第7話 王女 2

 私が料理をしている途中、ダイニングで食卓の席に腰かけていたアルセリアさんが恐る恐る声を掛けてきました。


「あの……」


「わざわざそんな言葉遣いにしてもらう必要はありませんよ」


「いいの? じゃあそうするけど……ええと、聞きたいことがあるの。あなたって何者なの? 無能と判断されたはずなのに魔法は扱えるし、“吸魔の枷”だって指を鳴らしただけで破壊しちゃうし……率直に言って、イレギュラーにも程があるわ」


 そうそう、彼女の手足に付けられた枷は先ほど除去し、燃えないゴミとして出してきました。つまり今の彼女は自由に魔法を扱えます。


 しかし、無暗に魔法を使ってはいけないと予め言っておいたので、多分大丈夫なはずです。


「私の身の上話ですか……つまらない話ですよ」


 フライパンに油を注ぎながら、私は前世で〈賢者〉と呼ばれていたこと――転生魔法と異世界干渉魔法を組み合わせて異世界転移を果たしたこと――こちらの世界での過ごし方などを彼女に話しました。


   ◆◆◆


 十数分後。


「なにこれ……すっごく美味しい!」


 サクッと衣を噛むと、その向こう側からはふんわりとして脂の乗った身が、内側に閉じ込められた旨味を溢れさせながら出迎えてくれます。


 アルセリアさんは私の料理に舌鼓を打っておりました。


 私が作った料理は「鯛の天ぷら」です。ちょうど今が旬なので先日買ってきて刺身にした残りに衣をつけ、サッと揚げ、醤油を掛けました。


「異世界にこんな美味しい肉があるなんて……! これ、何の肉なの?」


「鯛という“魚”の肉です」


 私が魚、と言った瞬間、彼女のフォークを握る手がピタリと止まりました。


 そして、怯えた様子で私に訊ねてきました。


「魚……って、あの、鱗と肉が非常に硬くて、例え柔らかい種類だったとしても必ず毒が含まれている、陸の人間じゃまず食べられないっていう、海から採れる、あの魚?」


「ええ。そうですよ。あっ、吐き出さないでくださいね。こっちの世界の魚は向こうの世界と比べて毒の無い種類が多いですし、鱗も身も柔らかい種類ばかりです。それに……初めて食べたでしょう? 鯛の天ぷら」


「……うん」


「それは良かったです」


 向こうの世界の人間が気に入りそうな物をチョイスしましたが、正解だったようです。


 あっちの魚、こっちの世界じゃ考えられないくらいにマズいですからね……もっとも、毒持ちの魚は例外的に大体美味しいですが。


「ご馳走様でした……ありがと、本当に美味しかったわ」


 あっという間に揚げたての天ぷら10枚を平らげたアルセリアさんは、満足した様子で食材に感謝を伝え、お腹の辺りを撫でております。


 そしてその身体が、急激にガクンと崩れ落ちました。


「……えっ。なに……これ。身体が、すごい、痛いんだけど……?」


「やっぱり来ましたね。それは私の力を譲渡したことによる副作用です。自分以上の力を身体うつわの中に入れると、そうやって拒絶反応が現れるのです」


「どうすれば、いいの……?」


「自分でどうにかしてください。それでは、私は明日の仕事のために寝ます。おやすみなさい」


 苦しむ彼女を放っておき、私は就寝の準備を済ませ、パタンと布団に倒れ込んで、そしてあっという間に寝る体勢を作りました。


 扉の向こうから恨むような声が聞こえてきましたが、それを無視して私は夢の世界に旅立ちました。


   ◆◆◆


「痛い……肉体と魂を繋ぎとめるための綱が引き裂かれているみたいに、痛い……! こんな痛みは私の人生で初めてよっ……!」


 あのサカバ坂庭の鬼畜師匠は「自分でどうにかしなさい」とか無茶ぶりをして、私のことを無視してあっさり寝入ってしまったし、本当にどうすればいいの? 死ぬまで苦しまなければいけないの?


 次にサカバ師匠が目覚めるまで我慢する? いいえ、そんなことをしてもあの人は助けてくれはしない。そんな気がするわ。


「考えて……考えて、アルセリア」


……そうね。あの人は「自分でどうにかしなさい」と言ったんだわ。そして、それは彼に解決手段が無いからではなくて――


「――言い換えれば、この尋常じゃない苦痛は、私自身の手で押さえこむことが可能、ってことね」



 その考えに至った瞬間、哀れにも、私を苛む恐るべき「苦痛」は、非常に魅力的で「」へと姿を変えてしまった。


 

(痛みの原因は……これもサカバ師匠が言っていたわね。自分以上の力を宿した時に現れる拒絶反応。じゃあ、今の私は……一回、魔法を使ってみましょう)


 無暗に魔法を使うなって釘を刺されているけど、他人に迷惑を掛けないレベルなら構わないでしょ。


 えーっと……うん。この魔法にしましょう。パチッと、手からちょっと強めの電気を放出するだけの魔法だから、誰に迷惑を掛けるわけでもないわ。


(しっかりと、身体の中で魔力を練って……)


「……【電撃ショック】」


 手からちょっと強めの電気を放出するだけの魔法――そのはずだった。


「きゃあっ!! ……何、今の威力?」


 手のひらで雷球が爆ぜ、その衝撃で私は尻もちをついてしまった。動悸と冷や汗、荒い息が収まらない――手のひらが少しだけ熱い気がしたから、見てみると――


(――肌が、焦げてるわ。身の丈に合った魔法は基本的に使用者本人に害を齎さないはず……【電撃ショック】の魔法を使った程度で私が傷つくわけが無いけれど)


 魔法の威力が明らかに引き上げられている。そしてそれは、私自身には全くの制御不能であることを理解させられたわ。


 でも、今の一瞬、ほんの少しだけ……体内に流れる魔力の中に、別の魔力が混じっていることを感じ取れた。


 それは清流の中に沈殿する泥に似ていて、魔力に対してその表現が正しいのかどうかは分からないけれど……「重かった」。


(……この魔力が、サカバ師匠の力かしら)


 息を整えて、深く集中すると、身体中に広がっている泥のように重い魔力の場所と、苦痛の中心は同じであることが分かった。


 つまり、この魔力のある場所に、拒絶反応が……


「って……振出しに戻ってきただけじゃないの!?」


 分かったことも有るから一概に振出しに戻ってきただけとも言い切れないけど、全身に走るこの苦痛をどうやって「どうにかするか」という問題は、結局のところ何も解決していないわ。


(沈殿……そういえば)


 さっき、あの「鯛の天ぷら」っていう料理を作ってくれた時、師匠は粉と鶏卵と水を混ぜていたわ。


……うまく混ざりきらなかった、


 私の身体の中に、魔力が混ざりきれていないが出来ている。


(だったら、溶かしてしまえば……)


 そう思ったけど方法が分からず、とりあえず紅茶の中に角砂糖を溶かすみたいに、身体の中で魔力を激しく循環させてみたけれど……


「……無理ね」


 この澱んだ魔力、全く溶けないんだけど?


 ええい、こうなれば方針変更! 身体の至る所に散らばってるなら、もういっそ、一か所に集めて封印しちゃいましょう!


 さっき、激しく循環させたときに若干の手ごたえを感じたのよね。アレを繰り返していけば……きっと、一か所に集められるはずだわ!


 そう決めた私は柔らかいソファーの上に寝そべり、両手を胸の前で組んで集中を始めた。


 意識が飛ぼうとする度、痛みが私を現実に引き戻してくる。諦めて眠ろうにも眠れない、生き地獄。


 私の、長い夜が始まった。


   ◆◆◆


「ふわぁ……」


 目覚めると、ダイニングのソファでアルセリアさんが寝息を立てていました。目の下にはクマがくっきりと残っており、昨夜、一睡も出来なかったことが伺えます。


 服とソファは汗でびっしょりです。相当な激戦だったんですねー。


「……ふむ。その方法を選びましたか」


 私が譲渡した力を一か所に封じ込め、拒絶反応を抑え込んだのでしょう。


 彼女の左手の甲には昨日までは無かった封印の紋様が刻まれています。


「朝食でも作りますか」


 手軽に食べられる朝食としてツナマヨサンドイッチを用意し、皿の下にメッセージカードを残し、私は出勤しました。


“何か伝言があれば、フラジールくんに伝えてください”


(それと……)


 メッセージカードに一文付け足して、私は時計を見て、余裕をもって出社しました。


「いってきまーす……」


 彼女を起こさぬよう、私は普段より気を使って玄関の扉を開いたのでした。

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