あなただけの宝箱を②
*
その次の休日、莉奈はホテルのラウンジにいた。
といっても、ホテル雪椿の、ではない。見慣れない高い天井には大きなシャンデリアがきらめいていて、いかにも高級ホテルといった雰囲気だ。
莉奈は同期の二人とともに、クイーンズホテルに来ていた。目的は期間限定のスイーツだ。このホテルのスイーツは高級ながらも大人気で、東京の本店では政財界や芸能界の大物も好んで食べに来ると言われている。同じ味が越後湯沢でも楽しめるというのが、このホテルの売りのひとつでもある。
日中の半端な時間だからか、館内はさほど混んでいない。ラウンジ自体もいくつか空席があり、莉奈たちはその中で窓際の席に通された。窓の外は雪が降っている。
「今年も来ちゃったねえ」
柳がゴブレットを持ち上げながら言う。その顔には隠しきれない高揚が滲み出ていた。
梅本がそんな柳を見て、同じように相好を崩した。
「予定が決まってから楽しみで仕方なかったよ。去年はいちごとピスタチオのパフェだったよね」
「今年は紅茶のパフェみたいだよ。それに、去年人気で売り切れてたショートケーキもあるよ。今だけの柑橘バージョンみたい」
看板メニューのショートケーキは、定番のいちごの他にも季節ごとに限定ものが出るので、その度に通うファンも多いという。街のケーキ店に比べると価格は高いので、莉奈たちは滅多に食べることはない。
「パフェにしようかケーキにしようか悩む」
「どうせシェアするでしょ」
「それもそうね。じゃあ、パフェと柑橘のショートケーキと、あ、数量限定のプリンもあるよ、柳」
「じゃあそれにするー。 まだ食べたことなかったからラッキー」
梅本が右手を上げて、ウェイターを呼んだ。シャツとベストにサロンを巻いたウェイターは、丁寧な所作で注文を受けてパントリーへと歩いて行った。
しばらくして、先に飲み物が運ばれてくる。莉奈と梅本はカフェオレを、柳はストレートの紅茶を頼んでいた。
やがて卓上にお目見えしたスイーツは、きらきらと輝いているように見えるほど美しいものだった。
アールグレイのムースをベースにしたパフェには、オレンジと数種類のナッツがアクセントになっており、上にかかったビターチョコレートソースと合わさってシックな仕上がりになっている。
ショートケーキにはオレンジの他にピンクグレープフルーツも使われていて、甘い生クリームと対比される爽やかさが印象的だ。
プリンはシンプルな見た目ながらも、カラメルソースとホイップクリームが加わった三層構造が美しい。上に載ったフルーツもアクセントになりそうだ。
三人は写真を撮ってから、それぞれに一口ずつ交換しながら食べ進めた。莉奈はパフェの味が完全に自分好みなことに最大級の幸福を感じながら、非日常を堪能していた。
「実際、どれが一番好みだった?」
莉奈が二人に訊ねると、柳と梅本はそれぞれ互いの目の前にあるスイーツを指差した。
「あれ、そうなの? 柳、プリン好きだって言ってなかったっけ」
「そうなんだけど、思ったより柑橘のショートケーキが良くてねー。グレープフルーツと生クリームってけっこう合うんだなって、新たな発見だったわ」
「わたしは逆にプリンのシンプルな美味しさのほうが好みかもって感じ」
「そっかぁ。同じものを食べても、抱く感想はやっぱ違うね」
莉奈はそう言って、カフェオレをひと口飲んだ。
莉奈自身の感想としては、それぞれおいしいとは思ったものの、プリンは自分の好みとは少し違うものだったのと、ショートケーキは生クリームの味が思ったよりも強く感じられたという結論だ。
味の強いパフェを既に食べてから交換したからかもしれないが、二人とは違う感想を持っている。
「ま、同じものを食べたからって、みんな同じように感じるわけじゃないしね。好みはみんなばらばらだし」
ゆっくりとティータイムを満喫してから会計を済ませ、三人は併設のスキー場へと向かった。それには理由がある。
「蓮見ちゃん」
スキーセンターから外に抜けたすぐのところに、目的の人物は立っていた。パトロールのロゴが入った指定らしいウェアにスキーを装備して、ゲレンデを眺めていたその女性は、梅本の呼びかけに振り返ってゴーグルを上げた。
「お、久しぶり」
蓮見美華はこのスキー場でパトロール隊員として働いている。もともとはホテル雪椿の客室係にいた同期なのだが、二年前にクイーンズホテルのスキー場に転職したのだ。生まれも育ちも湯沢町で、本人曰く「立つようになったらスキーを履いた」らしいが、実際その腕前はかなりのものだ。
「相変わらず似合ってるね、その格好」
「やっぱね、ホテルの制服よりスキーウェアのほうが落ち着くわ。また女子会?」
「そんなところ。パフェ食べてきたよ」
話をしながら、蓮見はスキー板を外して抱えた。スキー場の事務室前まで少し移動して、積もった雪の上に腰掛ける。丈の長いダウンコートを着ていた三人もそれに倣った。
「今年はコンスタントに雪が降ってくれてるから安心だよ。降らないのも勘弁だけど、大雪になったらなったで整備が追いつかないからねえ」
だらりと体から力を抜いて蓮見は言う。その横顔は、充実感に満ち溢れている。
「楽しくやってるみたいでよかったよ。近くにいても、なかなか会う機会はないもんだね」
「シフト制の仕事で四人の休みを合わせるってなったら、早いうちに決めとかないとだもんね。仕事中に来ちゃってごめんね」
「ぜーんぜん。わたしも合わせられたらよかったんだけどさ、主任が子どもさんの用事で休まないとでね。わざわざこっちまで来てくれてありがとう」
莉奈はスキー場を見渡した。平日だが、やけに子どもらしい小柄な人影が多く見える。それを蓮見に言うと、答えはすぐに返ってきた。
「修学旅行が来てるんだ。毎年常連の小学校だよ」
埼玉にある小学校なのだという。そういえば、と、梅本が声を上げた。
「今年、うちも修学旅行の受け入れがあるよ。来週に二泊三日で」
「そういえば手配書回ってたな。フロントでは椎名さんが担当するって言ってたけど」
「わたし手配担当になっててさ。ずっとばたばたしてたけど、今日は絶対休むって決めてたから、何がなんでも昨日のうちに仕事は片付けた」
ホテル雪椿で修学旅行を受け入れるのは初めてのことだった。
営業部長が何かのコネで打診を受けたらしいが、経緯の詳細はよくわからない。莉奈が知っているのは東京にある公立の中学校の修学旅行で、滞在中にスキー場へ出向いてスキー合宿のようなことを行うらしいということくらいだ。バスでの来館なのでスキー場までの足は自前であるのだろうが、なぜホテル雪椿への宿泊が決まったのかは疑問がある。
「修学旅行って一年とか前から日程決まってるんでしょ」
「そうだよ。わたしが最初に触ったのなんて一昨年の年末だったと思うけど」
梅本は視線を遠くに投げた。担当ということで、営業部と現場に挟まれて苦労もあったのだろう。一度に百人規模、しかも九割以上が未成年の団体というだけで、一般客の何倍もの気遣いが必要になるものだ。
そんな彼女を見て、蓮見が笑った。
「梅ちゃん、当日の現場も振り回されるから、大丈夫だよ」
「なにそれ、全然大丈夫じゃないじゃん」
蓮見はけらけらと声を上げて笑うのにつられて、三人も噴き出す。年数は短くても、ひと冬の間に十近い数の修学旅行を受け入れているホテルの現場スタッフだ。いろいろ経験したのだろうと予想はついた。
「うちは自前のスキー場だから移動は楽だけど、スキー中に怪我したとか具合が悪くなったとかは毎回のようにあるしね。食事なんかも、みんな一気に来るからうまく捌かないといけないし、あとは天候が悪すぎるとスケジュールが崩れて先生たちも頭抱えてるしね」
後半はフロントの子の受け売りだけど、と言って、蓮見は再びスキー場をぐるりと見渡した。
「そろそろ、仕事に戻るね。また今度ゆっくりご飯でも行こうよ」
「うん、忙しいのにありがとね」
蓮見は綺麗なフォームでゲレンデの人影に紛れていった。
莉奈自身は修学旅行の担当者ではない。ただ、ほかの団体とは違った気遣いが必要な種類の利用客であるということは、蓮見の言葉からひしひしと伝わってきた。
当日のトラブルに臨機応変に対応できる機転と、生徒だけでなく先生や添乗員と緊密な連携を取れるフットワーク。当日、椎名はフロントカウンターの頭数として数えるわけにはいかないだろう。
そういう意味では、莉奈自身もその日の立ち回りを考えなくてはならない。未知の不安感は否めなかった。
「寒くなってきたねー。帰ろうか、もうすぐバスも来るし」
柳の言葉をきっかけに、三人はホテル前のバス停へと足を向けた。
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