第2話 転生
600年後。
人間族の住むハルドレード国。
その北部にある街に向けて、俺はゆっくりと歩いていた。
やや青みがかった銀髪、黒い瞳、それなりに高い身長とすらっとした体型。
これらの身体的な特徴は、転生する前と全く同じである。
べリアス・アインドール。無事に600年後の世界へと転生することができた。
「ひとまず街まで行かなくてはな」
さすがに少しは道も景色も変わっている。
ただ感じる風や空でさんさんと照る太陽、生えている植物なんかは600年前と同じだった。
歩いている場所は小高くなっていて、まっすぐ続く道の先に街を見下ろすことができる。
もし名前が変わっていなければ、あそこはフィエルダという街のはずだ。
どんな人が住み、どんな生活が行われているのか。
楽しみだな。
その気になれば、今すぐに街の中心部へと転移することもできる。
ただせっかく600年ぶりの散歩だというのに、それはいくら何でも無粋というものだろう。
景色を楽しみながら、のんびりと歩いて行く。
「ふむ」
街へ進んでいると、右方向から何かが近づいてくる気配がした。
人ではない。
獣……いや、モンスターだな。
明確な敵意を持って、こちらへ近づいている。
こっそりと忍び寄っているつもりなのだろうが、転生した大賢者である俺をごまかすことはできない。
無視してもいいが、この後ここを通った人が襲われては不憫だ。
狩っていくことにしよう。
「なるほど。ファイアーウルフだったか」
気配のする方へ近づけば、そこにいたのはオレンジの毛を持つオオカミだった。
見た目が炎を連想させるだけでなく、実際に炎を噴くことができる。
「来い。俺を喰らうつもりだったのだろう?」
ファイアーウルフの目をまっすぐに見つめ、俺は余裕の笑顔を浮かべる。
このファイアーウルフは、モンスターの中でも弱い部類に入る。
仮にこいつの噴いた炎が当たったとて、俺にとっては軽い火傷にすらならないだろう。
そもそも当たるはずがないのだが。
「ガウウウウ……」
ファイアーウルフは、タイミングを計るように俺を睨みつけている。
全く退屈な時間だな。
さっさと飛び掛かってくればいいものを。どうせ結果は同じなのだから。
「いつでも来い。俺は座っておいてやる」
俺が草に腰を下ろしたその瞬間。
背後にあった茂みを抜けて、1人の女が姿を現した。
燃えるような紅の長髪。腰には長剣を提げている。
顔の整った美剣士だ。
「ちょっとあんた! 何してるのよ!」
彼女は剣を抜くなり、俺にものすごい剣幕で突っかかってきた。
「何をモンスター前に座り込んでんの!」
「そう焦ることじゃない。ただこいつに攻撃の機会を与えてやっただけだ」
「ばっかじゃないの!? ふん。どうせ腰が抜けて立てないんでしょ」
「馬鹿を言うな。俺は……」
――俺はべリアス・アインドールだぞ。
そう言おうとしたのだが、彼女はファイアーウルフの方へ向き直ってしまった。
騒がしい奴だな。
ただ彼女が強いことは、一目見ただけで分かった。
その実力はかなりのものだ。
ファイアーウルフが俺に飛び掛かろうものなら、たどり着く前に彼女が斬り伏せてしまうだろう。
お遊びは終わりということか。
「いいわ。あんたはせいぜいそこで座り込んでなさい。私がさっさと片付けてあげるから」
「ふむ。てっきりお前は騎士か何かなのだろうと思ったが……。まさか死体回収屋だったとはな」
「は? 何を言ってんの?」
「死体を片付けるのなら死体回収屋だろう。あるいは街のお掃除屋さんか?」
俺は笑いながら、顎でファイアーウルフを指し示した。
その瞬間、威勢の良かったモンスターはぐったりと崩れ落ちる。
そして真っ白な灰になったかと思えば、さらさらと風に運ばれて消え去った。
「い、いつの間に……」
「何となく、お前に助けられたら面倒くさそうな気がしたからな。先に自分で処理した」
「どういう意味かしら? 全く変な奴ね……」
「それはこちらのセリフだ。突然飛び込んできたお前こそ変だろう」
「あんたがピンチだったからでしょ!」
俺としてはまったくピンチではなかったのだが。
まあいい。
彼女が俺を助けようとしたことは事実だ。
その点に関しては礼を言っておこう。
「助けようとしてくれたことは感謝する。余計なお世話ではあったがな」
「一言多いのよ! 私はメリナ・ハレクス。この先にあるフィエルダの街に滞在中の王国騎士団員よ」
「そうか」
「そうかじゃないっての! 私が名乗ったんだからあんたも名前を教えなさいよ!」
「そう怒るな」
美剣士改めメリナの顔は、髪と同じくらい真っ赤になっている。
本当に騒がしい奴だ。
「あまり怒ってばかりいると、早死にするぞ」
「ええそうね。誰かさんがイライラさせなければ、長生きできるかもしれないわ」
「無理だな。危険と見るや突っ込んでいく性格は、長生きには向かないだろう」
「うっさい! いいからさっさと名乗りなさいよ……」
「ふむ。俺の名前はべリアス・アインドールだ」
この名を聞いて彼女に湧き起こるのは驚きか。それとも畏怖か。はたまた尊敬か。
創世の大賢者の名を聞いた彼女の反応を、俺は興味深く見つめる。
しばらくうつむいていた彼女が顔を上げた時、その表情に浮かんでいたのは驚きでも畏怖でも尊敬でもなかった。
怒り。もしくは軽蔑。
これは予想していた反応とは違うな。
「あんた……本気で言ってるの……? 冗談にしてはセンスが無さすぎるわよ……?」
「本気だ。俺の名前はべリアス・アインドール。偽りでも冗談でもない」
「そう……。自らその名を名乗って悪役になったつもり? それとも生まれた時にその名を付けられたの?」
「生まれた時に両親が付けてくれた名前がべリアス・アインドールだ」
「ふうん。あなたがご両親のことをどう思っているかは知らないけど、少なくともその名前は改めた方が良いわよ」
ますます予想していた反応と違う。
これはどうしたことか。
彼女の反応からして、創世の大賢者べリアス・アインドールの名はこの時代まで伝わっているようだ。
ではなぜ、俺が名乗ると怒りや軽蔑の視線を向けられるのか。
……なるほどな。
時に行き過ぎた敬愛は、極端な禁則を生む。
べリアス・アインドールの名がある意味で神聖なものとされ、それを子供に付けることなど恐れ多い、タブーだという考えが広まっているのだろう。
俺はそんな禁則を望まないが、そもそも俺は創世の大賢者そのものだ。
「誤解があるようだが」
「何?」
「俺はべリアス・アインドール。創世の大賢者、本人だ。転生してきた。もちろん、俺が創世の大賢者だからといって何も恐れることはな……」
「何を……何を言っているのよ!」
メリナの肩が震え、彼女の頬はかつてなく紅潮している。
これはうかつだったな。
そう簡単に、目の前の男が尊敬する創世の大賢者の生まれ変わりだと信じられるわけがなかったか。
「創世の大賢者はエルドライン・グレクル様よ! べリアス・アインドールは世界を滅ぼそうとした極悪人でしょ!」
ふむ。
これは予想以上に話が捻じれ曲がっているようだな。
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