3章 ある意味高低差のあるふたり
第1話 控えめな華やかさ
まだ肌寒い日が続くが、桜の
ファンデーションはマット感のあるものを使い、ぱっちりとした目を覆う長いまつげはエクステだと聞いた。アイラインは目元をはっきりとさせ、アイシャドウは細かいラメ入りの淡いベージュ。
軽いベージュのチークにピンクベージュのグロスが、華やかなお顔を可愛らしく見せていた。
浮田さんは実年齢より上に見られてしまうらしいのだ。大人っぽいということなのだろうが、それがお嫌なのだろう。
これからお仕事だという浮田さんは、椅子に掛けて温かいおしぼりで手を拭く。わくわくと、だが悩ましげな様な表情でカウンタのお惣菜を眺めた。
「今日も迷うわぁ〜。全部食べたなってまう。でもそんなには食べられへんし、あんまお腹いっぱいになっても仕事に差し
今日のお惣菜はポテトサラダ、
ポテトサラダは薄切りの新玉ねぎ、輪切りのきゅうりをそれぞれ塩揉みをして水分を絞り、ハムは短冊切りにして、新じゃがいもは皮を剥いて粉吹きにし、熱いうちに荒く潰してりんご酢とお塩とお砂糖で下味を付ける。
粗熱が取れたら材料を全部合わせ、白こしょうとマヨネーズで調味をする。具材はシンプルにしてあるがやはり玉ねぎは欠かせない。今は旬の新玉ねぎが使える。
筍のきんぴらは、茹でてあく抜きをした生の筍をスライスしてごま油でさっと炒め、日本酒とみりんとお醤油で味を付けた、さくさくとした心地よい歯ごたえの一品だ。仕上げに香ばしい白ごまを振る。
生の筍も新玉ねぎと同じ、春先からいただけるご馳走である。水煮は年中通して手に入れることができるが、やはり生の筍が持つ爽やかさはどうしても損なわれてしまう。なので食べられるうちは何度でも、ふんだんに取り入れたいと思ってしまうのだった。
豆もやしのナムルは丁寧に1本1本ひげ根を取り、お塩を入れたお湯で茹でて粗熱が取れたら、お塩とお砂糖とがらスープの素、すり白ごまとごま油で調味をした。しゃきしゃきとした軸、ぷりぷりとした豆の歯ごたえがなんとも良い。豆もやしはじっくりと火を通すことで、ふくよかな甘みも引き出されるのだ。
きのこのポン酢炒めは、ざく切りにしたえのき、小房に解したしめじと舞茸、少し厚めにスライスした肉厚の椎茸、短冊切りにしたえりんぎと盛りだくさんのきのこを菜種油で炒め、調味は軽いお塩とポン酢。ポン酢は火を通すことで角が取れ、さっぱりといただける。
にら入り卵焼きは、かつおと昆布のお出汁と薄口醤油で調味した卵液に、小口切りにしたにらを入れて焼いた。少し癖のあるにらが卵の旨味と合わさり良い風味である。
選んでいただけるお惣菜は基本2品だが、追加料金で追加することができるのだ。若いお客さまなどは追加されたりする。ちなみに白米だと一杯までなら無料でお代わりもしていただける。
「ん〜、そうやねぇ、じゃあポテサラとナムルにしようかな。メインのおかずはぶりの塩焼きでお願いね〜。あ、ご飯は絶対にお赤飯!」
「はい。お待ちくださいね」
ぶりはあらかじめお塩と日本酒を振って臭みを抜いてある。そこに味付けのためのお塩を振ってお酢を塗った網に乗せ、トレイに乗せてグリルに入れた。火は上からしか出ないので、途中でひっくり返してやる。
ポテトサラダともやしナムルをそれぞれ小鉢に盛り付け、豆苗のお味噌汁とお赤飯を整えて先にお出しした。
「お待たせしました。ぶりは少々お待ちくださいね」
「ありがとう」
浮田さんはお料理を前に「いただきます」とお
「落ち着くわぁ〜。やっぱり日本人はお出汁って感じがするやんねぇ〜。ねぇ
「貝類ええですねぇ。今度やってみましょうか。あさりはこれから旬ですし」
「あ、でもコストとか上がってまうやろか」
「なんか記念日とかにできたらええですね。月末とか」
「それやったら誘われてもこっちに来ちゃう」
「特に浮田さんは肝臓大事にしないとですもんねぇ」
「あはは。そうそう〜」
浮田さんはそう言って
浮田さんは、北新地のクラブで働くフロアレディさんなのだ。
北新地は大阪が誇る高級歓楽街である。高級クラブやホストクラブ、割烹料亭などが立ち並ぶ街だ。とはいえここ近年の間に様変わりし、ガールズバーや手頃なお店も増えて来た。これも時代の流れというものなのだろう。
だがまだまだ高級店は健在である。浮田さんがお勤めなのはそのうちの1店なのだ。
浮田さんはお客さまとのご同伴が無い時は、こうしてあずき食堂でお仕事前の食事をされて行かれるのだ。
そうしているうちにぶりが焼きあがる。表面にはやんわりと良い焼き色が付いており、脂がじわりと浮いていて美味しそうだ。大葉を敷いた角皿に載せて大根おろしを添えた。
「はい、ぶりの塩焼きお待たせしました」
「やったぁ。ありがとう」
角皿を受け取った浮田さんは大根おろしにお醤油を垂らし、お箸で割ったぶりのかけらに大根おろしを乗せて口に入れた。
「脂乗っててふわふわ〜。美味しいわぁ〜。やっぱり私和食が好きやわ〜」
そう言ってうっとりとした表情になった。
「同伴やと皆さんフレンチとかイタリアンとかに連れて行ってくれはるから。美味しいんやけど、個人的には普通の居酒屋さんとかでもええんやけどもなぁ」
「さすがに店の売れっ子さんを、安居酒屋には連れて行かれへんでしょ」
陽が言うと浮田さんは「売れっ子て」と言って笑う。
「行けても小料理屋さんとかやもんねぇ。もちろん美味しいんやけどもね? でももっと気楽に行けるお店の方が嬉しいなぁ〜」
「浮田さんってええクラブにお勤めなのに、感覚は
朔の言葉に浮田さんは「そうなんよねぇ〜」とおかしそうに笑う。
「100均とかも好きやしね。お客さまがくれはる高価なアクセもお店でしかできひんの。私、合う服持ってへんもん。でも先輩いわく、お店でするんが正しいらしいんやけどね。お客さま同士が競争するからって」
「もっとええもんをあげたくなるってことですか?」
「それもやし、売り上げもね。ええボトルを入れてくれはったりするねん。嬉しいんやけど、申し訳無いとも思ってまうんよねぇ」
「ほんまに、なんで浮田さんが高級クラブにお勤めなんが不思議になりますよ」
陽の言葉に浮田さんは「あはは。やんねぇ〜」と明るく笑われる。
浮田さんが夜のお仕事に身を置かれているのは、ご自分のためである。将来結婚できなかったらひとりで生きて行かなければならないからと、今から貯金に励んでおられるのだ。結婚する気が無いわけでは無いらしいが、こればかりはご縁なのだから自分の意思だけでどうこうすることはできない。
大学進学をきっかけに、遠方の親御さんの元を離れて、この
そうするとこれが浮田さんには向いていた様で、もちろん浮田さんご自身の努力もあって、売れっ子さんになっていったのだ。浮田さんは元々華やかなお顔造りだがそれを抑えるためのメイクをし、ヘアスタイルも華美にはしない。
今はストレートヘアを下ろしているが、フロアではアップにするのが決まりなのだそうで、その時も控えめな造花を飾られる程度だ。そして庶民感覚を保っているからか、お客さまからは娘さんの様に可愛がってもらえる様だ。
最初は北新地の小さなクラブ勤めから始まって、スカウトなどでお店を移って行かれたのだ。そして今である。
浮田さんはこれからお仕事なわけだが、お店のバックヤードでドレスで着替えるので今は普段着である。ベーシックな装いなので普通のお嬢さんに見える。そんな服装でも浮かないメイクなので親しみやすいのだろう。
仕事のドレスもワインレッドや黄色などの鮮やかなものが多い中、浮田さんはベージュやピンクを選ぶので、そういうところもハードルを下げるのだと思われる。
高級クラブなのだから相応の格式はあるだろう。だが浮田さんは今のスタイルで今の地位を築かれたのだ。それができたのは責任者、この場合はママさんが浮田さんの特徴を見抜いていたからなのだそうだ。
「私みたいなんなんて、高級クラブには向かへんかも知れへんよねぇ。でもお客さまもいろいろやし、ママは私みたいなんがおってもええて思ってくれたんやと思う。お店をあそこまで大きくしたママやもの、やり手なんよ」
「そうですよねぇ。そういうお店ですからお客さまの経済状態は皆さんええんでしょうけど、性格やお好みまで同じや無いでしょうからねぇ」
「ナンバーワンはすっごい華やかな先輩なんよ。シックな黒のドレスとか凄い似合う綺麗な人やねん。憧れるけど同じ様にはできひんやろうから」
「私は今の浮田さんのままで、またこの「あずき食堂」にお食事に来ていただきたいです」
「うん。私も今の自分に不満は無いわ。幸いご指名もたくさんいただけるしね。ここのご飯食べて力を付けて、今日もがんばるで〜」
「飲み過ぎにはご注意ですよ」
「うん。ありがとう」
朔の
「うん、やっぱりここのお赤飯美味しい。なんやろう、食べるたびにお祝いされてる気がして嬉しいんよねぇ〜。コンビニでもおにぎりで手軽に食べれるのにね。お茶碗に入ってるからやろか」
「ご気分の問題でしょうか? でもうちのお赤飯で浮田さんにええこととかがあれば嬉しいです」
「そうやね。だったら嬉しいな」
朔が穏やかに言うと、浮田さんはにっこりと微笑んだ。
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