第9話 ようこそ、わが家へ

 翌日の「あずき食堂」の仕込み前、双子はダイエー曽根そね店に入っているチャンスセンターで宝くじを購入した。スクラッチだと当選金がすぐに出るのだが、有田ありたさんが「急がへんよ」とおっしゃってくださったので、普通の近畿宝くじだ。連番を10枚。


 それは約1ヶ月後、見事提示された絵画の金額に相当する当選額を叩き出したのだった。


 「あずき食堂」をオープンする時に、マリコちゃんが当ててくれた当選金を入れてもらうために作ったみずほ銀行の口座は、動かしてはいないものの今でも大事に置いてある。


 高額当選金は店舗のあるみずほ銀行に受け取りに行かなくてはならない。双子は当時作った通帳と身分証明書になる免許証、印鑑を手に、十三にある支店に足を向けた。


 そのころにはもう梅雨つゆの気配が見え始め、じんわりと湿度が高くなり始めていた。雨の日はまだ少ないものの、少しばかり不快に感じる日も出始めている。


 2度めの高額当選に銀行の方は大いに驚かれ、対応してくれた銀行員さんに何度もお祝いを言われ、当選金はつつがなく口座に入金された。


 そしてネットバンキングを使い、有田さんに絵画の料金をお支払いした。久々に大金を動かすので、双子はさくの部屋のノートパソコンの前で緊張したものである。


 そして有田さんに、入金した旨をSNSでお知らせする。すぐに既読が付き、お返事が届けられた。


『ありがとうございます。ご入金を確認次第、お届けに行きますね』


 有田さんはマリコちゃんが画を買い取ると行った時、双子とマリコちゃんに見せてくださるために持って来てくださっていた画を、このまま置いて行くとおっしゃってくださった。


 だがお代金もお支払いしていないのに、それはさすがにいけないと辞退したのだ。


 マリコちゃんの力は全面的に信用している。マリコちゃんが言うのなら、たった1枚の宝くじでも大金に化けるのだ。だが信用というのは大事である。きちんとお支払いしてから、堂々と受け取りたかった。




 そして翌日、オーダーストップ間際に有田さんが来られた。今日はおひとりである。そして入れ違いで、おふたり連れのお客さまが帰られ、有田さんだけになった。


「吉本くんはお仕事で、今日は泊まりなんやそうです。なので今日はひとりで。ええですか?」


「もちろんですよ。ごゆっくりなさってくださいね」


 朔が言い、もちろんようも笑顔でお迎えする。有田さんはいつもの様に奥の方のお席に掛けられた。肩に掛けられた平たいお荷物が、きっと例の画だ。先日と同じ黒いバッグである。また後ろの壁に立て掛けた。


「今日はどうされますか?」


「瓶ビール……は、ひとりで中瓶1本は多いやろか」


「でしたら小瓶でお出ししましょうか」


「あるんですか?」


「ありますよ」


「ほな、それでお願いします」


 小瓶のビールはおしながきには載せていない。どうしても中瓶より割り高になってしまうし、ご注文されるお客さまがほとんどおられないからである。


 特に、早い時間帯にはお酒を頼まれるお客さまが少ない「あずき食堂」だが、飲まれる方はおひとりでも中瓶1本を平気で飲み干される。


 中瓶1本は500ミリリットルなので、飲まれる方には普通の量なのである。


 朔は冷蔵庫から小瓶のビールを出し、栓を抜いた。


「はい、お待たせしました」


 まずはグラスをお渡しし、1杯めを注ぐ。


「ありがとうございます」


 有田さんは柔和にゅうわな笑みを浮かべ、こくりと口を付けられた。


「あの、ひとりなんですけど、惣菜全部でメイン無し、なんてわがままな注文て行けますか?」


「ええ、もちろんですよ」


 朔が笑顔でお応えすると、有田さんは「良かったぁ」と表情を崩される。


「僕、たまに肉とか魚とかも食べたなるんですけど、基本は野菜が好きなんですよ。ここの惣菜は味が優しくて美味しいです」


「嬉しいです。ありがとうございます」


 陽も隣で「ありがとうございます」とぺこりと頭を下げた。


「あ、でも今日は卵焼き無くなってしもたんですよ。よろしければ小さいオムレツでも焼きましょか?」


 陽が言うと、有田さんは目を丸くされて「いえいえ」とやんわりと首を振られる。


「そんな、お手間ですから。他の惣菜があれば充分です」


「わしは卵も欲しいぞ」


 店内にそんな声が響き、見ると有田さんの横にマリコちゃんがちょこんと座っていた。


「マリコちゃん」


 朔は驚く。普段、マリコちゃんが双子に呼ばれる前に姿を現すことは滅多に無かった。基本人間には見えないのだから、いつ出て来てくれても問題は無いのだが、双子がお仕事中に気が散らない様にと気遣ってくれているのだ。言い換えれば、それだけお仕事に真剣に励めというマリコちゃんのメッセージでもある。


 そして、卵焼きが品切れでも、いつもは少しばかり膨れる程度である。そんなわがままを言うことも珍しかった。


「ほな、卵焼き1本焼いて、有田さんと分け分けしよか。プレーンでええ?」


 朔が聞くと、マリコちゃんは鷹揚おうように「うむ」と頷いた。


「有田さん、卵焼き、味付けだけのプレーンでええですか? 何も入ってへんやつなんですが」


「いやはや、やっぱり嬉しいですねぇ。ありがとうございます」


 有田さんはお顔を綻ばせた。


 陽がお惣菜の支度をしてくれるので、朔は冷蔵庫から卵を出す。1本を作るのに卵を3個使う。ボウルに割り入れ、あまり空気を含ませない様に、だが、むらの無い様にほぐす。


 味付けはお塩とうま味調味料である。うま味調味料は健康に悪いなどという話が出回っている様だが、グルタミン酸ナトリウムが主な成分である。これは自然由来のもので、昆布などにも含まれている旨味なのである。


 そうしてできた卵液を、火に掛けて米油を引いた卵焼き器に薄く入れた。じゅわぁっと音がして、火が程よく通ったら奥から手前にくるくると巻いて芯を作る。そしてまた卵液を入れて巻いて、を、卵液が無くなるまで繰り返した。


 そうしてできあがった輝く卵焼きを、まな板に上げる。少し落ち着かせてからの方が切りやすいのである。


 マリコちゃんと有田さんの前には、陽が準備をしてくれたお惣菜が提供されていて、すでにお箸を伸ばしていた。


 今日のお惣菜は、泉州せんしゅう水茄子の塩昆布漬けと新ごぼうのごまマヨネーズ和え、ズッキーニのグリルにスイスチャードペペロン、煮浸しはピーマンである。


 泉州水茄子はなかなか北摂ほくせつには回って来づらいお茄子である。だが仕入れをお願いしている八百屋さんは、人参の彩誉あやほまれなども含め、いろいろなブランド野菜を入荷していて、双子に勧めてくれるのだ。


 丸々とした身には、水分がたっぷりと含まれている。それを丁寧に半月切りにし、塩昆布を軽く揉み込んで少しの間漬けた。塩昆布は減塩のものを使い、水茄子の爽やかな甘みを引き立てるのである。


 柔らかな新ごぼうは蒸して甘みを引き出し、すり白ごまとマヨネーズで和えるのである。こっくりとした味付けの中に、新ごぼうの土の香りが映えるのだ。


 ズッキーニは輪切りにし、断面にオリーブオイルを塗ってお塩を振って、グリルでこんがりと焼いた。シンプルな味付けで、しっかりと詰まった旬の旨味が味わえるのである。


 赤黄オレンジの軸を持つカラフルなスイスチャードは、にんにくと鷹の爪の香りを移したオリーブオイルで炒めてやる。お塩とこしょうで味を引き締めてあげると、若く癖が少ない甘い味わいを引き上げるのだ。


 ピーマンは縦に4等分にし、短冊切りのお揚げと一緒に、お出汁をベースにした煮汁でさっと煮て、じっくりと常温に冷ます。色は深緑になってしまうが、しんなりとなったピーマンの風味もとても良いものである。


 そして卵焼きはちりめんじゃこだった。


 さて、卵焼きが落ち着いたので、4等分にカットした。


「マリコちゃん、端っこ食べてもろてええ?」


「望むところじゃ」


 すると有田さんが焦って申し出てくださる。


「僕が端をいただきますよ」


「いえいえ。そもそもマリコちゃんには開店前に、いつも端っこを食べてもろうてるんで」


 朔が笑顔で言いながら、卵焼きを小鉢に移した。


「はい、お待たせしました」


 綺麗な渦を巻いた断面を見せる卵焼きを有田さんの前に置くと、有田さんは申し訳無さげに頭を下げた。


「すいません、ありがとうございます」


「気にするな、甘露寺。わしは端っこの香ばしい感じも好きなのじゃ」


 マリコちゃんはさっそく卵焼きをお箸で割って、大きく開けた口に放り込んだ。


「うむ、やはり焼きたては旨い。たまには何も入っていないもの良いものじゃ。卵の味がじかに感じられる」


「焼きたては開店前や無いと食べられへんからなぁ」


 陽がおかしそうに笑った。


「ところで甘露寺かんろじ、今日はあの画を持って来てくれたのじゃろう?」


 ごくりと卵焼きを飲み下したマリコちゃんは、期待に満ちた目で有田さんを見る。有田さんは「はい、もちろん」とふわりと微笑んだ。


 有田さんは立ち上がると、背後に立てておいたバッグを持ち上げ、ファスナーを開いて画を取り出した。


「こちらです。どうぞお納めください」


 そうして、双子とマリコちゃんに見える様に、両手で画を持たれた。


 ああ、本当に良い画だ。まるで親ばかみたいだが、大きく描かれているマリコちゃんは本当に可愛らしい。朔は表情を綻ばす。


「ああ、本当に良い画じゃなぁ」


 まるで朔の心の中を読んだ様なせりふとともに、マリコちゃんはうっとりと、満足げに微笑んだ。

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