第25話 賢者目録―王女篇
サカバ師匠……いえ、あの姿の時にそう呼ぶと怒られるから、一応ここでも便宜上ドロシー師匠と呼ぶべきところはドロシー師匠と呼ぶことにするわ。
サカバ師匠……ここではまだサカバ師匠のままだったわね。師匠は私に異世界の常識を学ばせようと、本を買ってきて、それを三日以内に読めるようにしろ、という課題を出してきたわ。
本の数は二十冊弱。一冊当たり平均400~500ページくらいかしら? 勿論、何冊かは幼児向けの本でページ数は少ないわ。
(え? だいたい二十冊ぐらいしかないけれど……この量なら5時間もあれば読み終わるわよ?)
正直、笑っちゃいそうなくらいに簡単な課題だと思ったわ。
けど違った。私の考えが甘かった。
積み上げられた本は全て、異世界の言語で記されていたわ。つまりこの本の山を読む前に、言語のパターンを読み解かなければいけない。
「サカバの鬼畜師匠……っ!」
彼が風呂に入っている間に私は何度も恨み言を呟いたけれど、そんなことをしても時間を無駄に浪費するだけだから、とりあえず一冊目の本を手に取ることに。
「……うーん、読めないわね」
そもそも、どう発音するのかも不明。とっかかりの無い鋼の絶壁を登っている気分だわ……なんて思っていたら、机の端に留まっていたカナリアが突然ピィピィ鳴き始めた。
「わあっ! ……えと、フラジールくん、でいいのよね?」
肯定するようにカナリア――フラジールくんは翼を広げたわ。そしてフラジールくんは積み上げられた本の山に飛び乗り、一冊の本を私の方に落としてきたわ。
「ちょっと、何するのよ?」
「ピィ! ピィピィ!」
フラジールくんは器用にも翼でページをめくり、あるページを私に見せてくれたけど、やっぱり読めない……本当に、何がしたいのかしら? この小鳥。
「ピィピィ!」
「えっ! それサカバ師匠が買ってきた本よ? 傷つけたらダメよ!」
「ピィ!」
そのページで遊ぼうとしているのか、鋭い爪で紙を引っ掻いているフラジールくんを慌てて止めようとしたけれど――え?
「……これ、貴方が書いたの?」
「ピィ!」
フラジールくんは驚くべきことに、そのページに掛かれていた文字の下に共用語で発音記号を書いてくれたわ。もしかしてこの子、異世界語と共用語の両方を理解しているの? 賢すぎないかしら、この子?
いえ、サカバ師匠のペットだものね……気にしない方が良いかもね。
「あ、い、う、え、お……」
そうして、私はだいたい10分ぐらいで日本語の「ひらがな」と「カタカナ」をマスターすることに成功したわ。途端に、机の上の本がぐっと身近に迫ってきた気がして、世界が広がる感覚に……なんだか興奮してきたわね。
「ピィピィ!」
「何? 『ももたろう』……? ああ、こういう簡単なのは後回し。早めに難しい本を読めるようになれば、自然とそれ以下のレベルの本も読めるようになるもの」
「ピィ……ピィ!」
「『かんじドリル』……そうね。これは読んだ方が良い本ね。言語の基礎的な部分に関わる本は重要ね」
というわけで、フラジールくんに薦められた通り、私は『かんじドリル』という本を読むことにした。
これを読み解いている間に、風呂から上がったサカバ師匠が女の子になっちゃったから、ここからはドロシー師匠と呼ぶことにするわ。
私はその『かんじドリル』……『漢字ドリル』を全て読み解くのに1時間も使ってしまったわ。けれど、ここで得た知識のおかげでその後の本がある程度スムーズに読み解けるようになったからタイムロスじゃないわ。
次に読んだのは『算数ドリル』……四則演算の問題集ね。そんなものは既に3歳で習得済みよ。7秒で読み終えて、目新しい知識が何も無かったから次に移ることにした。
次に手を付けたのは『国語辞典』……およそ4時間かけて読了。全てを暗記できたわけじゃないけど、これで異世界語――日本語の知識はおおよそ得た。
この辺りでドロシー師匠はご就寝したわ。それに構わず私は本を次々と読み続けて――8時間後――ふと、リビングの壁に掛けられた時計のアラビア数字を読むと、もう朝の7時だということに気づいたわ。
この辺りでドロシー師匠はお目覚めになって、4時間ほど外出した後、色んな服を手にして帰ってきて、リビングの姿見で一人ファッションショーを始めたのよね。独り言をブツブツ話していて正直言って気持ち悪かったわ。
ドロシー師匠のポケットからポロリと白い紙――レシートが落ちたけれど師匠がそれに気づく様子も無く、つい出来心でそれを足で手繰り寄せて拾い上げ、読んでみると、
(47,960円……)
様々な本を読んでいる内に日本の貨幣の価値について大方理解した私は、ドロシー師匠に浪費癖があるのでは? と若干不安を覚えたわ。五万円って、そんなにポンと出せるような金額じゃないはずよね?
王女の私が言うのも変だけれど。
最終的に師匠は白いブラウスに黒いスカート、そこに黒いローブを纏うという私の世界のオーソドックスな魔女の服装に落ち着いて、そうして一時間ほど準備をした後、私の世界へと飛び立ったわ。
誰も、何も、私の読書を邪魔しない空間が出来上がった。
積み上げられた本は未だ山のよう。私は好奇心の赴くがままにそれを貪り食うように読み尽くす――
再び暁を迎えた頃、私はようやく最後の本に手を付けた。その本は、フラジールくんが最初に薦めてくれた『ももたろう』という絵本で、とても非現実的な内容の童話の一種だったわ。
24時間以上酷使し続けて疲弊した頭では空想の内容をぼんやりと認識できる程度に留まったけど、私の中で燻り、未だ燃え尽きぬ炎がその本を読む活力を私に与えてくれた。
ペラリ、ペラリとページを捲っていると、ドロシー師匠が寝室から姿を現わした。どうやら昨日の夜には帰ってきていたらしい。この量の本を一日で全て読めるようにした私に労いの言葉をかけてくれて……本を読み終えた瞬間、私の身体を突き動かしていた活力は途端に失われ、私は気絶するように眠り込んだ。
薄れゆく意識の中で、誰かが……きっと師匠ね……私の身体を、柔らかいベッドの上に横たえてくれた。
そうして、私は夢の世界に落下した。
◆◆◆
――夢の中は温かかった。
それはまるで陽光差す揺り籠の中で揺られる赤子のようで……春風吹くうららかな草原の上で、私は大の字になっていたわ。夢の中でも眠ってしまいそうなほどに、この場所はとても、心地が良いわね……
けれども突然、私の心地良い夢の中に、誰かが割り込んできた。
神秘的な気を纏った人だった。でも、金色に縁取られた高貴な白いローブが頭からすっぽりと覆い被さっていて、辛うじて分かるのは口元から覗く色素の薄い乳白色の肌と、薄紅色の美しい唇だけ。
ローブに浮かび上がった肢体の微かな起伏からこの種族の分からない謎の人間が一応女性であることは分かった。そんな、高貴で神秘的な彼女を見て、私がまず思ったことは、
(サカバ師匠みたい……)
彼女の纏う神秘的で底知れぬ雰囲気は、師匠の纏う変幻自在で掴みどころの無い雰囲気にとても良く似ていた。
一つだけ確実なことは、彼女は間違いなく私の夢が創り出した存在ではないことね。明らかに、何者かが介入してきているわ。
彼女はゆったりと草原に腰掛けている私の方へと近づいてくる。そして目の前まで近づいてきたとき、私は立ち上がって彼女に訊ねた。
「貴女は誰かしら?」
それに答えず、彼女は――私を抱き締める。
額に、柔らかい物が当てられる。
(ああ……口づけね)
安らかなるその口づけに酔いしれる。夢の中で本当に眠ってしまいそうね――そう思った瞬間、頭の中に一つの魔法が流れ込んできた。
◆◆◆
――覚めてしまった、温かな夢から。
目覚めた私は無意識に、師匠の力を封印した左手を――天に翳す。
すると深紅の瞳に光が宿り、魔法の詠唱がこれまた無意識に口から零れる――
「――賢者目録」
暴れ狂う魔力の奔流が風を巻き起こし、私の髪をはためかせる。
一冊の光の本が、天に翳した左手の上に浮かび上がる――
「――第一篇」
彼女が私に授けた一つの魔法。
それは、始まりの禁忌。
「啓け――【
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