路につく流れとなる。


「遠藤部長、三日目の講話って、誰が話すんですか」

「総支配人が直々にやってくれるってさ。あとは料飲から桜庭と、フロントから佐竹マネージャーが来てくれる」

「けっこう充実した布陣ですね。一人だけなのかと思ってました」

「スキー未経験の生徒がほとんどだからな。そればっかりってのも何だからってことで考えられたらしい。他に観光名所でもありゃ違っただろうけど」

「この雪にこの人数じゃ、動くのも一苦労ですからね」


 誘導が終わってから、莉奈は遠藤と話していた。遠藤は学校側の苦肉の策のように捉えているが、職場体験的な意味合いも兼ねているのだろう。実際に生徒が体験するわけではないが、彼らの将来に良い響きがあればいいなと、莉奈は楽観的に考えていた。


 莉奈がフロントカウンターに戻ってからおよそ一時間後、一行はそれぞれバスに乗り込んで出発していった。


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