第16話

 ワープホールから顔を出せば血と酒の匂いがお出迎え。これが日常になっていくんだろうけど、昨晩から見ると酒盛りの盛況ぶりは静まりつつある。

 しんみりと呑んだくれる人が目立つ。


「おぅおめぇら。いたったか? 回帰派の神様は」


 家の前に誰か居るなと思ったら……一度関わってしまったから、なんだかんだ俺達の事が気に掛かってるのかもな。

 サングリアと本日2度目の乾杯は宅飲みで。つまみに出された百寄貝ひゃっきがいも、やはりその悍ましさに目を瞑れば味は珍品だ。

 彼に酒が回るまでポルダンでの出来事を共有しながら、俺1人で貝の半分を食べ尽くす勢いでつまみへと手を伸ばしていた。


「――無傷で帰って来れたのは運が良かったのかもしれない。明日もこの調子で上手くいくといいけど」


「そんだな。明日また探さんならその前に、スー坊に会ってけ。さっきな戻ってきたんだ。今は参謀係に呼ばられて御殿さ行ってっとも」


 ストロが前線から戻ってきたのか。それなら話を聞くに越した事は無い。出来れば飲む前に教えてもらいたかったが、どうやら焦る必要も無さそうだ。

 昼間にネグロンが俺へ要望してきた案件は、既にストロが引き受け実現へ向けて動き出したらしい。大半のメンバーはそんなストロに御殿へと呼ばれ、傀儡兵を量産する為の指南を受けているとのこと。

 という事は誰かがあの難解な書類を解読したのだろうか。それとも別の方法が見つかった? 今分かる事といえば、これが上手くいったら回帰派の戦力は間違いなく増強され、回帰派から侵攻に出るということ。

 そして出来れば次の大戦、俺は降りたいんだ。考えてみたけど、やっぱり俺に大義なんてもんは無い。長年平和な環境で生活させてもらってたんだ。それが脅かされるとなれば戦うだろう。でも今は転生して間もないから、何処であろうと住めば都。命懸けで守りたい土地なんか持ってない。

 ああ、守りたいといえば、テスやダイキリ達は守りたい存在だな。何時また昨日みたいな事が起こるか分からない――そう考えるだけで、戦場から目を背けたくなる。彼女達を守るなら彼女達の側に居て、身に迫る危険を退ければいいし、そこが戦火の中心になるのは、自ら戦場へ繰り出さない限りあり得ないだろう。……神になりたいという奴等が出てこなければ。

 研究者が言った事を信じる訳じゃないけど、現に俺は1回神様っぽい人に会って、転生までしてる。あのイカれ野郎と似た考えを持つ人が他に居るかもしれないからな。

 ま、転生の話なんかしたところで基本的にこの世界の人は信じちゃくれないだろ。御多分に洩れずサングリアも、いい肴だと言って面白がっていたし。もどかしいもんだな。仮に人々から信じてもらえたとしても、危険を増やすだけか。

 夜風に当たるのも習慣になりつつある。流石に昨日は疲れ切っててそんな余裕無かったけど。

 ここの風は最悪だけど、そんな場所だからこそ夜は外に出て涼みたくなる。

 遠方から仄かに人の声がする。大勢の人だ。丁度今日の訓練が終わって、これからその疲れを酒に忘れさせてもらおうとしてる所なんだろう。


「確かに今日は少し肌寒いわね。お気遣いありがとう」


 魅惑的なシャンプーの香りが風の止む間に漂ってくる。

 テスの言う通り、風は吹き抜け様に体温を少し奪っていく。俺はそこまで気にならなかったけど、テスの為に風避けでも作っておくべきだったか。


「――温めておいてくれたのよね?」


 温める? 特にこれといって……。いや、またやっちまったのか。


「あっはは、もちろんもちろん。ささ、どうぞ」


 今の今まで、テスの定位置に先乗りして俺が寝転んでたのは全て、妻である彼女を気遣っての行為だったのさ。こちらこそありがとうってやつだ。

 妻が緩りと寝転び、俺に視線を向けてくる。


「貴方もどう? せっかく温めた特等席が冷める前に」


 俺が寝転んでいた位置から半身分ずれてテスが位置取った為、俺達の間には微妙な間隔が空いていた。

 いざとなるとどうしても意識してしまう。俺の座った位置から遠慮が読み取れたのか、テスにくいっと手を引かれ、体を寄せて仰向けになる。

 肩から脚までを彼女と接し、緊張のあまり顔を背けてしまう。繋いだ手に心臓が移ったのではと錯覚する程の鼓動を、不意に自覚して益々動揺していく。

 こりゃ堪らない。何とかして気を紛らわさないと、このまま顔を背けていても自分の首を絞めるだけだ。かといって今テスと目を合わせたら爆発しそう。俺の手汗がやばい。すぐにでも拭きたいけど、手を離してそんな事するのはもっとやばい。ああ、ヤバイ。

 

「その視線の先に、もしかしたら貴方が前世を生きた星が、あるのかもしれないのね」


 助け船を受け取り、その乗り心地が俺を振り向かせる。

 テスの瞳は不変だ。藍あおく、穿たれるかの様な視線に不思議な引力――まるで海洋の全てがそこにあるかのような瞳に、俺は心を奪われていた。

 彼女が夜空を眺めれば、俺も誘われて同じ方向を向く。周囲が明るいせいもあり、星灯りは希薄。飲み騒ぐ声に二枚目の座を持っていかれつつあるほどだ。


「俺の前世もさ、こんな感じの世界だったよ。流石にここまで長生きは出来ないし、魔力なんて無かったけど。殆ど変わらない」


「――貴方の話では、他にも楽しそうな世界は沢山あるみたいだったけど」


「あー正直、それについては俺の欲と未練だ。学業に生きた生涯だったからな」


 何千年何万年と生きる天遣になってから少しずつ、人間として生きた数年がちっぽけに感じられてきている。ここを選んだ目的でさえ、数百倍もの時間感覚の差と常に緊張状態に晒される環境下で、忘れている時間の方が長い。

 まだ実現していない事柄は幾つかある。サバイバルもその1つだ。でもこれは突然この星が滅亡の日を迎えたりしなければ、いつでも出来る。有名になりたいとも思ってたっけな。これはテスが女性初のMVPを取った様に、何かしらで目立った功績を残せば有名にはなれる。玄孫や来孫くらいになると興味すら持ってもらえないかもしれないけど。

 それからもう1つ。これこそいつでもいい、ていうか今じゃないだろうなってやつ。


「――まさか貴方も、神になりたいなんて言うつもり?」


「なろうと思ってなれるもんじゃないだろ。それに、本当に興味無いんだよ」


「なら何に興味があるの?」


 テスの方からイカれ野郎の思想に触れてくるとは思わなかった。俺とは比べ物にならない時間を生きてきた彼女には、或いはあんな出来事でさえ覚悟の範疇だったのかもしれない。

 刻々と更けていく夜をこうして2人で過ごすのは良い。一応夫婦な訳だし。ただ、それ以上を求めていないというのであれば、この会話の流れは避けるはず。仮にそういうことだとしても、俺には――

 テスに一層力を込めて手を握られた時。そこで自分が握り返している手に過度な力が入っている事を自覚する。そして反射的に視線は空から手先へ。

 謝意と羞恥と興奮で狂ってしまいそうだ。いや、もう狂ってる。狂っていようとテスに見つめられればすぐに気付く。ここで、一瞬にして熱が冷め俺自身を客観視する時間が出来るわけ。地獄だよね、相手がテスじゃなければだけど。

 彼女はクスッと笑って、『チェリーボーイさん』と一言。その笑顔に救われる。

 ――そう、チェリーボーイの俺にはそんな勇気など無い。こうやって雰囲気に呑まれ、取り乱す内に朝を迎えるんだろうな。

 ダサい。我ながらダサすぎる。気の利いた言葉の1つや2つ、出てきてほしいもんだけどなぁ。


「あぁ、あのさ……」


 特に喋る内容を纏めてないのに、先走って口から出た言葉。でもここで止めるくらいなら勢いに任せようか。


「俺、この戦争を……今回で終わらせたいんだ。まだ天遣としての自覚が曖昧だけど、そんな俺でも分かる事がある。闘争は必ず起こる。俺達の行動には良負が付き纏うんだよ」


 自己犠牲に島ごとどっぷり浸かっていた前世だ。この考えはそこに影響されたものかもな。

 例えば、1つの食べ物をAがBへ分け2人で食べたとしよう。2人で食べて、もしかすると落ちたカスを小型の生物も食べてるかもしれない。

 ハッピーだ。でも2人のこの幸せは空腹によってそのうち阻害される。ここでAとBに再び分ける意思があったら問題は無い。ただどちらかに、或いは両方に独り占めする意思があると、それは争いの火種になる。

 たった2人でこれだ。状況にもよるけど、Aには以前より早く腹が減ったという負が、Bには以前より腹を満たせる機会という良が待っている。

 何れも同じ食欲面。最初の例のように良同士でない限り、大小はあれど衝突は起こる。何故なら欲は生命に直結するから。

 戦争はこれ以上ない衝突だ。天遣の場合、子孫を想うが故のものだけど、手法を武力から何かへ変えて、その規模を抑えるしか方法は無いのかもな。

 ……ん? あっ、雰囲気ぶち壊してる。テスが聞いてくれてるからついつい話してしまったけど、何やってんだよ俺。


「貴方なら語り継がれる程の天遣になれるかもしれないわね。これからも側で支えるわ。貴方の妻だから」


 互いの関係性についてはほぼ同じ認識なんだろうか。嫌われたくないのもあって思い切った行動に出れなかったな。

 部屋に戻っても、まだ俺の気分は高ぶったまま。それが落ち着く頃には深夜を回り、翌朝には体の右側面に溜まった熱も放散しきっていた。






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