第3話 勇気を出して

 それから男性は頻繁に来られる様になった。あれから少しお話をさせていただく様になったのだが、お名前は門脇かどわきさんと言う。大学を卒業して間も無い社会人2年目だそうだ。


 2年目ならまだそう給料も上がっていないだろうが、ご実家暮らしで余裕があるとのこと。なので晩ごはんはお家でご用意があるだろうから、あずき食堂で摂られる必要は無いのだろうが、それはただ浮田うきたさんにお会いしたいがためだろう。


 その間に浮田さんも実は来られてはいたのだ。だが席が隣り合うことが無く、そうなるとなかなか話し掛けるきっかけが作りにくい。門脇さんはそう積極的な性格では無い様で、例えばお店を出ようとされる浮田さんを呼び止めたりされるとか、そういう勇気は出なかった様だ。


 隣同士で何気なくお話をする、そんなシチュエーションを門脇さんは望まれていた。なので浮田さんが来られた時は両隣が空いている席にご案内したりしたのだが、門脇さんが残業を終えて来店されるころには埋まっていたりする。なんともタイミングが難しい。


 だがその日、珍しく門脇さんは残業が無かった。いつもより「あずき食堂」に来られるのが早かったのだ。その時浮田さんはまだ来られていなかった。そもそも来られるかどうか判らないのだが。


「あら? 門脇さん、いらっしゃいまで。今日はまだ連絡してませんのに」


 ここ最近から、浮田さんが来られたらメッセージをお送りする様になっていたのだ。門脇さんの健気さに感心したからだ。


 こういうのはルール違反なのだろうが、いくらご実家暮らしとは言えそう何日も外食されていればふところも痛む。それに結局話し掛けられるかどうかは門脇さん次第なのである。双子はお膳立てはして差し上げるが、橋渡しまではするつもりは無い。


「残業が無かったんで、つい来てしまいました。これで僕の横が空いとったら、あの人が座られる可能性がありますよね」


 今席はほどほどに埋まっている。2席並びで空いている席は1箇所だったので、門脇さんはその1席に掛けられた。浮田さんが来られたならその横にご案内したら良い。それぐらいなら構わないだろう。


 門脇さんはお渡しした温かいおしぼりで手を拭きながら、おしながきを見る。


「えっと、鶏の照り焼きください。お赤飯で。おばんざいはどうしようかな」


 門脇さんは腰を浮かせてカウンタに置かれた大皿を見下ろす。今日のおばんざいは菜の花のごま和え、塩揉み新玉ねぎとしらすの柚子こしょう和え、アスパラガスの白和え、短冊山芋のいか塩辛和え、きくらげ入り卵焼きだ。


「じゃあ卵焼きと、菜の花のごま和えください」


「はい。お待ちくださいね」


 卵焼きは特に男性客に人気の1品でいつも多めに作る。それでも閉店まで保たないことも多いのだ。卵焼きはマリコちゃんも大好きなのでいつも文句を言われてしまうが、開店前の味見と、切り落とした端っこで我慢してもらっている。


 お酒を頼まれないので、先に温かいほうじ茶をお出しし、お料理を整えて行く。


 鶏肉は仕込みの時に一口大に切ってある。唐揚げなどにも使うからだ。全体に小麦粉をまぶし、菜種油を引いたフライパンで皮目から焼いて行く。裏返したら酒を振り入れてふたをしてふっくらと蒸し焼きにし、みりんやお醤油などを合わせたたれを入れ、とろみが出て鶏肉に程よく絡んだら完成である。器にこんもりと盛り付けて彩りのパセリを添えた。


 おばんざいとお赤飯、わかめのお味噌汁も用意して門脇さんにお出しした。


「ありがとうございます!」


 門脇さんはそれらを嬉しそうに受け取り、まずはお赤飯を頬張った。


「やっぱりここのお赤飯は美味しいです。前はあまり好きや無かったんですけど、ここで食べてたら好きになりました。たまにお昼にコンビニでおにぎり買うたりもする様になりました」


「味覚が変わったのかも知れませんねぇ。例えば小さい頃ににごうて食べられへんかったピーマンが、大人になって美味しく食べられる様になったとか、そういうのありませんか?」


 朔の言葉に、門脇さんは「あ、あります!」と膝を打った。


「そういうのも味覚が変わるってことなんですか。ただ大きくなったから食べれる様になったんやーって思っとったんですけど、そういうことなんですね。僕の場合はピーマンやなくて椎茸なんですけど」


「椎茸も確かに苦手なお子さん多そうですもんねぇ」


 門脇さんはゆっくりとお箸を動かして行く。浮田さんが来られるまでに食べ終わってしまったら話すタイミングが無くなる。それは門脇さんにとっては「あずき食堂」に来られる意味が半減してしまうのだ。


 門脇さんは確かに来られた時に、浮田さんの両隣りが埋まってしまっていたら残念そうなお顔をされるが、美味しそうに食事をされて、満足げに帰って行かれる。そこは好感が持てる。だからセッメージをお送りする様になったのだが。


 そして門脇さんの願いはようやく叶えられる。浮田さんが来られたのだ。


「こんばんは〜」


 浮田さんの明るい声に、門脇さんははっと顔を上げ振り向いた。


「こ、こんばんは」


 勇気を出されたのか勢いなのか、門脇さんは少し上擦うわずった声で言う。それに浮田さんはにこやかに「こんばんは」と応えた。


「いらっしゃいませ」


「いらっしゃい。こちらにどうぞ」


 陽がさりげなく門脇さんの横にうながす。浮田さんは何の疑問も抱かずそこに掛けられた。朔がお渡しした温かいおしぼりを「ありがとう」と受け取られる。


「は〜、今日もお仕事やで〜。頑張らんとね〜」


「大変なお仕事ですもんね」


「大変や無いお仕事なんてきっとあれへんよ。私らは自分そのものが商品みたいなもんやから、その分お給料も多くいただけてるけどね」


 するとお隣で機会をうかがっていた門脇さんが「あ、あの」と声を上げる。緊張しているのか少し声量が大きくなってしまった。門脇さんはそれをごまかす様に「んんっ」と小さく咳払いをする。


「あの、えっと、失礼ですけどクラブでホステスをされてるんですよね」


「ええ。そうですよ」


 浮田さんは笑顔のままで小首を傾げる。今日もきちんと整えられた容姿はとても美しい。


「あ、あの、こ、今度、そのお店に行ってもええですか?」


 すると浮田さんは一瞬ぽかんとした後、「そうですねぇ」と小さく眉をしかめる。双子は(行くこと諦めてへんかったんか)と驚いて顔を見合わせた。


「うちのクラブは紹介が無かったら入れなくて。それは私がいるから大丈夫でしょうけど、あの、大変失礼なんですけども、お仕事は何を。普通の会社員でしょうか」


「はい。一般企業に勤めています」


「うちのクラブはお席に着いていただくだけで数万円してしまうんですけど、大丈夫でしょうか」


「え、」


 門脇さんは絶句した後「ええっ!?」と目を白黒させた。

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