第28話 賢者目録 4
ふぅー、ギリギリセーフって感じですかね? よかったです、フラジールくんの記憶に彼女が“開門”した瞬間が映ってて……
いやどう見てもアウトですね。
アルセリアさんは麻痺してますし、サージェスさんは顔に唾を付けられてますし、名前の知らない黒ローブの女性は手に持った刀で今にもアルセリアさんを刺し殺しそうですし、あと、なんで三人ともこんな外と繋がった開放的な部屋にいるんですかね?
崩れた壁の外を見ると、空から〈エメラルド〉ランク級の竜やコウモリ羽を持った下級悪魔などが次々と召喚されています。しかし王都の国民を襲う様子はありません。何かしらの契約でしょうか?
そしてサージェスさんはこちらの名前を聞いても、頭に思い浮かばないようです。そういえば、いつだかアルセリアさんが言ってましたね。
『アイツが“無能”とか“役立たず”とかそういうのを記憶の片隅にでも置いていた場面って、一度も無かったわ』
あの日私を地下牢に入れた瞬間から、彼の頭の中から私の存在はすっかり消え失せてしまったのでしょう。まあ、部下の黒ローブの女の子は「なんで彼が……?」と呟いているのでどうやら私の事を覚えているみたいですが。
そんな感じでちょっと目を離した隙に王都がなんだかヤバいことになってました。
私がこれを解決しようと思えば一時間ぐらいで終わると思いますが、これは、アルセリアさんが自分で対処すべき問題です。
そもそも彼女が最初に私へと頼んできたことは「ウェルハイズ国王の救出」であり「クーデターの解決」ではありません。最初から、彼女はこの問題を自分の手で解決しようとしていました。強い女性ですよ、ほんとに。
さて、彼女を助けましょうか。そう思って一歩踏み出すと、サージェスさんは「そこで止まりなさい」と言い、魔法を発動する姿勢になりました。
「貴方が何者なのかは記憶にございませんが、ここで何かをされるのは非常に困るのです……ここは大人しく帰っていただけませんか?」
「無理ですね」
「そうですか……レミゼ。私は疲れました。彼の相手は頼みましたよ……」
「承りました、サージェス様」
なるほど。黒ローブの彼女はレミゼと言うんですか。ずっと謎だったことが明らかになってスッキリしました。
サージェスさんは部屋の外に出ました。そして彼から命令を下されたレミゼさんは私とアルセリアさんの間に立ちはだかり、刀を構えました。
「……抵抗は無駄だ。死にたくなければ投降しろ、下郎」
「うーん。それはこっちのセリフですね。あんまり傷つけたくはないので、アルセリアさんを素直に渡してくれると助かります」
「ほざけ!」
何か癇に障ったのでしょうか。激昂した彼女は私との距離を詰め、刀を振り被りました。
「後悔して、死ねっ! ……ああッ!」
私は彼女の刀を避けて首を掴み、色街でそうしたように強い電流を流して彼女を気絶させました。まあ、当然ながら私の相手ではありませんね。
「それじゃ、あっちの世界に行きますよ。アルセリアさん」
身体を持ち上げようとしましたが、彼女は突然こちらに指を向け――
「【
――背後で、私を唐竹割りにしようとしていたレミゼさんに魔法を当てました。身体から自由を奪われたはずの彼女は、それでも、私を殺そうと刀を固く握り、地面を這っていました。
「執念がすごいですね。初めて見ましたよ、私の魔法で気絶しなかった人」
「ツメが、甘いわね、坂庭師匠……あの女は本当におっかないわよ……拘束するなら、万全にね」
「分かりました」
彼女のアドバイスに従い、私はレミゼさんを縄でガチガチに拘束し、そして来た時と同じように門を開き、自宅に帰りました。
全力を使い果たしたアルセリアさんは、そのまま夢の世界に落ちてしまったので、私も少々夢の世界に落ちることにしました。
◆◆◆
――夢。
温かな夢――。
私はこの夢を知っている。目を覚ましたら、やっぱり私は草原の上で大の字になって寝そべっていたわ。
どうやらこの夢は何かしらの空間みたいね。おそらくは、彼女が――前回と同じように私の目の前に立っている、白いローブの女性が創り上げた空間なんでしょうね。
私は一度起き上がり、彼女の姿を確認すると、草原の上でもう一度大の字になって――
「あ――――っ!! 負けた―――――っ!!」
――青空を裂くような大声で、身体の中の悔しさ全部吐き出すみたいに、叫んだ。
「何よあの男、未来が見えるなんてズルよズル! チートよ! それに賢者目録ってなんなのよ! 私もサカバ師匠の知識から引き出して『第三篇』とやらを使ったんだけどー……だとしてもズルいわ! あと、最後の【
青空の下で叫ぶのは、存外気持ちが良い物ね。胸中のモヤモヤを粗方吐き出した頃には白ローブの女性は私のそばにしゃがみ込んで、ぐずる子どもあやすように私の頭を撫でていたわ。
「……そもそも、誰よ貴女。前回は人の額に勝手にキスをして……私がこの能力を得たのも、貴女が原因なの?」
彼女は肯定とも否定とも取れない曖昧な表情を浮かべ、少し悩んだ末に「どちらかと言えばはい」とでも言うように頷いたわ。
「ふーん……じゃ、貴女、私にもっと力を寄越しなさい」
「……えと、それは、難しい……です」
彼女は口を開き、鈴の鳴るような声で喋り始めたわ。
「貴女喋れたのね。なんでこの前は喋らなかったの? まあいいわ。それで、難しいってどういうことなの?」
「えと……理由は様々なのですが、この前のは、賢者の魔力と一部の知識をあなたに継承しただけで……本当は、魂の格が『6』以上にならないと、全部を継承させるのは難しいんです……」
「魂の格が『6』以上? でも私の魂の格って、数え間違いじゃなければ『5』よ?」
「えと、それは……」
「私の力の一部を譲渡したため、今のアルセリアさんの魂の格は『6』まで引き上げられているんです」
背後から、誰かが話しかけてきた。誰なのかは大方察しがついているけれど……
「サラッと人の夢に入らないで頂戴、サカバ師匠……」
「あっ、えーと、その姿の時は……イシャナちゃん! ひ、久しぶりー……!」
「お久しぶりです、マーちゃん」
「……え? 誰?」
坂庭久助という名の黒髪の男性が立っていると思ったら、イシャナという名の金髪痩身のエルフ耳の女性が立っていたわ。
「え? 本当に誰なの?」
「やだなぁ。あなたが思っている通り坂庭久助ですよ。マーちゃんに会うので彼女にとって馴染み深い、私が前世で使っていた姿の一つに“変身”しておりますが」
ああ、師匠のいつものヤツね。気にしない方が良いわね。
「ちょうどよかった、イシャナちゃん……この子に賢者目録について教えてあげて……?」
「良いですよ、マーちゃん。あなたが介入するとは思わず、少々予定が予定が狂ったものの元々私が教えるつもりでしたので」
マーちゃん……どう見ても、マーちゃんっていう感じの風貌では無い気がするけど。まあいいわ。
「それで、賢者目録って何なのよ?」
「賢者目録というのは〈始原の賢者〉が死後、世界の均衡を崩さぬために創り上げた、バランスブレイカーな魔法に対する安全機能です。基準としてはおおよそ『たくさんの人を殺せるか』『たくさんの人を死から救えるか』『神秘に干渉しているか』、この三つです」
その後に師匠は「まあ、抵触しているかどうかを判断するのは〈始原の賢者〉自身なので、色々と自分勝手な点もありますが」と付け加えた。
マーちゃんと呼ばれた彼女は、それに抗議するように「自分勝手じゃないよー」と師匠を叩いて……
「……え? その人が〈始原の賢者〉なの?」
「はい、そうですよ?」
〈始原の賢者〉。千年前に現代の魔法学の基礎を創り上げた、正真正銘の偉人だ。
容姿や性格は具体的には伝わっていないものの、彼、あるいは彼女が遺した魔法の知識は、現代文明を築き上げる基礎として今も伝わっている……
「えへへ……恥ずかしいです……」
それがまさか、こんな女性だとは……
「幻滅しました? 今の時代を創り上げたと言っても過言ではない〈始原の賢者〉が、こんな人見知りのキス魔だと知って」
余計なことも知ってしまい、私は一層〈始原の賢者〉に幻滅した。
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