第12話
居所を明かし傷を癒しても奴は一向に動きを見せない。しかし異変は土煙が晴れるのを待たずに起きた。盛んに体躯を畝らせ獲物を貪っていたはずの大蛇が挙って変色し、白蛇へとその姿を変えていく。夜刀神が新たに大蛇を召喚しようとするあたり、既に白蛇は彼女の制御下に無いのだろう。二の舞となる可能性もある為、今召喚するのは危険だ。
由々しき事態ってやつだな。蛇とかだけじゃなく、下手したら彼女まで操られるなんて事も……。仮に対魔法限定だとしても夜刀神は限りなくアウトに近いグレーゾーンにいる。いっそ彼女も引っ込めるべきか。
「脆い――おお……」
1匹の白蛇が巻いていた塒を緩めると、胴体の合間から深傷を負った奴の姿が。
「人の身で暇を取る折、不虞への備は心得ていたつもりであったが……抜かったか」
気に入らない言い方をしたな。普段は人型じゃない何かだとでも言うのか。強がりとして聞き流すにはどうにも癪に触る。それにあの傷。幾ら奴が特別な魔力を持っているとはいえ、片腕が千切れ脇腹が大きく抉れた状態で立っていられる筈がない。
この距離を保ったまま奴の息の根を止める――夜刀神に出した指示は危機感からくるものだった。
寸刻の内に寝返った大蛇達の現主君に対する忠義が固く射線を遮り、飛び道具による牽制も侮れない。その中心では奴が不穏な沈黙を見せているが、息を吹き返し暴徒と化す前に決着をつけなければ。
そんな微小な焦りを煽ったのは、魔法による五感強化を施した聴覚でさえやっと音として聴き取れる程度の、呪文。
まさか、やけに大人しくしていると思ったら詠唱してたってのか。まずい。
夜刀神と以心伝心、周囲に降り注ぐ星明かりをも歪める、無極の闇魔法を穿った。立ち塞がる大蛇を空間ごと喰らい、塒に風穴を開け漆黒に葬って、目標へ着弾する。
直前まで奴はその場にいた。放った魔法があまりにも強力だった為死体すら残っていないのではと、つい慢心を起こしかけた所、消滅どころか増福していく奴の魔力に思わず天を見上げる。
夜空はいつの間にか積乱雲に覆われ稲妻が迸っていた。戦闘で火照った体にはやや鋭い夜雨が振り始め、狂騒を掬い取っては煌々と地を焼く白炎に蒸発していく。
その雨音を、何処か聞き覚えのある咆哮が突如掻き消した。記憶に引っかかるのは咆哮だけではなく、前触れも無く空を覆った雷雲と合わさって不吉な予感を招く。
予感は外れなかった。雷雲から姿を現す、神々しくも獰猛無比な1頭の龍に視線を奪われる。神力を荒ぶらせ空から戦場を掻き乱すこの煌龍が、奴の正体だとでもいうのだろうか。
龍の無作為な攻撃に戸惑っているのは回帰派だけではなかった。ただ混沌を極める戦局で唯一、神の祝福とやらを受けとったあいつらだけが平気な様子でいる。
俺のこの魔力でも多分防ぎ切れないんだろうな。見た目から強そうな敵相手に、食らったら致命傷確定とか死にゲーみたいだ。でも死んだってまたやり直せる筈だし、1回目は様子見から――
……そういえばテス、上手くやってるかな。事が落ち着いたらボールの扱い方を教えてくれるって言ってたけど、これってデートのお誘いだったりするんだろうか。可能性は大いにあるし、こんな一大イベントを前に御陀仏したくないな。
俺がこの世界を選んだのは自分の夢や理想が一遍に叶えられそうだったからだ。なのにここに来てから、まだ人型での転生と魔法が使える事の2つしか叶ってない。世界へ来る前に言われた自分次第というのは、こういう所に結び付くのかもしれない。
死ねばそこまで。でもここを切り抜けた先には、きっと。
夜刀神が張った網状の結界が破壊され、直に伝わってくる龍の威風を受け萎縮する心身。呑まれないよう強く鞭打って、いざ岐路となる一戦へ。
龍は争う人々に見境無く災いを浴びせていた。その哮り1つで震動する大気さえも街の崩壊を助長している。まさに世紀末の様な光景だ。
可能な限りのバフと掩護魔法を展開し、残る魔力全てをここで使い切るつもりで挑む。夜刀神も俺の武装に呼応して体勢を整えるが、彼女の魔導炉の出力が落ちてきているのは火を見るより明らかだった。
ただの斬撃では鱗1枚すら剥がれない。ならばと鱗が生えていない腹面へ。長年、死とは無縁の生活を送っているのだろう、最初の一撃を当てて尚こちらの殺意に見向きもせず、地上を荒らし続けている。この一撃で勝敗が占われる、それくらいの覚悟を持って放った2撃目。龍には劣るが大気を震わせ、矛先の物体を突き上げて魔法は夜の闇へと薄まっていく。苦悶の声を上げると、龍は俺達に気付きこちらを向いた。しかし特に言葉を発する訳でもなく、最早奴かどうかは倒さなければ分からない。
龍は魔力を滾らせると白閃の息吹を放ったが、俺達も見え見えの攻撃に当たる程柔ではない。それを回避し、威厳そのものであると共に弱点ともなっている胴体を狙い撃つ。
まだ平和ボケしてるのか、それとも長い胴体を操るのが久しぶりで上手く回避出来ていないだけか。どんな理由にしても今、龍は回避まで気が回ってない。攻撃を当て放題のボーナスタイムに弱らせる事が出来れば、後々楽になるはず。
圧倒的な魔力とそこから繰り出される魔法も、荒削りで乱暴な代物の為恐れる事は無い。見掛け倒しか――そう高を括り、再び夜刀神と大技を決めるべくその下準備に入る。奴へ最後に放ったあの規模を上回る魔法を、正面堂々、龍相手に詠唱し食らわせるのは至難の業だ。命を懸けるなら魔法が撃てるかどうか、当たるかどうかにではなく、確殺の決意で撃つ魔法の質と詠唱に至るまでの位置どりや足止め等、土台作りにこそ注力したい。
しかし相手もおいそれと手に乗ってはくれない。瓦礫の下敷きとした龍に駄目押しの拘束を図る刹那、龍は目覚ましい昇竜を見せ瞬く間に黒雲の下へ。盛んに奔り始める稲妻は空気を痺れさせ、建物の残骸を宙に浮かせている。
一帯に強力な電磁場を形成した目的を探る為、遠距離攻撃で様子見をしようとした時、ふと足下に何かが蠢いている気がして確認する。俺達が地面を這う無数の青電に気付くのを待っていたかの様に、直後聞こえる龍の一吠え。
それはただの爆音ではなく、痺れた大気を波状にして浴びせてくる、凶病の銅鑼だった。思う様に身体を動かせず体勢を崩し、落下する横を龍が急速直下、降っていく。
龍はその勢いのまま前脚を大地に突き立てた。そして天を劈く様に咆哮をする。この場に居るのはまずい――そう心では分かっていても、麻痺した状態で逃げられる筈も無く、天と地の双方から万象を焼き尽くす程の放電に見舞われた。
――おーい、お兄ちゃーん。いつまで寝てるのー?
妹の呼ぶ声が聞こえる。もしかして俺、また死んだのか。
「――いつまで寝てるの? ――早く起きて」
寝起きにはちょっとキツめのビンタだな。ん? 上手く喋れないし身体も動かない。ああ、あの電撃のせいか。何とか起きてる事を伝えないとこの往復ビンタ止まんないぞ。
「おうえうおうえう《起きてる起きてる》。えう《テス》、おおうんおうええ《これなんとかして》。ブフゥ……!」
お高めの治療薬を丸々ぶっかけられる。
「ふぅ、助かった。でもまだ頬が痺れてる気がするんだけど」
「きっと、頬の皮膚には過剰反応する薬だったんでしょうね」
それはまた変わった薬だな。雪山で寝そうになってやるかどうかっていうくらいに。
港湾都市の郊外でテスが作り出した蛇が塒を巻いて、俺達は今その内側にいる。夜刀神も、多分次が最後の一戦になる。龍はというとここで散々暴れた挙句、回帰派の拠点へと一直線に飛んでいったそうだ。テスはあの攻撃があった時、腑抜けとやらを拠点に運び終えて戻って来る最中だったらしい。
取り敢えずテスが無事で良かった。彼女に助けられなかったら俺だってどうなってたことか。
拠点に向かった龍の後をすぐにでも追いたいけど、こっちは満身創痍で策も無い。相手を超えるとまではいかなくても、気持ちに余裕を持てる何かが必要だ。
「――そう。なら渡すから直ぐに取り掛かって」
そう言ってテスは夜刀神と2人、魔力を練り合わせ始めた。2人の足元、その中間で少しずつ黒さを増していく空間を俺はじっと見つめる。
少しして反対側を見通せない程真っ黒な平面になって、縁まではっきりと形作られた。
「――この中に望みの品が入ってるわ」
右手は刀で塞がってたから空いてる左手を突っ込んだ。冷んやりしていて無重力みたいな空間に、棒の様なものを見つけて引っ張り出す。
暗闇から抜け出たそれは大剣だった。鋒から等辺に、大盾としても使えそうなくらいの幅を持った刀身へ、不恰好に刺さる柄が即席感を醸し出している。
刀身の模様は向きが逆になって黒くなり、相応の大きさに太くなっただけで相変わらず脆そうだけど、今の所これといって特別な力は感じられない。大きくなった分心強いのは確かなんだけど。
大剣の感触を確かめている隣りで、夜刀神が形状を保てなくなっていた。彼女と目が合う。
何故か――優しく微笑んで、彼女は役目を終えた。
「――呆れたわ。貴方何やってるの」
「――ああほんと……何やってんだろうな」
未練は置いてきたつもりだった。彼女なら自分の死を理解してくれる――そんな俺自身の甘え、希望的観測からくる微笑みだったのかもしれない。
刀をその場に捨て、両手で大剣を握りしめる。
今までみたいな高揚感は一切湧き起こってないけど、不思議と不安も無い。思えば戦闘を前にこれ程落ち着いているのは初めてかもしれないな。
時間を取りすぎた。あの様子だと龍に見境は無さそうだったから、拠点にはダイキリ達もいるし急がないと。
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