第8話 色とりどりの世界

 有田ありたさんが服部はっとり緑地公園で座敷童子ざしきわらしの風景画に取り組まれてからおよそ1ヶ月、吉本よしもとさんと有田さんが薄型の大きな荷物を抱えてやって来られた。今日ももうすぐオーダーストップになる、遅い時間帯だった。


 桜の木は鮮やかな緑色に包まれ、気候も初夏の様なものになっていた。暖かく湿度もまだ低めで、過ごしやすい日々が続いている。


「ご無沙汰してしもうて」


「いらっしゃいませ。お元気そうで何よりです」


「いらっしゃいませ〜」


 吉本さんの柔和な笑顔を、双子は歓迎する。有田さんも満ち足りた様なお顔だった。


 吉本さんはこの「あずき食堂」まで電車の距離だし、いくら数駅とは言えお足が遠のいても無理は無いだろう。吉本さんがお住まいの十三じゅうそうには、曽根そねとは比べものにならない数の飲食店があるのである。選びたい放題だ。


 そう言えば、有田さんのお住まいをお聞きしていないことを思い出す。画集で公開されているプロフィールからも、大阪府内であることは間違い無いのだが。


 おふたりは奥の方のお席に掛けられ、大きなお荷物は背面の壁に立て掛けられた。さくはおふたりに温かいおしぼりをお渡しする。


 今日のお惣菜は、長芋の塩昆布和えにヤングコーンのごま和え、にんにくの芽とパプリカのオイスターソース炒め、ちんげん菜の煮浸しと、卵焼きは干しあみえびだ。


 長芋は短冊切りにし、塩昆布と和えた。ねっとりとしつつもしゃきしゃきで甘みを蓄えた長芋に塩昆布が絡み、程よい塩梅あんばいになるのだ。


 ヤングコーンは蒸して粗熱が取れたら斜め切りにし、お醤油とお砂糖、煮切ったみりんとすり白ごまで和える。爽やかな甘みのヤングコーンの味わいと香ばしい白ごまの風味が合わさって、かぐわしい旨味になる。


 オイスターソース炒めは、適当に長さに切ったにんにくの芽と、大きさを合わせてカットした赤と黄色のパプリカを炒め合わせた、色も鮮やかな一品である。オイスターソースの他にお醤油に日本酒、ごま油を使っていて、しっかりした味ながらも豊かな食材の旨味が生きている。


 煮浸しは定番の一品。お出汁を効かせた滋味深い煮汁にお揚げとちんげん菜が沈む。お揚げの味わいが煮汁に溶け出し、味わいを上げた煮汁が張りのあるちんげん菜にふんだんに絡むのである。


 人気の卵焼きは、この時間になると無くなってしまっていることも多いのだが、今日は幸いひとり分あった。


「お惣菜、ふたりで全種類もらうことできます? メインは何か、魚の揚げ物が食べたいなぁって」


 吉本さんのご注文に、朔がお応えする。


あじフライがありますよ。1尾ずつお揚げしましょうか?」


「ありがたいですねぇ。あ、ご飯はもちろんお赤飯で」


 有田さんがお顔を綻ばせた。


「はい。お待ちくださいね。お飲み物はどうされます?」


「瓶ビールで。あとでお味噌汁もください」


「はい、かしこまりました」


 ようがお惣菜の準備を始めているので、朔は天ぷら鍋の火を付け、冷蔵庫から開いてある鯵を取り出す。臭み抜きまでしてあるので、そこに小麦粉、卵液、パン粉を付けて、温まった天ぷら鍋に滑らせた。


 じゅわぁっと音が上がり、ぱちぱちとぜる。まずは触らず、衣が安定するまで放置。数分経ってからひっくり返す。そうしてふっくらと火を通してやる。


 ここでへたを外したししとうを入れる。破裂しない様に穴を開けてある。


 油の立てる音がおとなしくなって行く。そろそろ揚げ上がりだ。菜箸さいばしで持ち上げ、軽く油を切って油きりバットに立てた。このまま1分。それで余分な油が落ち、衣がからっとなる。


 それを2枚の平皿に1尾ずつ載せ、ししとうを添えた。


「はい、鯵フライお待たせしました」


「ありがとうございます」


「ありがとうございます」


 吉本さんと有田さんはそれぞれ朔から直接お受け取りになる。すでにお惣菜をさかなにグラスに注いだ瓶ビールを傾けていた。


 吉本さんはまるままお箸で持ち上げてかぶりつき、有田さんはお箸で切り分けて口に運ばれた。揚げたてで熱いので、はふはふと口を動かして熱を逃がす。


「ああ〜、揚げたての鯵フライ最高ですね! さっくさく!」


「ほんまですねぇ、ふっくらと揚がってて、美味しいわぁ」


 瓶ビールとお惣菜を挟みながら、お料理を平らげて行く。世間話などをしつつ、和やかに時間は流れて行った。


 そうしているうちにオーダーストップになり、お客さまも吉本さんと有田さん以外全員退店された。そのころにはおふたりも瓶ビールを空け、お赤飯とお味噌汁を楽しまれていた。


「あ〜、ここのお赤飯がご褒美って感じがします。がんばった甲斐がありました」


「ほんまやな。有田くん、そろそろどうや」


「そうですね!」


 張り切られた有田さんはお箸を置かれると、壁際に置いてあった平たいバッグを持ち上げる。


「今日はおふたりとマリコさんにこれを見て欲しいて」


「あ、ほなマリコちゃんも呼ばんとですね。マリコちゃん」


 陽が呼ぶと、有田さんの隣の席に、マリコちゃんが姿を現した。


「吉本、甘露寺かんろじ、ご無沙汰じゃな」


 マリコちゃんは嬉しそうである。きっとおふたりが来られるのを、心待ちにしていた。


「うん、久しぶり」


「お久しぶり」


 おふたりもにこやかにご挨拶をされる。


「お前たちが来たということは、画が完成したんじゃな? そうで無ければこの店の敷居はまたがせんぞ」


「もうとっくに跨がってお食事されとるがな」


 陽が笑いながら突っ込む。


 そうだ。それは朔も、きっと陽も期待していることだ。有田さんは画を描かれる時には、寝食を忘れて集中されてしまうらしい。その時限定でお世話をしてくれる家政婦さんがおられるそうだ。なのでその間は「あずき食堂」はもちろん、外食そのものをされないそうだ。


「はい。見て欲しくて持って来ました」


 そうして有田さんがバッグから取り出したのは、長辺が50センチ以上はある額縁だった。縁の部分は細いシルバーで、それに挟まれたものは。


 それは見事な画だった。


 服部緑地公園の円形花壇を背景に、8体の座敷童子が生き生きと描かれていた。


 円形花壇で開く花々や芝は抽象的で、少しばかりトーンが落とされている。これは有田さんの画風の特徴である。


 そして写実的な座敷童子たち。綺麗なお花に鼻を近付ける子、噴水の上で軽やかに舞う子、楽しそうに追いかけっこをする子たち、鞠を投げ合う子たち。そして紫の着物のマリコちゃんが左側にいちばん大きく描かれていて、カメラ目線で満面の笑顔だった。


 落ち着いた風合いのお花や緑の上で、遊びまわる色彩豊かな座敷童子たち。それは癒しと同時に心躍る、可愛らしくも美しい1枚だった。


 そしてモチーフが座敷童子だからなのか、お花の雄しべには金色に輝く小判が成っていた。噴水や池にも金色が混ざっている。


「うわぁ……!」


「はぁ〜っ」


 双子は揃って溜め息を吐く。心の底からの嘆息たんそくである。本当に素敵な画だ。惚れ惚れしてしまう。丁寧に運ばれた筆、乗せられた色。細かな凹凸のある用紙に広がる、透明感のある水彩インク。


 現実感と幻想感が入り混じり、溢れるおとぎ話の世界。素晴らしいものである。


「凄いですねぇ! 凄い素敵です!」


「ほんまに! マリコちゃんも皆もめっちゃ可愛い。すごーい!」


 双子は素直に賞賛の声を上げる。


「ありがとうございます」


 有田さんははにかまれた。嬉しそうに目尻を下げられる。


「……ほう」


 マリコちゃんがきらきらとした目で、画に見入っている。すっかりと魅入られた様だ。


「これは凄いのう。これが本物の絵画というものか」


 マリコちゃんが岩手県にいたころのことはあまり知らない。だが双子の両親に付いて大阪に来て、それからほとんどを五十嵐いがらし家の中で過ごしていたはずだ。双子も美術館などに行く趣味が無かったので、マリコちゃんが実物の絵画を見る機会なんてそう無かったのかも知れない。


「甘露寺、この絵画はどうするんじゃ?」


「画商さんとやりとりして、買い上げてもらうんよ。それから画集用のスキャンをしたり、人手に渡ったりやね」


「ふむ」


 マリコちゃんが考える様に天を仰ぐ。そして「よし」と声を上げた。


「甘露寺、その画はわしが買い上げよう」


「え?」


 マリコちゃんのせりふに、有田さんはぽかんとする。しかしすぐに、また「ええ!?」と驚いた声を出された。


「買い上げるって、そんな、いや、それはええねんけど、お金」


「そうやんな。有田くんの画、今はそれなりの金額や。あ、でも座敷童子やから金持ちなんか?」


 双子も呆気に取られてしまうが、我に返って慌てて口を開く。


「マリコちゃん、現金なんて持ってたっけ?」


「そうやで。有田さん、つか甘露寺花柳はなやぎの画って、多分結構すんで。私らの貯金もそこまでは」


 陽の言う通りだ。マリコちゃんのお陰もあって「あずき食堂」は充分やって行けている。貯金だって細々ではあるができている。だがそれはこれからの「あずき食堂」を維持するためのものである。


 マリコちゃんがいることで「あずき食堂」は安泰と言える。マリコちゃんの願いだって叶えてあげたい。だが今ある貯金を手放す勇気が双子には無かった。そうしても足りるかどうか。


 双子がおろおろとうろたえていると、マリコちゃんが「ふん」と鼻を鳴らした。


「朔、陽、わしを誰だと思っておる。この食堂を始めた時のことを思い出せ」


「……え?」


 陽が怪訝けげんそうに首を傾げるが、朔は瞬時に思い出した。そうだ、あの時は。


「マリコちゃん、もしかして」


 朔のせりふに、マリコちゃんはにやりと口角を上げた。


「そうじゃ。宝くじじゃ」


 マリコちゃんが胸を張ると、吉本さんと有田さんが「へぇー!」と感心された様な声を上げられた。

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