第32話 王都動乱――連合軍 2
獣王軍第三旅団およそ1,000人を率いる旅団長の名は伊達ではありませんでした。
「ふんっ!!」
「きゃあっ!」
4タテしたチェロンさんを、たった数秒でのしてしまいました。腕力だけ見れば、おそらくこの場にいる誰よりも強いんじゃないんですかね?
さて、お次は中堅……私の番です。もちろん今の私は非力な魔法使いの女の子なので、こんな屈強そうな女騎士さんに勝てるわけがありません。
「お手柔らかにお願いします」
「フンッ……先ほどの彼奴のようなつまらん真似はするなよ? 負けるなら潔く負けろ」
「はい、分かっています」
自陣の方からは応援の声が聞こえてきました。
「ド、ドロシーちゃんっ! 頑張ってください! 無理そうなら降参していいですからねっ!」
「ドロシーちゃーんっ!! イカサマはバレなきゃイカサマじゃないからねーっ!!」
「うるせぇ黙ってろ反則負け! あとシュラは寝るんじゃねぇ!! ……くれぐれも、このアホみたいにはなんなよー!」
「すぅ、すぅ……」
あはは……シュラさん、大丈夫ですかね?
私は一抹の不安を覚えながらも、背が足りないために用意された踏み台に登って机に肘を乗せ、シェルテさんの大きな手を握りました。
「それじゃー、よーい、始めー」
相変わらず気の抜ける掛け声と共に試合が開始し、私は手に力を込め……
……ん?
「ぐっ!?」
あっマズい。ちょっと手に力を込めただけでシェルテさんが押し負けてしまいました。このままだと私が勝ってしまいます。
ちょーっとだけ、力を抜いて……
「ぐぬぬぬ……ふんっ!!」
あっ――と思ったその時には既に遅く、手の甲が叩き付けられた私は勢い余って華麗に宙を舞いました。
ええと、今回の敗因は、そうですねー、私がまだこの身体を扱い切れていないことですかね。ゴーレムの身体にドラゴンの肉を配合したせいで力の扱いが上手くいきません。モンスターマシンを運転している気分です。
宙を舞っている間に反省会を終えた私は地面に衝突する直前、浮遊魔法を展開して着地する準備をしましたが、その前に私はシェルテさんに抱き留められてキャッチされました。
「すまない。少々、力を出し過ぎてしまった。怪我は無いか?」
「はい、大丈夫です……よいしょっと」
彼女の硬い腕から飛び降り、私は自陣に戻りました。そこではシュラさん以外の三人が大量にご飯を食べており、マーチの商人がホクホク顔になっておりました。
「すみません、負けてしまいました」
「大丈夫よ! こっちには怪力バーサーカーがまだ残ってるもの!!」
「誰が怪力バーサーカーだ……はぁー」
「で、でも、まだシュラちゃんが副将で残ってますから」
「……」
チェロンさんの言葉に、皆は押し黙りました。なぜなら、シュラさんは……
「すぅ、すぅ……」
「気持ちよさそうに寝てますね」
「……シュラってお酒を飲んでから日光を浴びると寝ちゃう癖があるのよね」
無理やり起こそうとしても絶対に起きません。編み笠の下でスヤスヤと気持ちよさそうに寝ております。
仕方ないので副将は不戦敗ということで、いよいよ大将戦です。
リベリオンサイドの大将、レティレットさんは着ていた上着を脱いで黒いタンクトップ一枚だけとなり、肩をグルグル回して戦いの場に立ち上がりました。
しかし、あれだけヒートアップしていた観客は彼女の姿を見た途端、一気に盛り下がりました。
「……あーあ、負けたな」
「クッソォ!! 銀貨を無駄にしたぁっ!!」
「なるほど、リベリオンサイドは副将までで相手を全員抑える計画だったのか……旅団長が強すぎて失敗に終わったみたいだな」
「いやー、途中のピンク髪の狼獣人の子までは良かったんだけどねぇー」
皆、諦めムードです。原因はレティレットさんの背が小さく、見るからに非力だから……その雰囲気を感じ取った彼女は静かに怒りを滾らせ――
包帯を巻いた手で、机を叩き壊しました。
会場は、静まり返りました。
「……フン。見た目でしか物事を判断できねぇ馬鹿ばっかりなんだな。アンタの旅団とやらは」
「すまない。存分に言い聞かせておこう……ちょうど良い機会だ。其方が部下どもにそれを教えてやってくれ」
「上等」
新たに用意された机の上で二人は手を合わせ――試合開始。また、私のように派手に吹っ飛ぶのではないか。
観客のその予想は、見事に裏切られました。
「ぐぬぬぬぬ……」
「ぎぎぎぎぎ……」
体格の違う二人の腕力は拮抗していました。お互いに全力を出して、なお拮抗。果たして決着はつくのか……意外にも、決着はすぐに訪れました。
二人が肘をついている場所に、ヒビが入りました。
「なっ!?」
「あっ!?」
机が先に壊れました。二人の力に耐えられるような代物じゃなかったのです。試合前に壊してしまったので新しく用意したはずなのですが、それでも粉々に壊れてしまいました。
これはどうするべきか……
「審判に判断を委ねようか」
「ああ、そうだな」
「……えー、じゃあ、引き分けで」
カトリスさんはそう言ってスタスタと去ってしまいました。
会場から上がるブーイング。
腕相撲大会はこれにて、何とも釈然としない結果に終わりました。
◆◆◆
晩には宴が開かれました。皆、仲良く食事をしております。
調理場には獣王軍第三旅団の料理人およそ20名とマーチの一流シェフ3名、ソーサリウムの全自動医療用メイド型ゴーレム10機、それと転移者の一人である椎名アリサさんが立っております。
彼らの作った料理は大変美味でした。私の身体には味覚も搭載されているので、目の前の肉料理も野菜料理もスープも全部美味しく食べられます。
ちなみにシェルテさんとレティレットさんは一緒にお酒と料理をかっ喰らって仲良くしています。
「あっはっはっはっ! 我の力に比肩するのは其方が初めてだぞ!」
「アタシも始めてだ! まさか、アタシ以上に重い武器を使ってるなんてなっ!」
「だが、破壊力は其方の方が上だろうな!」
宴もたけなわ。
そろそろアピアスの方では住民の避難が終わっていることでしょう。開戦は明日の朝10時ですので、十分食べて、楽しんだ後はしっかりと眠って英気を養いましょう。
◆◆◆
皆が寝静まり返ったところで獣王軍第三旅団・旅団長シェルテは戦の前に今宵の満月を眺めたく思い、本陣を離れ、月が最もよく見える鋭く切り立った丘の方へと向かった。
そこには先客が二人――片方は紅髪の男で、もう片方は白髪の女――二人は何も語らわず、月を眺めて酒杯に口を付けていた。
「……ん?」
「ふむ……?」
二人は足音に気づいて振り向いた。
「ああ、すまない。我も月を眺めたいと思ってな……ええと、其方らは……カトリス殿と、シュラ殿、だったかな?」
「ああ、そうだが」
「うむ」
「我も同席して構わないか?」
「……別にいいが」
「あちきも構わぬよ」
「有難い」
彼らの隣にどっしり座ったシェルテも腰に提げていた酒瓶を下ろし、漆塗りの盃を淡いワインレッドの酒で満たして口を付けた。
(くぅ、辛い)
エルフィランドで造られた酒の味を楽しんでいると、隣に座っていたシュラが鼻を鳴らして匂いを嗅ぎ、彼女に声をかけてきた。
「時にシェルテ殿。貴殿の飲んでいる酒から漂う
「ああ、その通りだ。エルフィランドは自然豊富故甘い果実も多く取れる。それを発酵させて作る果実酒は名産品の一つでもあるな」
「あちきも以前、リベリオンが輸入したものを一度だけ口にしたことがあるのだが……エルフィランドの酒はどうにも甘くて口に合わなかった。しかし貴殿の飲むそれは、あちきの知るそれより酒精の香りが強く思える。違うかな?」
「鋭いな……その通りだ。シュラ殿が口にした一般的な輸出用の果実酒は1~2年ほど醸造したものだが、我の飲むこれは“
「ふむ。シェルテ殿は随分と酒に詳しいのだな」
「父上が酒造家なのだ」
「そこまで詳しいのなら、退役後は跡を継げるのではないか?」
「それが嫌だから我は軍に入ったのだ」
「ふむ、なるほど」
酒が入ってきたな、とシェルテは己の饒舌さを自重した。しばらく月を眺めながら二口、三口目と飲んでいくと、シュラは酒杯を下げ、再び彼女に話しかけた。
「……どうだ、シェルテ殿。ここは一つ、その酒を賭けて勝負せぬか?」
「勝負か……」
シェルテとしては別に酒を譲るのはやぶさかではない。だがそれはそれとして彼女は勝負事から逃げるような質ではない。それに満月を眺めるのも楽しいが、満月を眺めながら戦うのはもっと楽しいだろう。
「いいぞ。何をするんだ?」
「腕相撲。日中はあちき、眠ってしまったもので……丁度良く岩がせり上がっている。あそこでやってみるのはどうかな?」
「分かった」
シェルテは最初、彼女たち4人の事を疎んじていたものの、その実力は本物だと知って評価を改めた。故に彼女は今、4人(+1人)の中で唯一実力を測れなかったシュラと手合わせが出来る機会が訪れ、心を躍らせていた。
岩で出来た大自然の腕相撲台に腕を乗せた二人。そして、丁度良くそこにいるからという理由で、無言で酒を飲んでいたカトリスは日中と同じように嫌々審判をやらされた。
「よーい……始めー」
戦いが始まった瞬間、シェルテは背筋に冷たい物を感じた。それは夜だからではない。シュラを相手にしたからだ。
まるで毒蛇が手首を伝ってこちらの首元へにじり寄ってくるような、餓えた狼が背後から迫ってくるような、吸血鬼が牙を立ててくるような、死の感覚。
彼女の紫紺色の瞳を見つめていると、心の奥底から恐怖という感情が姿を現わさずにはいられず――
目の前には星空が広がっていた。
気づけば天地がひっくり返っていて、シェルテは丘の上で大の字で寝転がっていた。
「ふむ。あちきの勝ちだ。酒は頂くぞ?」
「……ああ、持っていけ」
完膚なきまでに彼女の負けだ。シュラの持つ独特な雰囲気に恐れをなし、気づけば地面を転がっていた……旅団長としてこれ以上の恥ずべき敗北、痴態は無いだろう。
日中、彼女が酒を飲んで眠っていなければ、腕相撲大会はエルフィランドが負けていたに違いない。
(なんとも、末恐ろしい女性だな、彼女は……)
一瞬だけ姿を見せた死神のような彼女は戦いが終わってしまえば掴みどころのない飄々とした性格に戻り、シェルテの酒を飲んで「くぅ……これは非常に良き……果実酒の甘い香りとキレのある鋭い辛さが混じり合っていて美味い」と頬を赤らめ、酒を味わっている。
もう一口飲んだところで、不意に彼女は疑問の声を上げた。
「カトリス殿もやらぬか? 腕相撲」
「……は? なんで俺が?」
「良いではないか」
「……少なくともアンタとはやらねぇ。絶対負けるからな。やるんだったら酔いの回ってる旅団長様とだ」
舐められた物だ、と彼女は思った。そもそも彼女からしたら〈蛇狩り盗賊団〉というどこの国に所属しているわけでも無い団体がこの同盟軍に参加しているのも謎だった。ならばせめて団長の実力は測りたいと思って立ち上がった。
「それでは、審判はあちきが……用意、始め」
またしても、シェルテは地面の上に転がっていた。
「……ま、柔よく剛を制す、ってヤツだな。酔ってるアンタだったら十分転がせる」
「……ハハハハハッ!」
星空を眺めながら、シェルテは笑った。
ああ、面白い。
世界は広い。近くにも遠くにも我より強い人間がまだまだ残っている。
まるで、この星空のように。
だからこそ武人の道は果てしない物であり、面白いのだ。
笑いながら、彼女は酒杯に映る満月を飲み干した。
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