2章 金物屋さんの未来

第1話 金物屋さん親子の晩餐

 まだ春には早いが、初春の植物もそろそろ芽吹き始めるのでは無いかというあたり。息の白さも少しは和らいで来ただろうか。


 ご常連の町田まちださんが息子さんを連れてあずき食堂に来店されたのは、もうすぐ冬が終わろうとするころだった。


 町田さんは中肉中背。短く刈り上げた髪には白いものが混じり、年齢を感じさせる。息子さんは幼さを残した顔立ちで、まだ未成年の学生さんだと思われた。


 町田さんは駅前から西に続く商店街で、小さな金物屋かなものやを経営されている。


 今や調理器具などはスーパーやデパートで買う時代である。それでも「町田金物店」が維持されているのは、少しではあるものの「あずき食堂」のお赤飯のお陰があると言って良い。そんなことはもちろん町田さんはご存知無いが。


 町田さんいわく「毎日ぎりぎりです」だそうだが、それでも奥さまと息子さん3人で食べて行けるのは凄いことだと思う。町田さんの尽力も大きいのだろう。


 町田さんがお父君から引き継いだお店は地元に根付き、特にお年寄りに頼りにされているそうだ。


 配達はもちろん、その先で切れた電球を取り替えたり、お得意さまが希望されれば、トイレットペーパーなど本来なら金物屋では取り扱わないものもお持ちしたりする。こういうものは若くても持ち帰るのが大変だから、力が弱くなって来たお年寄りだともっと困難だろう。


 今はネットスーパーの利用も広がっている。重いものを運んでもらったりと便利なのだが、お年寄りには扱いが難しいところも多いだろう。


 「ここでご飯食べると、不思議と翌日からの売り上げがええ気がすんねん」


 町田さんはそんなことを言いながら、月に数度来られては焼き魚で定食を仕立ててお赤飯を食べて行かれる。そんな町田さんが珍しく息子さんを連れて来られた。それはこの「あずき食堂」の知られざる力に関係があるのだろうか。


「初めまして。息子の義明よしあきです」


 息子さんの義明くんは、礼儀正しく双子に挨拶をしれくれた。


「初めまして。いつもお父さまには良うしていただいてます」


 さくが言い、ようも横で懐っこい笑顔を浮かべると、義明くんはほっとした様にゆるりと口角を上げた。


 義明くんは先に椅子に掛けた町田さんに促されて隣に腰を下ろす。揃って出したばかりの温かいおしぼりで手を拭き、町田さんは気持ち良さそうに顔も拭いている。まだ若い義明くんはまだまだ格好つけたいお年頃なのか、そこまではしなかった。


「義明、ここはな、カウンタのおかずからふたつ選んでな、後は肉とか魚のおかずを選ぶねん。僕はいつも焼き魚にしてんねん」


「俺はもっとがっつりしたんがええなぁ」


 義明くんはそう言って、町田さんが差し出した1枚もののメニューを見る。そして嬉しそうに「あ、揚げ物あるやん」と言った。「あずき食堂」では揚げ物は鶏の唐揚げやいかリングなどを準備している。


「俺、とんかつにしよっと」


「そう言われたら僕も揚げ物が食べたなって来たわ。あじフライにしよか。ご飯はふたりとも赤飯で。今日はそのために来たようなもんなんや」


「はい。お待ちくださいね」


 朔と陽はさっそく支度に掛かる。あじは仕込みの時に開いてある。身の内側部分にお塩で下味を付け、全体に小麦粉を薄く叩いたら卵液に浸してパン粉を付ける。あずき食堂ではパン粉は細かいものとやや粗めのものの2種類を用意し、あじフライには粗めのパン粉を使う。


 とんかつはひれ肉を使う。フォークで刺して繊維を断ったひれ肉にお塩とこしょうで下味、小麦粉に卵液を付けて、こちらも粗めのパン粉をまとわせた。


 揚鍋はそう大きく無いので、時間が掛かるとんかつから揚げる。そろりと入れて、ぱちぱちと音を立てるそれをまずは触らずに待つ。衣が固まって来たらひっくり返してあじフライを追加。尻尾を持ってそっと油に入れる。


 揚げ始めは具材に水分があるので、油にじゅわじゅわと泡が立つ。だがそれが落ち着いてくれば揚げ上がりの目安だ。泡が放つ音も小さくなる。


 揚げ上がったら天ぷらバットに上げて油切りをする。こうして数分置いておけば表面がさくさくになるのだ。


 その間にお惣菜とお赤飯、お味噌汁の用意をする。お惣菜は日替わりである。町田さんが選んだのは高野豆腐の含め煮とちんげん菜のごま和え、義明くんは里芋の煮っころがしとちりめんじゃこ入りの卵焼きだった。


 高野豆腐は噛み締めればじゅわっとお出汁が染み出して、口いっぱいに滋味が広がる。


 ごま和えは、茹でて丘上げし、水分をしっかりと絞ったちんげん菜を、すり白ごまをたっぷり使った和え衣で和えた。ちんげん菜の爽やかな甘みと白ごまの香ばしさがほっこりする。


 里芋の煮っころがしも、お出汁を効かせた煮汁でことことと煮込んでいる。日本酒とみりんとお醤油が里芋の甘みを引き出し、ねっとりほっくりと仕上げている。


 ちりめんじゃこ入りの卵焼きはお出汁と薄口醤油で風味付けした卵に、じゃこの塩味と歯応えが良いアクセントになっている。


 ちなみにあとの1品は切り干し大根である。短冊切りのお揚げといんげん豆と一緒に煮汁で炊き上げた。


 どれも双子の母譲りの優しい味付けのものだ。お出汁も昆布と削り節をたっぷりと使って取っているので風味も豊かである。


 お惣菜はそれぞれ小鉢に盛り付け、お赤飯はお茶碗に盛ってごま塩を振る。お椀にはさっと湯通しした生わかめを入れ、お出汁と合わせ味噌で作ったお味噌汁を注いで、小口切りの青ねぎを散らした。


 平皿を出して天紙を敷いた上にとんかつとあじフライをそれぞれ盛り付け、彩りに一緒に揚げたししとうを添えた。


「はい、お待ちどうです」


「お待たせしました」


 そうしてできあがった定食を町田さんと義明さんにお出しした。


「ありがとう」


「ありがとうございます」


 カウンタ越しにお料理を受け取り、食べやすい様にカウンタテーブルに並べる町田さん親子。普段一緒に同じご飯を食べているからか置き方は似通っていた。手前に揚げ物、横に小鉢、奥にお赤飯とお味噌汁。


「いただきます」


 並んで手を合わせ、町田さんはまずお味噌汁をすすり、義明くんはお赤飯を大口に放り込んだ。そこはやはり若さからなのか、義明くんはあまり良く噛まずにごくりと飲み込んだ。


「ん、久しぶりの赤飯旨いな。家じゃあまり出ぇへんもんな」


「家でとなるとなぁ。やっぱり祝い事の時とかになるやろうからな」


「やんなぁ」


 義明くんは言うと今度はとんかつを頬張る。さくっと音を立てて噛みちぎり、これもあまり回数を噛まずに飲み下した。


「このとんかつ、やぁらかいな。旨い」


 義明くんはそう満足げに口を動かす。そしてお味噌汁をすすった。


「ここはな、赤飯があるんが嬉しいんやけど、他の料理も旨いやろ」


「うん。家で母さんが揚げてくれるとんかつってもっと硬いよな。何が違うんやろ」


 義明くんは首を傾げる。家でお母さまが作ってくれるとんかつが硬いと言うのなら、それは火の通し方だろう。火通りの不足が心配で揚げ過ぎてしまうのは良くあることである。食中毒の心配である。豚肉はしっかりと火を通してあげないとならない。部位の違いもあると思う。


 「あずき食堂」ではひれ肉を使っているが、これは豚肉の中では高級部位と言われているものだ。1頭から取れる量が少ないからである。脂身が少なくてヘルシーであることと、柔らかいことで採用しているのだ。仕事などで疲れた胃に脂たっぷりは重いだろうと思うからだ。これからお仕事の人も胃もたれを起こしてしまっては大変だ。衣が吸う菜種油で充分である。


「朔ちゃん、何かとんかつのコツとかあるんやろか」


 町田さんが聞いて来られたので、朔が部位の違いと火通しの話をする。スーパーなどでとんかつ用として売られている豚肉はロースが多い。なので町田さんの奥さまもそれを使われているのでは無いかと思う。


「へぇ〜、なるほどねぇ」


 食事に夢中の義明くんの横で、町田さんが感心した様な声を上げる。


「部位とかひとつ取ってもいろいろあるんやなぁ」


「でもそこは好みやと思いますよ。脂身があって味も濃いロースも美味しいですし、やらかいのが良かったらひれを使ったり。うちは使い勝手とかも考えてひれ肉使ってますねぇ」


 ロースだと揚げた後にカットが必要だが、ひれだと揚げたままお出しできる。その一手間があるのと無いのとでは段取り的にも大きい。


 朔の言葉に町田さんはまた「はぁ〜」と溜め息混じりの声を上げた。


「いやね、僕はもう歳が歳やから揚げ物もそう食べられへんし、あまり気にしたことも無かったんやけど、どうせ食べるなら少しでも美味しいもんがええよねぇ。家内に火通りがどうとか言ってみようかな」


「そうやんな。ここのみたいなとんかつ、家で食えたら最高やんな」


 義明くんも同意すると、朔はつい軽い渋面を作ってしまった。そんなことを言われてしまえば、奥さまは気分を害されるのでは無いだろうか。毎日家族のために懸命に炊事をされているだろうに。


 世代的なこともあり、普段から全ての家事を担っている可能性が高い奥さまは、金物屋の店番もしていると聞いている。仕事をしながらの家事育児は大仕事だ。そして義明くんもおそらくは手伝いなどしていないのだろう。していればあんなせりふは出て来ないだろうから。


 それに家で揚げ物をするのは大変なのだ。夏は熱い油の前に立つのでさらに暑くなるし、冬は気温の問題が多少解消されるだけだ。ただ油で揚げるだけだなんてとんでも無い。下ごしらえも大変だし、使う器具の数も多い。使った後の油の処理も油だらけの洗い物も大変だ。油はねして手が火傷することだってある。それは朔も身に沁みて分かっている。それをしてくれるというだけで、とてもありがたいことなのだ。


 しかしこれは町田さんの家庭の事情なので、朔が何かを言えるものでは無い。無いのだが。


 ボトムを引っ張られたので足元を見ると、マリコちゃんが朔の腰に手を伸ばしていた。顔を上げたマリコちゃんは忌々しげに眉毛を吊り上げて首を左右に振って言った。


「町田にはがっかりじゃ」


 町田さんは確かにお赤飯のご加護を受けられている。だがそれは全ての人に恩恵を与えるわけでは無い。努力を怠らない人、賢明な人に効果が現れる。


 確かに町田さんは金物屋経営は真摯に頑張っておられるのだろう。ご加護があるのだからそれは本当だ。だが奥さまに労力がかたよっているのなら、それはマリコちゃんの裁量から外れてしまう。柔軟なマリコちゃんは価値観のアップデートを続けているのだ。マリコちゃんの一言にはそれが込められていた。


 このままだと町田さんにマリコちゃんのご加護が届かなくなってしまう。大変である。挽回できるだろうか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る