第3章 あなただけの宝箱を

あなただけの宝箱を①

「それじゃ、年末年始お疲れ様でしたってことで、乾杯!」


 正月の忙しさが落ち着いた頃、行きつけの居酒屋「ゆきうさぎ」で、椎名は音頭をとっていた。莉奈たちはその声に合わせてグラスやジョッキを掲げる。

 卓上にはしゃぶしゃぶの用意が済んでいた。椎名の行きつけだというこの店は手頃で美味しいしゃぶしゃぶが看板メニューであり、彼はいつも必ず頼んでいる。肉はまだ出ていない分も確保があるらしい。


「いやあ、今年も無事に乗り越えたねえ」

「あっという間でしたね」


 桃井がしみじみと言う。スキーシーズンから年明けまでは二週間程度だがずっと忙しさが続くので、慣れているとはいえさすがに疲れていたようだ。今日の休みはずっと寝ていたらしい。


 誰が頼んでいたのか、女将がだし巻き玉子を持ってきてくれた。綿貫がいの一番に箸をのばしたのできっと彼の注文だろう。

 この店の甘めの味付けが好きな莉奈は、しれっと一切れ確保した。


「毎年何かしらのトラブルはつきものですけど、今年はそうでもなかったですね」


 大きな口でだし巻き玉子を頬張りながら綿貫が言う。彼は営業部の所属だが、冬期は料飲部のスタッフとして主に働き、さらに繁忙日には料飲だけでなくベルスタッフとしてもあちこち動き回るマルチプレイヤーとして活躍している。

 そんな彼の発言に否を唱えたのは桜庭だった。


「ワタ、そんなことはないぜ。確かにあんまりでかいのはなかったけど、ちまちましたのはあった。ま、いつものことっちゃいつものことだけどな」

「そうねー。人が集まる時期は仕方ないと言ってしまえばそうなんだけど」


 同調を示したのは植松だ。彼女がこういった場に顔を出すのは珍しい。どうやらしゃぶしゃぶにつられてやってきたようではある。


「縁日とかイベント会場は混雑が酷くて、やっぱり待ちくたびれて子どもがぐずるとかはあったかな。かといって決まった時間で遊んでいる方を急かすことはできないし」

「食事会場もけっこう似た感じでしたよ。レストランは予約制だからともかく、ビュッフェはやっぱり入場待ちができるタイミングもあったし。なんか緩和できる方法とかないですかねえ」

「どこかのホテルで、ネット上で混雑状況を公開するサービスを導入していたのを見たことありますよ。どのくらいのコストがかかるのかわからないですけど」


 それいいな、と、桜庭は栗原の情報にぱちんと指を鳴らした。


「あ、あとあれ。椎名さん、見ましたか」

「ん? 何の話だ」


 莉奈が話を振っても椎名はぴんときていないようだった。スマホを操作して画面を見せる。表示されているのはホテル雪椿の予約ページ――ただし公式サイトのそれではなく、とある大手の予約サイトのものだった。


「椎名さんが対応してたクレームのお客様ですよ、これ」


 莉奈がそれを見つけたのは、今日の話だ。フロントカウンターでスタンバイしている間、手持ち無沙汰をごまかすために各サイトのクチコミを眺めていたのだ。ある予約サイトのクチコミ欄の一番上に来ていたのが、そのクチコミだ。


〈写真を見て、清潔感のある明るい客室を楽しみにしていたのに、通されたのは全然違う内装で、花咲グループに期待して思い描いていたイメージとは全くの別物でした。そのことに苦言を呈しましたが、謝るばかりで何も対応してくれません。

 こんな部屋で一晩過ごせと?

 あまりに腹が立ったので、翌朝はさっさとチェックアウトしてしまいました。せっかくゆっくりしようと思っていたのに残念です。

 食事はビュッフェでしたが夜も朝も激混み。空になっている料理もあるし、目の前で焼いてくれる朝食のパンケーキは長蛇の列でとてもじゃないけど待っていられませんでした。

 館内でいろいろイベントもやっていたみたいですがどこも人だらけ。ホテルのキャパと見合っていないのでは?

 大浴場は露天風呂も広くてよかったですが、総合的に見てもう来ることはないと思います〉


 内容と投稿された日付を見るに、新年早々客室の内装のことでクレームをつけてきたゲストであると容易に推測できた。

 横から覗き込んでいた桜庭が、わぁ、と声を上げた。


「熱のこもったラブレターだこと」

「だとしたら、ツンデレにもほどがありますけどね」


 椎名はうんざりした顔でビールを一気飲みした。


「あのゲストかあ。納得してくれたと思ってたけど、こんなふうに書くつもりでいたってことかな」

「ほかにも気に入らないことを見つけてあげつらってるだけですよ。食事のこととかわざわざ書いてますし」

「まあ、わざと悪意を乗せて書いてるようなクチコミだし、全部を真に受ける必要はないだろうけどさ」


 植松が日本酒のグラスを口元に運びながら壁にもたれかかった。イベント会場の混雑についても言われていたので、それなりに思うところがあるのだろう。


「やっぱり混雑緩和は繁忙日の永遠の課題よね」

「そうだねえ。仕方ないことではあるけど、なるべく待たずに快適に楽しんでもらえたほうがいいってのは事実だし」


 桜庭は彼女の言葉に大きく頷いた。朝食のビュッフェは回転率がいいのでそこまで待つことはないが、夕食ではアルコールの注文が入ることも多く、一組の滞在時間は長くなりがちだ。

 会場に来ても満席で待つことになるゲストが出てしまうこともあり、それが小さな子ども連れだったりするとウェイティングの難易度は上がる。


「栗原くん、さっき言ってた混雑状況が見れるっていうのはどんなシステムなの?」

「あ、ええと、このへんだとクイーンズホテルが導入してて……これです」


 栗原は自分のスマホを少しいじって植松に見せた。


 クイーンズホテル越後湯沢は、この近辺で最大のホテルだ。東京にある高級ホテルの系列で、グループ唯一のリゾートホテルを謳っている。県内でもトップクラスの高さのホテル棟は三十階まであり、さらには自前のスキー場まで完備しているので、駅前の温泉街から少し離れた高台に位置しているものの、人気の宿泊施設のひとつだ。


「クイーンズか……さすが、ホテル業界の最大手はやることが早いわ」


 スマホでサイトを見ていた植松が、感心したように呟いた。


「そこだけじゃないですよ。他にも、ファミリー向けの大きいところはそれぞれシステムを導入してます。グランドスノウなんかはがっつり自社開発したみたいですし」


 栗原はファミリー向けを大きく謳っているホテルの名前を出した。


「とにかく、ゲストがぱっと見てわかりやすいかどうかってのは、公式サイトに必要な要素よね。客室の写真の件も改善の余地がないわけじゃないし」

「そんなに深刻にならなくてもいいんじゃないか」

「でも、変えられるなら変えていったほうがいいでしょ。予約サイトに載せる写真を変えたり増やしたりするのはたいした手間じゃないし、文言を追加で出したり書き換えたりだっていくらでもできるもの。さすがに混雑システムの導入はすぐには難しいだろうけど、予算がいけるなら総支配人に掛け合う余地はあるわ。結果的にわたしたちの負担軽減にもなるのよ」


 植松はきっぱりと言い切った。実際、その通りである。

 他社が運営している予約サイトなどはそう簡単にあれこれ変えられないこともあるが、自社サイトなら話は別だ。ホテル立ち上げから十年になるが、むしろこれまでさほど大きな改修や更新がなかったのが不思議なくらいだ。


「広報担当に掛け合うわ。でも、人手不足だから動きは遅いかも。わたしたちもフォローには入ってるけど、こっちはこっちで春からの準備も進めないといけないし」

「広報って今もう一人しかいないですよね? しかも秋に異動したばっかりの……」

「そうなのよ。退職と病休が重なるなんて思わなかったわ。今は企画課とは別々だけど、いっそ統合してマーケティング部として体制を整えたほうが良さそうかって、うちの課長は言ってるけど。一人でウェブ関連の改修とSNSの運用を全部やらせるのは酷だし」


 毎年秋の大規模な異動により、それまで広報課にいたベテランが総務に異動になり、入社四年目の若手が配置された。だがその直後に一人が退職、そして冬前に病気療養に入った課員が一人出た関係で、マーケティング部は完全な人手不足に陥っている。


「今は予約サイト関係の業務を企画課で回してるの。でもずっとこのまま成り行きで引き受け続けるわけにはいかないしね。かといってうちの社員はどの部署も余ってないから、引き抜きもできやしないわ」

「春の異動で進展があればいいですけどね」


 あーあと嘆きの声を上げて、綿貫がしゃぶしゃぶの鍋をつつき始めた。

 いつの間にか肉を投入していたようで、ちょうどよく仕上がっている。彼はそれを順に配っていった。


「ま、とりあえず今は食べましょうよ。ほっとくとつゆが煮詰まっちゃいますよ」

「だな」


 くだらない話に切り替わったあと、締めの雑炊までしっかり平らげて、一行は帰路についた。


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