第17話 竜狩り 9

 鉄板の上で脂が跳ねます。ベニヤ板を十数枚重ねたかの如き巨大な肉の板からはそれ相応の肉汁が染み出ております。しかしそれは全て「余分な脂」であり、鉄板の上を満たす脂が肉自身を揚げ焼きにし、表面の美しき紅色が香ばしき茶褐色に染まっていきます。


 そうして上下左右全面がカリっと揚げ焼きにされた時に初めて「余分な脂」の流出が止まり――頃合いですね。私はすぐさま巨大な5枚の肉の板を鉄板の上から引き上げ、私は肉を休ませました。


 焼いた時間と同じくらい休ませ、肉の中に肉汁を馴染ませていきます……そろそろ良いでしょう。


 巨大なステーキが5枚、焼き上がりました。


 それをこれまた巨大な皿の上に敷き、岩を切り裂いて作った椅子とテーブルで待つ彼女らの下へと運びます。


「……」


 彼女たちは瞑想するかの如く、長き厳寒を耐えるが如く、目の前に食材が来るのを皆一様にただじっと待ち続けていました。


 その鼻先に、春を知らせる香ばしい香りが触れると、ついに我慢の限界が訪れました。4人とも、口の端から涎を垂らしております。


 私が彼女ら一人一人に皿を運ぶ間は、誰一人だって、抜け駆けして食べようとしませんでした。


 そうして、最後の一人――私の分のステーキを配膳し終えると、彼女らは示し合わせたかのように手を合わせました。


 それは、一種の儀式です。


 食材に対する感謝と各々の苦労を褒め称えるのです。


「「「「「――頂きます」」」」」


 ナイフを入れると――レアステーキ――鮮やかな紅色とたっぷりの肉汁に出迎えられ――口に入れる。


「―――――ッッッッ!!!!!!」


 電流。衝撃。


 そう形容すべき驚きが、背筋を走ります。


 肉の内側に蓄えられし尋常じゃない旨味は私たちの脳に麻薬のように働きかけ、幸福と快楽を伝達する物質を分泌し続けます。


 神話や伝説、寓話の中では勇者が竜を討伐する話などありふれております。


 しかし討伐した後、竜を倒した勇者は大抵、囚われの姫を救って財宝と一緒に国に帰り、そこで生涯安泰な生活を過ごしたと描写されます。


 しかし、私が神話を作るとするなら――勇者は檻の中に囚われた姫と眩いほどに積み重なった財宝には目もくれず、ただ、竜の血肉を一心不乱に貪った。それこそが竜狩りに与えられし、至上の報酬である――と。そんな一文を書き加えるでしょう。


 この味を知った人間なら、そう書かざるを得ないでしょう。


 一口、また一口と喰らうたびに脳が、肢体全体が、多幸感を感じる物質で埋め尽くされていきます。


「美味しい」という感覚は、肉体がそれを求めているからこそ発せられます。つまりこの多幸感は、私たちの肉体がこの食事を求めている証拠です。


 私たちは何一つ遠慮せずに肉を喰らう怪物へと変貌しました。




――明らかに胃に収まる量では無かったのにも関わらず、私たちは巨大なステーキを食べ尽くしました。


 幸福感の余韻に30分ほど浸って、ようやく各々、理性を取り戻していきました。


「はぁ……美味しかったわ」


「ああ。今まで食った中で最高の食事だった」


「し、知らなかったです、ドラゴンがこんなに美味しいなんて……脂っこくも無くて、歯で簡単に噛み切れて……途中から食べ物じゃなくて飲み物かと思っちゃいました」


「はぁ……至高の肉であった。心残りなのは、至高の酒と共に頂けなかったことぐらいか……」


 皆は余韻の余韻に浸りながら、自然と感想を口にしていき……最後には、皆、同じように「はぁ……」と、まるで食べたことを後悔するかのような溜息を吐きました。


「いや、まだありますからね?」


 後ろを見ると、肉はまだまだ山を作っています。正直、このステーキだったらあと100人分は作れそうです。


 しかもそれ以外にもタンやら腸やらその他モツ類も残っております。私たちで食べきれる気がしません。


「ううん、違うのよ、ドロシーちゃん……」


 しかし、ヴィオラさんの後悔の理由は別でした。


「……『初めてドラゴンのお肉を食べた』って経験って、人生で一回きりしか味わえないのよね……」


「ああ……アタシも同じことを考えてた……そう考えちまうと、なんか、もったいなかったなって……」


 二人の話を聞き、シュラさんがぼんやりと呟きました。


「ふぅむ、まるで生娘が処女を散らしたかのよう……その経験も一度しか出来ぬが、生涯処女のまま、という選択肢も有り得たかもしれぬな……」


「いやその喩えはダメだろ。確かに、それも一度きりしか出来ねぇが……」


「まあ記憶喪失のあちきには目に見える全てが初めての経験だ。そんなに気にすることでもない。という訳で、あちきはドラゴンの白子を所望するぞ」


「白子ですか? どうぞ」


 内臓の山から白色の塊を取り出し、刺身サイズに切り分けて皿の上に並べ、シュラさんの持っていた柑橘系の果汁を絞った醤油……日本で言うポン酢をサッと回しかけて彼女に提供しました。


「ほうほう! これがドラゴンの白子……頂こう!」


 懐から取り出した箸で白子を一つまみ。


「ふぅむ……濃厚、濃厚……ヴィオラ殿が以前食べさせてくれた白子より濃厚。その濃厚さを例えるならば『空の宝石』……濃厚な味わいを柑橘醤油の酸味が程よく打ち消してくれる。本当に絶品だ」


「あっシュラ! 私にも頂戴! ……う~ん! ほんとに絶品ね!」


「……ああクソ! こうなったら全部食い尽くしてやる!」


「わ、私も食べちゃいます! 飽きるまで!」


 レティレットさんとチェロンさんは、私の作った鉄板を使って勝手に肉を焼き始めました。そして各々勝手にドラゴンを食べ続けました。


「……楽しそうですね」


 私は一足先にお暇させていただきましょうか。おっと、全部食べ尽くされてしまう前にドラゴンの肝臓をちょちょいと拝借……ついでに、フェシウスへのお土産に肉も少しだけ持っていきましょうか。


「そうです! そのまま焼いちゃう以外にも鍋にしたり野菜と一緒に串焼きにしたり、挽肉にしてハンバーグにしたりするのはどうですか、レティレットちゃん?」


「あぁー? 確かに良いな……でもパン粉も何もねぇから街に戻ってからな」


 背後から二人の会話が聞こえてきました……ん?


 今、二人の会話を聞いた時、何か頭の中で……言うなれば、電球がピコンと点きかけたような感覚が……


 えーと? 「鍋」……違いますね。「野菜」? これも違います。串焼き……少しだけ近い気もしますが、違います。


『……挽肉にして、ハンバーグにしたり……』


 ピコン。


「あぁ――――っ!!」


 と叫びたい気持ちになりました。実際には叫んでませんが。


 ともかく、私の頭の中で一つの新しいアイデアが浮かびました。これは……はい、私の人生で上位に入るレベルのひらめきです。


 このひらめきを実現させるため、私は肝臓だけではなく「血」と「胃」と「小腸」、それと「肉」も60kgほど拝借しました。


 彼女らは「帰りは徒歩でもいい」とのことでしたので……私は、転移魔法で帰宅……


「あっ、ドロシーちゃん、もう帰っちゃうの?」


「……おやおや、バレてしまいましたか」


 私に声を掛けてきたのはヴィオラさんでした。彼女は指を鳴らして口の周りの脂を分解して綺麗にしました。


「引き留めたりしても無駄ですよ。私は大事な用事がありますので」


「ええ、分かってるわよ。私たち〈美暴飽悪〉とドロシーちゃんが出会えたのは、言ってしまえば違う目標に向かって進んでいた二つの関数のグラフが偶然混じり合っただけだもの。一度交点を過ぎてしまえば後は別々の方角に進むだけよ」


「私、好きですよ。そういう言い回し」


「あら、お褒めに預かり光栄ですわ……なーんて……ねぇ、私たち、また会えるかしら?」


「その質問にははっきりと答えられませんね。私自身、未来が視えるわけでは無いので」


「それもそうね……それなら私たちの進む道が平行線じゃない事を祈りましょう! いつか再び会えることを願って、今日から私たちは〈美暴飽悪(仮)〉と名乗ることにするわ!」


(仮)。


 その言葉が表す意味を理解して、私はほんの少しだけ嬉しくなりました。


 そうして、別れを済ませた私はドラゴンの素材を手にして門を開き――フェシウスの所へ転移しました。

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