第5話 JKたちが、「知らんけど」問題を、もっともっと考える。サクッと短い、この気軽な言い回しから、ネットの気配がしてきたぞ。こりゃ、面白い。

 「でも、うちらとか、関西じゃないエリアでは、ビミョーかもね。知らんけどって言われちゃうと、じゃあ、あなたはどう思うのか言ってみてよって、攻撃的にふられているようにも感じるもんね?」

 この感覚、鋭いなあ。

「そりゃ…」

 「何?」

 「知らんけどには、もともと、こっちばかりでなく、そちらもしゃべってくれませんかっていうニュアンスが、あるから」

 「…むむ」

 「ほら。また、手が、黄色くなってきた」

 「パンダだ」

 「アドベンチャーだ」

「いや。ミカンでしょ」

 「知らんけどの言葉の使い方から、さ」

 「何?」

 「ネットの気配がするっていうよね?」

 「今度は、パンダじゃなく、ネット!」

 「…和歌山の人に、怒られるよ?」

 JK集団の気付きは、良い感じ。たしかに、知らんけどの言い方には、ネット社会の魔力があるんじゃないのかと、いわれることがあった。

 メール、LINEでの短いやりとりの中では、かた苦しくなく、話すような流れで言葉を伝えたいなあと、思われてきた。そこで、地方地方で、親しみをもって話しかける文化が生まれた。

 「おす!とか、おっす!」っていう言い方も、そうかな?

 「おす!おっす!」

 その言い回しは、元々、「おはようございます」を、短く、親しみをもたせて言わせたものだといわれる。

 他にも、「おっはー」とか。

 「ちは」になったり…。

 こういう例は数が多いので、このくらいで良いか。

 どの言い方も、方言のようなかわいさがあって、一部の仲間内では、受けが良い。

 けれど、方言のようなこうした言い方に、馴染みにくい人たちもいる。

 首都圏の人などが、そうかもしれない。

 そういう人たちは、他の地域の方言や言い回しを使って、友達など親しい人に向け、特別な気持ちを伝えようとした。こうした流れがあって、東京で暮らす人が、関西で多い言い回しの「知らんけど」を使うようになったといわれる。

 東京で使いすぎると、無責任に聞こえてしまうので、悩むところ…。

 「…知らんけど?ちょっと、何?知らんけどって、何?何、いっちゃってるの?知らないのなら、いわないでくれる?そんなの、無責任じゃん」

みたいに。

  関西以外では、こうして、攻撃されてしまう怖さが残る。

 この言葉の問題は、いつでも、考えてみたい。

 あ、そうそう。






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