第27話 動乱の始まり

 サージェスとアルセリアはお互いに睨み合っていた。どちらも、相手の動きを探っているのだ。


――突如二人は、示し合わせたかのように指先を向け合い、お互いに魔法を放った。


「【電撃ショック】!」


「【電撃ショック】」


 ただの魔法使いが使うそれは手のひらから強い電流を一瞬流すだけの魔法だが、二人の使うそれは違った。


 お互いの指先から紫電が連続して放出され、繋がり合う。そして互いに相手の電流を押しつぶさんとせめぎ合っている。


 ぶつかり合う紫電は二人の間で爆散した。その衝撃に巻き込まれて研究室内の薬品類が入った試験管は砕け散り、後ろに吹き飛んだ二人は受け身を取った。


(魔法の実力は)


(互角ね)


 サージェスは驚いていた。この短期間で王女がここまで力を付けたことに。以前のままであれば、今の魔法で決着が付いていたはずだ。


 アルセリアは驚いていた。体内に巡る魔力の力強さに。そして、それをもってしても尚、彼とは実力は拮抗していることに。


 魔法使い同士の戦いで、魔法の実力が同程度の場合――あとは、手札勝負だ。


 自分の持っている手札の中でどれか一つでも相手に致命傷を与えられれば勝利。そうでなければ敗北。勝者は最後に立っていた人間のみ。


 ああ、なんて単純で、非常に明解な勝負なのだろうか。


 お互いにそれを理解して、最初の手札を切り合った。


「【魔矢マジックアロー】!」


「【纏風加速ウィンド・ブースト】」


 アルセリアの手から連射される無数の光の矢。サージェスは風を身に纏い、研究室の中を自在に舞ってそれを避け――


「甘いわ!」


 彼女が手を曲げたのに応じて光の矢の群れもクイッと曲がり、空を飛ぶサージェスの背中へと追尾する。自分を追うそれを冷静に分析して、無傷で避け切ることは難しいと判断した彼は、魔力の障壁を展開した。


 無数の矢は魔力の障壁に遮られ、粒子となって霧散する――明らかに、粒子の多さがおかしい。サージェスの視界にそれが一面広がり、彼はその向こう側を見通せなくなっている。


(目くらまし……! なるほど、これで私の視覚を奪って……)


 サージェスの判断は早かった。彼はすぐさま、一つの魔法を詠唱した。


「賢者目録、第二篇、啓け! 【全能ノ予言】!」


 アルセリアは、粒子の向こう側でサージェスが何かの魔法を使ったのを耳にした。だが、それを気にも留めず、彼女は左手に封印した賢者の力に意識を移す。


(集中して――)


 眠りから目覚めたアルセリアは気づいた。集中すると、左手に封印した力の中から自分の望む魔法の知識が得られることに。


 この能力について彼女はこう考えた。〈賢者〉坂庭久助の力の一部を譲渡された自分は、その繋がりを通して彼の持つ知識にアクセスできるのだろう、と。


 彼女はこの能力を用い、彼が“開門”と呼んでいた転移魔法の知識を得て、この場所にやってきたのだ。


 そして今、彼女はある魔法を知識の中から引き出そうとしている。


(アイツの防御を貫けるだけの魔法を――!)


 賢者の知識は彼女の望みに応え、一つの魔法を彼女の脳内に提示した。そして彼女は脳裏に浮かんだ攻撃魔法をそのまま詠唱する。


「賢者目録、第三篇――啓け! 【禁忌ノ閃戟】!」


「賢者目録、第三篇――啓け、【禁忌ノ閃戟】」


(――え?)


 目くらましの向こう側から、全く同じ詠唱が聞こえた。


 粒子が晴れると、サージェスは――彼女と同じように、雷の弓に矢をつがえていた。


「っ!!」


 初めの【雷撃】と同じように二人は同時に魔法を放った。しかし魔法同士の拮抗によって生まれた余波はその比ではない。二人はお互いに障壁を展開し、雷の矢から枝分かれする電流に焦がされぬよう身を守っている。


 そして――何の因果かせめぎ合っていたはずの二つの雷矢は混じり合い、一瞬、雷球のような形を取り、爆発した。



「おい、何だ……?」


「王城が、爆発したぞ……?」


 王都に居た国民は皆、突如鳴り響いた爆音に何事かと表に出た。彼らの目には、王城の一角が爆発し、煙が上がっているのが映っていた。


 国民も、王城でクーデターが起きたことは知っていた。しかし衛兵は変わらず清廉潔白で職務に忠実で、変わった点と言えば黒いローブの魔法使いが街を歩いているのを見る機会が増えただけ……いつも通りの日常を送っていた彼らにとっては、王城の爆発は寝耳に水な出来事だ。


「本当に、何が起きているんだ……?」


 言葉にできない不安が、彼らの中に広がっていった。




「……ゲホッ、ゲホッ……驚きましたよ。まさか貴方もその魔法を使えるとは」


 瓦礫に挟まれ、身動き一つ取れなくなったサージェスは、今、自分に手のひらを向けているアルセリアを手放しで褒めた。


 対して彼女は冷静な表情のまま「先生……いえ、サージェス。何か言いたいことはある?」と言った。


「……教え子が立派に育ったのを見て、嬉しいですよ。王女様」


「っ……! ええ、ありがとう。貴方は本当に、多くの事を私に教えてくれたわ。けれどもクーデターを引き起こし、お父様に害を為したのは許せないわよ……一生、後悔しなさい」


 彼女は、一つの魔法を詠唱した。


「【麻痺パラライズ】」




「【魔法反射マジック・リフレクト】」


「えっ……」


 麻痺の魔法が跳ね返され、アルセリアの身体に命中する。


「ふぅ……騙してすみません。王女様。しかしこの結果も、【全能ノ予言】……賢者目録の魔法が私に見せてくれた未来の通りです」


 賢者目録第二篇【全能ノ予言】――未来視の世界を歪める魔法バランスブレイカー


 戦いの結果は、サージェスの手のひらの上だった。彼女はただ、それに踊らされていたにすぎないのだ。


「レミゼ」


 サージェスは自らの腹心である黒ローブの女性の名を呼んだ。すると彼女は随分と開放的になった研究室の外から壁をよじ登って彼の下に馳せ参じた。


「はっ、ここに……」


「よく来ました。瓦礫を破壊してください」


「了解しました」


 レミゼという名の女性はローブの中から刀を取り出し、サージェスの身体を押し潰す瓦礫を粉微塵に斬り刻んだ。


 解放されたサージェスは、アルセリアの元へと歩み寄る。


「王女様が地下牢を抜け出す未来は一度たりとも見えませんでしたが……自分から来てくれて、本当に好都合でした」


 彼は研究室の残骸の中、辛うじて残っていた棚の中から針を取り出し、彼女の親指に優しく突き立て、血を採取した。


「ああ……ようやく手に入りました。“魔王の血”が」


「あ……なた、なに……を……?」


 風にあおられ、サージェスのフードが捲られる。その下には白い角が二本生えていた。そして、彼の髪の色は、青黒い色から純白へと変わっていく。


「ああ、王女様……今まで騙してきてすみませんでした。この白髪と角を見て分かる通り、私は魔族です。今回、私がクーデターを引き起こしたのは……いえ、そもそもこの国に潜入したのは、今日という日のため――新たな魔族国家を築き上げるためなのです」


 彼はアルセリアの血が付着した針を用い、空中に魔法陣を描いた。


「魔王の血を用い、ここに命ず――【眷属召喚サモン・ファミリア】」



 王城の外に居た者は、皆、空を見上げた――。



 暗雲の中から、夥しいほどの竜が、悪魔が、骨の鳥が、獅子が、王城を中心に次々と召喚される。


 ある者はそれを世界の終わりと称し、ある者はそれを新たな時代の始まりと呼んだ。見惚れる者、逃げる者、ただ叫ぶだけの者……


 多くの者はその威圧感に圧倒され、一歩も動けなくなっていた。


 魔獣の群れを召喚した張本人――サージェスは、高笑いを上げていた。


「アッハッハッハッハ……見てください王女様。壮観ですよ」


「何が、おかしいのよ……! 国家を造ろうとしているくせに、民草を危険に晒しておいて……!」


「勘違いしないでください。アレらは全て、王国の外敵に対して攻撃します。私がそう命令しました……さて、王女様。貴女に二つの選択肢を用意します。一つは、私と共に魔族国家を造るか。もう一つは一生籠の鳥として飼われるか……どちらが良いですか?」


 アルセリアの身体に掛かっていた麻痺の魔法の効果は少しずつ薄れ始め、今は首から上だけをどうにか動かせるようになっていた。


 彼女は自らの眼前でしゃがみ込むサージェスの顔を見上げ――唾を吐いた。


「どっちもお断りよ。私は自由に生きたいの」


「ふむ、それでこそ、王女様です……レミゼ、王女様を……ん?」


 その時、研究室の中に、鉄の扉が顕現した。


 その奥から現れたのは――


「……誰ですか? 貴方は?」


「どうも、坂庭久助と申します。あなたが召喚した異世界人の内、無能と呼ばれて監禁されていた者です」


 皺だらけのスーツを着たくたびれた表情の中年男性の姿は、アルセリアの目には童話の中の騎士のように頼もしく映っていたのであった。

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