第2章 年末年始の喧騒の中で
年末年始の喧騒の中で①
スキーシーズンが始まって十日ほど経った。慌ただしい中でクリスマスはあっという間に過ぎ去り、世間は新しい年を迎える準備をしている。ハロウィンが終わってすぐ、十一月の半ばからずっとロビーを彩っていたクリスマスツリーやリースなどは、一昨日撤去されていた。
それらに替わって、ホテル雪椿の館内は年末年始の飾りを纏い始めていた。門松や新年用の花飾りなどが館内のあちこちに飾られ、イベント用の掲示やカウンターも用意されている。普段はシックな内装で統一されているが、この数日は鮮やかな色合いに包まれている。
ホテルでは年末年始のイベントがいくつか用意されている。抽選会はその中でもメインとなるもので、毎年豪華な景品が用意される。チェックイン時に配られるカードを持って会場に集まり、ゲスト司会で招待する地元のタレントの軽快なアナウンスで盛り上がるのだ。
今日のチェックインから、そのカードの配布が始まる。大晦日の今日と元日の明日、抽選会は二日にわたって実施される予定だ。
「だいぶ正月らしくなってきましたね」
フロントカウンター周りの飾りを整えている佐竹に、莉奈は話しかけた。インテリア関係の資格を持っているという佐竹は、こういった館内装飾に関して人一倍気合いを入れて取り組んでいる。
数日前まで館内を煌びやかに輝かせていたクリスマスの装飾も佐竹の監修が入っているというのは本人の談だが、冗談ではないらしいというのは準備をしている彼の表情を見ているとわかる。本人はフロントサービスの仕事が好きだから企画課や広報課には異動したくないと言っているらしいが、そちらの部署としては欲しい人材だろう。
「正月飾りは期間が短いし、忙しい時期の差し替えになるから毎年あんまり凝るなと言われているんだけどな。つい癖が出てしまうんだ」
「いいんじゃないですか。年に一度のおめでたい日なんですから、めいっぱい華やかに迎えるってのもありだと思いますよ」
「そうだな。……ロビーの花飾り、もう一回り大きくても良かったかもな」
少年のような目をして佐竹が視線を向ける先には、町内の生花店で手配した大きな花飾りがあった。正面玄関から館内に入るとき、一番に目につく位置に配置されたそれは、併せて手配をかけていた和風テイストの枠飾りと合わさって高貴な雰囲気となっていて、この時期にふさわしい空間を演出している。
大晦日のリゾートホテルには貴重なアイドルタイムの午後一時半、がらりと変わっていくその様子につられて今年一年を振り返っていると、カウンター越しに幼い声が聞こえた。
「すみませぇん、パンフレットいちまいください」
舌足らずな声につられて身を乗り出すと、まだ学校に上がっていないくらいの兄弟が莉奈を見上げていた。カウンターの上に置いていた館内イベントのパンフレットを一枚取って渡してやると、二人は嬉しそうにお辞儀をしてとたとたと走っていった。
少し先に両親がいたらしく、母親の腕に抱っこされた赤ちゃんと一緒に五人でパンフレットを覗き込んでいる。
「お、日本酒バーなんてあるのか。飲み比べもできるんだな」
「それよりこの縁日よね。混まないうちに行かないと大変だわ」
子どもたちだけでなくその親や大人たちにも楽しんでもらえるよう、企画課はさまざまな企画を考えてくれている。日本酒バーはその中でもご当地要素と好きなだけ飲み比べができるという内容で、オフィシャルサイトやSNSで公開した時から反響が大きかったものだ。
新潟県内の酒蔵から十種類以上の日本酒を取り寄せたのだが、どこのどのお酒にするかという会議が今年一番白熱したと言っても過言ではなかったという。日本酒好きの柳に言わせれば「いい塩梅で決まった感じで、安定感と面白さのバランスはいい感じじゃない?」とのことだが。
一方の縁日は例年安定した高評価を得ている出し物であり、子どもたちが気軽に楽しめる遊びを宴会場に取り揃えてお祭りのように仕立てるものだ。
今の子どもたちにとっては未知の遊びとも言えるめんこやコマなど、正月らしい要素を取り入れつつ、ハーバリウムなどのワークショップなども開催される。普段は大きな宴会などに使われる会場は子どもたちの盛り上がる声で溢れかえるのだ。
ゲストに見えないところで半年近く前から着実にすすめられたその準備は、今日の午前中から花開いている。普段ならスキーやスノボで外出するゲストが多いため、館内を歩く人は少なくなる。だが今日からは、のんびりと数日間を館内から出ずに過ごす人も多く、昨日までと比較して賑やかだった。
「チェックインの山場は今日だから、気を引き締めて頑張ろう」
「そうですね」
隣に立つ漆間は、緊張と無邪気が入り混じった表情をして頷いた。
ホテル雪椿は、近隣の各宿泊施設と同じように年末年始は高価格のプランに切り替わる。ざっくり考えれば通常の倍の価格だ。そのため、リピーターゲストの比率が高くなる。
彼らはホテルのことをよく知ってくれており、かつ鷹揚で多少のことは気にしない。そのため、ホテルマンとしては嬉しい類のゲストである。だが、総支配人の若杉は彼らへの接客にこそホテルマンとしての品格が出るのだ、と言う。お互いに顔や名前を知っており、慣れているからこそ、何か起こった時には重大な事案になってしまうのだ。
「今日は柘植様がいらっしゃる日だよね。毎年、お昼くらいには来館してたと思うけど、今日はまだなんだ」
桃井がチェックインの箱を見ながら呟いた。朝から断続的にラッシュが来ていた気がするが、まだそこには七十近いカードが残っている。そして莉奈自身もまだ、そのリピーターゲストを見かけていないことを思い出した。
「そういえばそうですね」
柘植和也は開業した年から毎年正月に連泊するゲストだ。訪れること自体は年に数回、学校が休みの時期にやはり二泊から三泊程度の日程で、家族四人で来るのだが、正月だけは柘植和也本人の両親や兄弟、またその家族も含めて、二十人近い人数でやってくるのだ。その手配や会計などは全て柘植和也が一人で行っており、さながら添乗員のようになっている。
彼らは例年、正午前後に到着する新幹線でやってくる。昼食は越後湯沢駅近くで済ませて、ホテルに到着するのはいつも午後一時ころだ。そこから館内のイベントをまわったり、部屋で各々寛いだりしているようだ。だが今日はまだ来ていない。
いつも同じ時間に起こることがそうではなくなると気になってしまう。だがまだ二時過ぎだ。そもそもまだチェックインの時間にもなっていないし、柘植御一行から連絡が入ったわけでもない。莉奈は気にしまいと小さく息を吐いて吸った。
「いらっしゃいませ。到着のお手続きを承ります」
タイミングよくカウンターにやってきたゲストを迎え入れながら、莉奈はどことなく感じる胸騒ぎから意識を逸らした。
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