第10話 帰還


 じわじわ溶けていく氷を睨みながら、ひたすら集中を維持する。

 時間と共に頭痛が激しくなってきた。頭が割れそうだ。

 吐く息が白くなるほど寒いのに、全身が沸騰しそうに熱い。


 覚えたばかりの異能をここまで酷使するのは、どう考えたって無茶だ。

 でも止めるわけにはいかない。

 穴を塞いでる氷が溶ける前に、何としてでも地球にたどり着かないと。


「……きっつ……」


 何もかもストレスフルな極限環境の中、何度もスマホを確かめる。

 一時間と三十分。加速を減速に切り替える地点までもう少し。


「もう減速しておこうか……」


 フルパワーを維持できてない。もう力が落ちてる感じがする。

 減速できずに大気圏へ突っ込んだら死ぬんだ。早めに減速しておくほうがいい。


 重力方向を切り替える。目に見えて地球が近くなってきた。

 目が霞んで、青い星がぼんやりと広がっていく。

 なんだか眠気が……。


「ハッ!」


 執念で目を覚まし、重力操作を続ける。


「やっと探索者になれるかもしれないってのに……寸前で終わってたまるか……!」


 ひたすら耐える。冷や汗が頬を伝った。

 時計の進みが遅く感じる。早く着いてくれ……。


 拷問じみた異能操作をひたすら続け、出発から四時間後。

 ようやく地球の軌道上までやってきた。


「……綺麗だな」


 視界いっぱいに広がった青い星へと、這うような速度で落ちていく。

 このままゆっくり進んで大気圏へと徐行突入すれば、帰れる……。


 ぼんやりした頭で、そのまま脱出座席を落としていく。

 ……わずかに残っていた氷が、急速に溶けていった。


「へ? あっ……!」


 俺は地球の自転と同期してない。その行程を考えてなかった……!

 横方向の速度のズレがある! けっこうな速度で大気圏に突入しちゃったかもしれない! 断熱圧縮で温まってる!

 氷が溶ける……まずい!


 バキッ、と氷が割れて、空気が一気に漏れていく。

 脱出座席の中を風が吹き荒れた。エアコンの吹き出し口が唸っている。

 息が苦しい。視界が暗い。


「れ……冷静になれ……窮地でこそ……」


 まだ空気は魔法で作られてる。なら、単に顔を近づければ息はできるはず。

 固定ベルトを緩め、無理な姿勢で体を折り曲げる。


「スゥー、ハァー……!」


 暗くなった視界が明るくなっていく。息ができる。

 よし。考えろ。

 ……大丈夫、状況は悪くない。座席がほんのり熱くなってる程度だ。

 放っておけば自転速度とのズレは解消される。

 あとはまっすぐ落ちていくだけ。


「お……!? ほとんど日本の真上に来たぞ……!?」


 正確な位置で言えば、やや南東の海だけど。ラッキーだ。


 真っ暗な空に青みが差していく。大気が濃くなってきた。

 もう雲が近い。旅客機が俺の頭上を飛んでいる。


「帰ってきた……!」


 俺は固定ベルトを外し、脱出座席を捨てて飛び出した。

 外でも息ができる! ああ、空気が美味い! 風が気持ちいい!

 ……寒くなってきた! 平服でスカイダイビングなんかするもんじゃないな!


「ハハハハーッ! 帰ってこれちゃったぞーっ!」


 滅茶苦茶な旅をやり遂げた高揚感で、腹の底から笑いが出てくる。

 月から地球へ! ほとんど生身で! 迷宮の外で異能を!

 何もかも人類初だな! 間違いないや!


「よっ、と!」


 海の近くで減速し、”無重力”の状態を作って空中で静止する。

 スマホを取り出し地図アプリを開けば、GPSでバッチリ現在地が表示された。

 座席に充電ポートがあったおかげで、スマホの充電は100%だ。心配ない。


 完全な無重力から、横への重力を増やしていき、海面の近くを滑るように飛ぶ。

 だんだん高揚感が吹き飛んできて、死ぬほど体が痛くなってきた。

 今すぐ眠りたい一心で速度を上げ、陸地を目指す。


「見えてきた……!」


 最寄りの上陸地点は、房総半島の南東部。

 千葉の宇宙港から出発して、千葉に帰ってきたわけだ。


 どこかの海水浴場らしき場所に上陸し、砂浜に横たわる。


「……俺は……やったぞ……!」


 人生で一番の達成感だった。

 こんなことが出来たんだから、もう何だって出来てしまう気がする。


 ……ああ。これが、自信ってやつなのか。


「俺は……多分……もう、まったくの無能じゃないぞ……!」


 満ち足りた気持ちを胸に、俺は一瞬で眠りに落ちた。



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