第20話

 普段通りの生活に戻り、いつもと変わらない自分でいたつもりだった。妻は鋭いなぁ。正直俺自身気付いて無かったよ。朝起きてから食卓に着くまでの動き? 嬉しいな、そんなとこまで見てくれてるんだ。テスが俺より早く起きるのを良いことに、俺目が覚めたらテスが寝てた方に転がってるんだけど、それも知ってた?

 『夫が私の枕に顔を擦り付けていた時の気持ち、教えてあげましょうか?』そう言って立ち上がり、テスはこっちに近づいてくる。俺は往復ビンタの刑を覚悟して歯を食いしばった。

 妻は何でもお見通しだ。だから今日、俺が帰ってこない可能性にも気付いてる。これから未知の魔法を使い、過去へ行こうとしてるんだ。その可能性は大いにある。

 ビンタという予想に反しハグで来られ一瞬思考が真っ白になったものの、彼女の気持ちに応えるべくぎこちないハグを返す。


「――サンドイッチ、作っておくわ。リクエストはある?」


「そうだなぁ。今まで使った事のある食材から何種類か挟んでもらおうかな」


 朝食をお腹いっぱい食べたにも関わらず、バスケットからは食欲を刺激するスパイシーな香りが漂ってくる。このスパイスの配合……テスの得意料理が挟まってるな。

 本に仕掛けられた魔法を起動する為の準備は全てギブソンがやってくれた。お疲れのようだったからサンドイッチを1つと思い差し出したんだけど、ゲテモノはやはり受けが悪い。魔物の合い挽き肉に至っては一般的で、ゲテモノのゲの字も無いと思うけど。

 好みが人それぞれなら性格もまた人それぞれだな。いつの間にか部屋に入ってきていたソノラがバスケットへ手を伸ばしてきている。その表情は完全にスパイスに当てられていた。

 バレていないつもりなのか、ゆっくりと蓋を持ち上げ片手を突っ込む彼女に、少しばかり悪戯してやりたくなる。

 バスケットを探る手を掴まれて剥れ顔。サンドイッチを探り当てて泥棒猫。全貌を確認して歓喜。直後に掴まれ喚声と涙の言い訳。

 いやここまで来ると可哀想に見えるわ。当然取り上げたりなんかしない。そこまで美味そうに食べてくれるなら、ソノラもゲテモノ料理仲間だな。


「ケイタの妻が昼食にと作ってくれたんだろ。であれば、残りを食べるのは一仕事終えてからにしてはどうだ」


「先生どうせ食べないじゃないですかー。まぁでも分かりました。楽しみはとっておきます♪」


 ついついサンドイッチの残量を確認してしまう程、猛烈な食いっぷりだった。朝食食わなかったのかな。

 机の真ん中にデンと乗せられた本、ディエスタを前に緊張を前向きな感情へと転換する為のイメージトレーニングを行う。

 この魔法の発動条件は特殊で、本の名前をディエスタと認識できる人と、ソラリスと認識できる人が1人ずつ、そして魔法の発動者が1人いて初めて発動できる。ギブソンには本の名前が逆説と見えているらしい。

 俺とソノラが出会ったのも、全て運命だったのか。……いやいや馬鹿馬鹿しい。そういう考えはやめようって決めたじゃん。

 ソノラとは気が合いそうだ。樹枝管制魔法とかいう一種の神がいるって事は、この世界の運命イコールあの魔法って言っても過言じゃないよな。

 この本を使えば、そんなクソ魔法がどんな目的で、どの様に作られたのかも分かるかもしれない。加えて都市伝説とされてきた本が、実際に過去へ行ける代物だと証明できる訳だ。

 昼飯はしっかり左手に、準備は万端。2人で本に触れ、そこにギブソンが魔力を流し込む。

 と、途端に身体の自由を奪われ、本は表紙をまるで植物の様に畝らせながら部屋全体へと侵食していく。危機感を露わにするソノラとは対照的に、淡々と魔力を送り続けるギブソン。

 俺にはこれが順調なのか失敗なのか検討すらつかない。それなりの量の勉強をしてきたつもりだけど、どの教材や書物も時の魔法について取り扱ってはいなかった。現代魔法学において時とはそれだけ未開拓の分野だということか。

 部屋の隅々に張り巡らされた植物に、虹色へと変換されたギブソンの魔力が行き渡った。すると本がゆっくり捲られていき、巨木が描かれたページを示す。

 そのページの光りから目を逸らせなくなり、視界のボヤけをもたらしたかと思えば、次の瞬間には大自然の中にいた。

 何が起きたのか。隣りには俺と同じく呆然としたソノラがいる。花畑を舞う昆虫、川を跳ねる魚、のらりくらりと歩く獣。現代には無いという自然の中に2人、幻影の様な形で立ち尽くしている。バスケットも残念ながら持ち込めなかった。

 探索したい気持ちは分かるけど、あんまり突っ走らないでくれよ。こんなとこで逸れたりしたら、俺は再開する自信無いぞ。

 木をすり抜けて動物をすり抜けて。幽霊にでもなった気分だな。でもしっかりソノラとはぶつかる。木の向こうで急に立ち止まられると避けようがないぞ。


「――ほら、あそこに誰かいるんだって」


 周囲に立つ木は数十メートル級の大木ばかりだけど、その中でも比にならない、世界樹ばりの巨木が天まで伸びている。根元には一段と生命が集合していて、もしこの世界に楽園があったらそれはこんな場所なんだろうなと、そう思える程に平和な場所だ。

 沢山の生命の中心には、確かにそれらしき影が見える。でもこの距離では人なのかどうかすら怪しい。視力は彼女の方が長けてるな。煽り癖が無い分俺の方が利口かもしれないけど。

 この1本の巨木が距離感を狂わせる。短距離かと思って競争に付き合ったら実際には倍以上あって、着く前に2人してバテバテ。おぶってやる余裕なんか無い、はずなのに何で俺ソノラをおぶってるん?

 目的地を目の前に余計バテた気が。でも彼女が休まったならそれでいいか。


「引っかかりやすいんだね。《チャーム》だよ、チャーム」


「へぇ、これがそうか。全然違和感無いんだなぁ」


 チャームは必中の強力な魔法だ。対象により効果は変わるものの、種族や性別を問わず生き物であれば魅了し、相手の行動理念を強制的に[発動者の味方]ないし[中立]へと変更する。弱点は1つ――チャームの知識と効果が被術者の中で結び付くこと。

 そうなれば樹枝管制魔法の様に見破られ、効力を失う。それは術者である彼女が最も理解しているはず。正体を明かしたからには、もう俺に効かないと思った方がいいぞ。

 未知の領域での仕事だという事を忘れない様にしよう。ギブソンは確か、俺達2人の間に生まれる差異を見つけろとかなんとか。今のところそれっぽいのは発見できてないな。

 大樹の麓の神聖な雰囲気には心を打たれる。多種多様な命が育まれる、箱庭として作り上げられたかのような理想の地。見渡す限りではたった2人、そこに人の姿がある。

 こっちに来て最初に見つけた天遣。いや天遣かどうかさえまだ分からない。分かってるのは人型だということと今の俺達が透明天遣だということ。間近で何をしてるのか、デリカシーのデの字まで捨ててじっくり観てやるとしよう。

 ソノラと共に息巻いてその2人へと近づいていき、少しずつはっきりと容姿を認識できるようになる。1人はソラリスだ。俺は挨拶の時の一度しか見ていない上、目の前の彼女は髪も短い服も着ていないとあって、一瞬別人のような印象を受けた。でもソノラははっきりと彼女をソラリスだと判別できる。理由は不定期の女子会だそう。


「なんか、辛そうだね。誰かと話してるみたいだけど……」


 そしてソノラには、この男が見えていない。これが間違いなく差異であり、俺に突きつけられた難題だ。

 近づく段階で記憶にある人物だとは思っていた。ただそんな事があり得るのかと。仮に今、目の前に広がっているのが俺達の星の原始だとすれば、ソラリスは言い伝え通りだという事になる。じゃあ、隣りにいる俺は――

 おっ、視界が。目隠しか。


「そうやってぇ〜、女の人の裸ばっかり見てるとぉ〜、目が肥えすぎて潰れるかもよー!」


「へぇーそりゃ恐ろしい。気にかけてくれてありがとな。ま、実を言うと裸じゃなくて隣りの男を見てたんだけど」


 この真実の共有がトリガーになったのか、直後に世界が白転して別の光景へと切り替わる。あそこでもっと知れる事があったかもしれないという未練を、新たに形成された世界への興味が上回る。

 円形の広間に個室へと続く入口が2つ、向かい合う所に位置している。部屋数は少なく飾り気も全く無いけど、隠れ家と似ているな。

 俺達が離れたら差異に気付けなくなるから、手分けはせずに片方ずつ。

 てなったけど一方の部屋は誰も居ない、真ん中に木が生えている意外はごく普通の書斎だった。この本は見えてるかとかここの空白には何も書かれてないかとか、隅々まで確認したけどこれといった収穫は無く、反対の部屋を調べることに。

 そこには1人で魔法の創造に没頭するソラリスがいた。もしここが大昔の隠れ家だとすると、さっき俺達は金の魔法陣によって入れなかった所へと入っていた事になる。部屋の主人はやはり、俺なんだろうか。

 頭の整理がつかない中で、こうも立て続けに情報が流れ込んでくると全部を覚えておく自信は無い。ソラリスはどうやら樹枝管制魔法の仕上げに入っているようだ。原始では男から魔法を勧められてそれを断っている様に見えた彼女だけど、手を出したきっかけは何だったんだ。

 彼女は今、最重要項目の設定を行なってる。しかし俺には1番目の[存在の秘匿]意外、全て文字化けして認識できない。文字の幅等から予想して、あと4個か5個くらいかな。


「1つ目のは向こうでギブソンから教えてもらったから、俺にとって特別目新しい情報は無いな」


「――そっか。じゃあ魔法が出来上がる所まで見ていこうよ」


 ソラリスがこの日へ至るまでの経緯は飛ばされてしまったけど、彼女は樹枝管制魔法を作る事で、天遣を間接的に支配する決断をした。本が描く光景の真偽は定かではないものの、こういった魔法を作るとはそういう事だ。理由を知る機会も、この先に得られるんだろうか。

 作業の手を止め満足そうな表情を浮かべたソラリスは、もう一方の部屋の方向を見つめた。少しの間、思いを馳せた彼女は躊躇なくその魔法を起動。永続させる為の核となり水晶の中で眠りについた。


「――ソラリスはさ、悪い人じゃないと思うんだよね。ほら、言い伝えにあったでしょ、天遣の運命を悟る者って。あれってこの魔法のこともそうだけど、もしかしたら、遠い未来のことまで知ってて、だからこれを作ったんじゃないかなって」


「……何か見つけたのか?」


「1番下にさ、書いてあるんだ。[終局である楽園の創造]って」






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