第2話 綺麗で気さくだから

「ほな行って来るね。ごちそうさま」


「ありがとうございました。行ってらっしゃいませ」


「行ってらっしゃい」


 さくように見送られ、お会計を済ませた浮田うきたさんは出勤して行った。


「あ、あの、すんません」


 浮田さんのお姿が開き戸の向こうに見えなくなると、浮田さんのお隣だったスーツ姿の年若い男性が、控えめに声を掛けて来る。


「はい」


 朔がにこやかに返事をすると、男性は少し言い淀む様に口をぱくぱくさせる。最近たまに来られる様になったお客さまで、まだ双子との会話はほとんど無い。お名前もお伺いしていない方である。


 男性は少し目を泳がせながらも、意を決した様に口を開いた。


「あの、隣に座ってはった女性なんですけど、浮田さんて呼ばれてはった方。ホステスさんなんですよね……?」


「はい、そうですよ」


 それは会話で出ていたことなので隠すことでは無い。隣なのだから聞こえて当然だ。


「あの、どちらのお店ですか……?」


 そのせりふに双子は顔を見合わせ、朔はまなじりを下げた。


「申し訳ありません。それはお客さまのことですのでお教えできなくて」


 そうやんわりと言うと、男性は気まずそうに「あ」と眉根を上げた。


「そ、そうですよね、すんません」


「でも浮田さんはまた来はると思いますし、タイミングが合うたらお聞きしてみたらええかも知れませんよ。きっと教えてくれはると思いますよ」


「そ、そうでしょうか」


 男性は自信なさげに目をしょぼしょぼさせた。


「はい」


 浮田さんのお勤めのクラブをお教えすることは、プライバシィにも関わるのでできないが、直接なら問題無いだろう。それは浮田さん次第である。それに高級クラブは基本的に紹介が必要である。もしお店を見つけたとして、いきなり行っても門前払いされるのが落ちだ。


「大丈夫ですって。浮田さんはフランクな人ですから」


 陽が明るく言うと、男性は「は、はい」と少し自信を取り戻したかの様に頬をかすかに赤くした。


「今度会えて、勇気が出たら聞いてみます。ありがとうございます」


 男性はがばっと頭を下げた。




 その日の閉店後、タッパーに入れなかったあまり物を平らげたマリコちゃんは「今日も旨かったぞ」と満足げに息を吐いた。


「朔、陽」


「なぁに?」


「なんや?」


「男の子がいたじゃろ。桜湖さくらこのことを聞いておった背広姿の男の子じゃ」


 桜湖とは浮田さんの源氏名げんじなである。本名の下のお名前はお伺いしていないが、話の流れで源氏名は教えていただいたのだ。浮田さんのクラブでは、キャストの源氏名に花の名前を付けているのだそうだ。安易と言えば安易だが華やかである。


「うん。あの男の人がどうかしたん?」


「桜湖の店を教えてやれば良かったんじゃ。そうしたら桜湖の客になっておったかも知れんのに」


 マリコちゃんは少し膨れた様に言う。マリコちゃんは日々頑張る人の味方である。浮田さんに新しいお客さまが付けば、それは確かに浮田さんのためになるのだろうが。


「いや、あかんやろ。あれは浮田さんの個人情報やで。うかつに他の客に言われへんて」


「うん。あずき食堂の信用問題になってまうよ」


 陽と朔に代わる代わる言われ、マリコちゃんは「ふん」と鼻を鳴らした。


「面倒じゃな」


「信用は大事やで。万が一浮田さんが、それでうちに来てくれへんくなったら、マリコちゃんかて嫌やろ?」


「む」


 朔の言葉にマリコちゃんは目をぱちくりさせる。


「それは確かに嫌じゃな。桜湖は良いおなごじゃ。とても器量好しじゃし気も利く。ぜひ自分の店を持ってもらいたいものじゃ」


「浮田さんの目的が目的やから、それはどうか判らへんけどね」


「けどああいう仕事は年齢制限もあるやろ。それこそオーナーママにでもなれば別やろうけどさぁ。やとわれママも有りか?」


「確かにキャストさんのままやったらそうかもねぇ。でもそれは浮田さんが一番解ってはるやろうし、何か考えてはると思うよ」


「ああ、人間は年齢で外見が変わって来るものな。誰しもが等しく老いると言うのにのう」


 マリコちゃんが呆れた様に言うと、双子は「ふふ」「はは」と笑う。


「実際の年齢ていうよりは見た目年齢やろうけどね。浮田さんは実年齢より上に見られることを気にしてはったけど、そういう方ほどあまり老けへんもんみたいやで。もちろん個人差あるやろうけど」


「あとは皺とかもな。ほうれい線とか。そういうのが見た目年齢に大きく関わって来るやんな」


「そういうものか。わしは妖怪じゃからか、あまり見た目は気にせんからのう」


 確かに妖怪には様々な見た目のものがいるのだろう。きっとそれこそ、一目で気を失いかねない様な妖怪もいるかも知れない。朔もそう詳しくは無いのだが。


「妖怪って、マリコちゃんみたいな座敷童子は人みたいやけど、そうや無いのもきっとたくさんやんねぇ」


「まぁそうじゃの。それが理由かどうかはわしにも判らんがの、わしらは人間にとっての美醜もさして判断基準にならん。じゃが桜湖の仕事に外見が大事なのは分かるぞ。客はそれに癒されておるんじゃろ」


「うん。浮田さんは綺麗やからな。せやけど高級クラブで指名取れる様になるにはそれだけや無いで。話術やったり知識やったり機転やったり、そういうのが大事になってくると思うで」


「そうじゃの。ここでは大分気を抜いておる様じゃがの」


「それだけうちが居心地ええってことやったら嬉しいなぁ。せやからこそさっきの男の人やで。多分浮田さんを見初めてもたんやろうなぁ」


 男性のお気持ちも分かるのだ。お綺麗なのはもちろんなのだが、それをまるで鼻にかけず、こうした定食屋でご飯を楽しまれながら、屈託無く笑ってお話される気さくさ。それは浮田さんの大きな魅力である。


「多分な。綺麗やのに気取ってへんもんな、浮田さん。やったら尚更店教えられへんな」


「そんなものかの?」


 マリコちゃんは不思議そうに首を傾げる。


「そうやねぇ。あの男の人まだ若そうやったやろ。浮田さんのお店ってチャージだけでゆうに万単位やで。株やってるとか起業してるとか、ご実家が裕福でお小遣いが潤沢とかならともかく、そうや無いならとてもや無いけど支払える金額や無いよ」


「あの男の子からはそう金の匂いはせんかったぞ」


「それにな、やっぱり好きな女性が他の男を接待してるん、あんまり見た無いんや無いかな」


「それはなんとも心が狭いものじゃな」


 マリコちゃんが眉をしかめると、陽は「そりゃあなぁ」と苦笑する。


「客同士がフロアレディ取り合ってるとかや無いねん。あれは言うてもただの独占欲で、色恋絡まんからな。それが入るとまたちゃうで」


「ああ、恋慕じゃな。それはやっかいじゃ。まぁわしは桜湖が嫌な思いをせんかったらそれで良い」


「やったらその分、お赤飯で浮田さんを護ったげてよ」


「そのたいみんぐでここに来てくれたら良いんじゃがの」


 思うところがあるのか、マリコちゃんは少し渋い表情を浮かべた。

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