第8話
味方の増援隊が来るのを忘れているのか盛り気味の2人を後目に、テスと共に足跡を辿る。這いずり痕からは想像もつかないほど華奢な足跡。それが指し示すのは冷感に満ちた地下だった。
地上の砦とは違う素材で作られ備え付けの灯りが天井からぶら下がる。時代の相違すら感じ取れるこの地下の何処かに、彼女は逃げ込んだ。
依然レーダーには増援に駆け付ける味方の姿が映るばかりで、地下に人影は無い。その中で薄らと聞こえてきた啜り泣く声を唯一の頼りとし、声のする方へ近づいていく。
部屋の隅、光に見捨てられた空間で疼くまり怯えていたのはあの写真の少女。上階に居た魔物と同質の組織で構成された左腕を覆い隠し、こちらの呼び掛けに一切耳を傾けず心を閉ざしている。
こんな時こそ俺の出番だ。そうだな……仲間だという判断は彼女がする事だから、俺は敵ではない事を示さないといけないけど、すぐに思いつく方法は1つしかない。
「シュル……シュルル。シュル、シュル、ベロン」
「――貴方、何やってるの?」
「何ってシュル、蛇の真似シュルルル」
いやこの世界に蛇が居るのかは分からんけど、蝿が居るから大丈夫だろ。仲間意識や親近感に関してなら、俺のレベルは前世の環境から間違いなく100だと言える。転生後もスキルがちゃんと引き継がれていて安心したよ。
焦りは禁物だ。初めて会う犬が近寄って来たら、俺は必ずその犬が匂いを嗅ぎ終わるまで待つようにしてる。途中でこちらから手を出しても基本逃げられはしないだろうけど、それは彼等が犬で、相互に情報収集する事に慣れているからだと思う。だから足を嗅いでいたのが手に移ったりする。
でも今回は人相手、それも彼女は他人に恐怖心を抱いているから、一緒に居ても命の危険は無いと知ってもらう。格下だと思わせる? 共存出来る事をアピールする? 悔しいけど俺はそこまで思慮深くはないんだ。だから取り敢えず、笑ってもらえたらいいと思った。変顔の笑いは全世界共通かもしれないな。
力を使い果たしてテスへバトンパス。固く口を閉ざしていた少女も、僅かながら言葉を交わしてくれる様になった。予想通りあの魔物は彼女のもう1つの姿で、村に1人、身を潜めていたとのこと。
「――いきなり知らない人たちがきて……それで、目が覚めたら……」
「ここに居たのね。怪我は治した?」
テスの問いに少女は怪我をしていないと答えた。がその返答に俺は違和感を感じた。
湖に続く足跡は無かったし、そもそも彼女が魔物になった姿は巨魚の頭を千切れる程大口を開けられる様には見えなかった。加えて怪我1つ無いというのは、詰まるところ彼女に対して掃討派が敵意を持っていない可能性を示唆している。湖まで足跡が続いてたら魚の頭が回復に影響したのかもと考える事も出来るけど、何かしらの目的で彼女は連れてこられたと見るべきだろうか。
少女がテスにも心を開き始めた矢先、ストロ達がこちらへ呼び掛けながら走り込んできた。一報を聞きすぐに地上へ出ると、駆け付けた仲間が何やら砦の内と外で奮闘している。
砦を覆う結界は仲間が発動させたものではなく、入るものを受け入れて出るものを拒み砦そのものを定置網へと変貌させていた。とはいえ回帰派にも解除を得意とする人はいる。既に外の結界は弱まり消えるのも時間の問題だった。
しかし杞憂ともいかない様で、内の結界を解きにかかっている仲間達に進展は見られず、苛立ちを露わにする場面も。
前哨基地を投げ打って一時的にでも俺達を足止めする意味があるとすれば、加勢されないよう隔離するとかか。他には表立って侵略してこなかった掃討派が、敵領土に侵攻する為の口実にしようとしているのかもしれない。
この状況は言い換えれば、相手はこちらを脅威として認識していると吐露した様なものだ。俺の力はこの世界でも指折りの存在なんだろうな。
外の結界が解除されたのに対して内側は一向に進展を見せない。成り行きを共有していたのが聞こえたのが、痺れを切らした1人が詰め寄ってくる。この威圧的な態度に耐えられる子供が居るとは思えない。
この男は結界について、少女との関係性を睨んでいた。掃討派がわざわざこちらの領地に侵入し子供を連れ去ったのは何故か。彼女を前哨基地に捕えていたのは殺す為ではなかったのか。最初から全て仕組まれていたのであれば、一翼を担った彼女に細工がされているのではという訴えを明確に否定出来る証拠は無い。だが現時点で男の推論が正しいという証拠が無いのも事実だ。
「――どーなんだ餓鬼、その腕ぶった斬れば解けるんじゃねーのか!? 下に逃げ込んで何してやがった!」
「――た、ただ……死なない、ように、しないとって……わ、私、殺されるの?」
死なない様にしないといけないってのは、危険や恐怖を避ける直感からくる言葉だ。子供なら尚更強く出ると思う。
結界前で作業をしていた仲間の手もいつの間にか止まり、関心はこちらへと向いていた。
まだ砦を隅々まで調べ終わってもいないのに、物騒な事だ。早く加勢しに行きたい気持ちは分かるけど、いくら戦時中とはいえ未来を担う命を易々手に掛けたりするようじゃあ、回帰派の戦争目標が成されなくなってしまうだろ。原点回帰したければこそ子孫を大切にするべきだと思うけどな。
男が引き下がらないのはこちらに来る救援が限られているという、確信にも似た予感があるからだ。主戦場への増援はあってもたった数十人の所へ、まして解除方法が不明の結界に囚われている所への救援は見込めない。
「――この意味が分かるか? 死だ……死ぬんだよ。餓鬼が一生で産み落とす命の数なんざ大した事ねぇんだ。だってそうだろ、俺たちゃ天遣なんだぜ!?」
もしかしたら彼の言うように、長い寿命を持つ天遣の子孫繁栄はこれからも安泰なのかもしれない。そのせいか、命への責任をまるで感じない。
女の子1人死んでも代わりがいる――この男はそう言いたいのか? 馬鹿げてる。
「――堕天だ、囲まれてる!」
過熱する討論に割り入ってきた仲間の声は、現場の気を傾けるのに充分だった。先に視線を逸らす事で湧き上がる敗北感を抑制しつつ、事態の確認を急ぐ。
低空を靡く全く同じ見た目の堕天。ざっと20体。結界に沿い八方が包囲されるまで誰1人として気付けなかった。いや、選別派に居た俺はその隠密技術の高さを知っている。彼等が掃討派から戦闘指南を受けていた様に掃討派も選別派から技術を得ていたかもしれない。警戒しておくべきだった。いずれにしても起きてしまった事だ、打開策を――
どうやらそんな時間も貰えないらしい。恒星の陽光にも勝る明るさの魔力を1体いったいが蓄え始め、仲間達も恐慌をきたしている。シェルターを作ろうにもあのイカれた魔力の前に色が侵食され定まらない。光る魔力? 反則じゃないか。
「――殺せ……餓鬼を殺せ」
捲土重来。
「――ここまで来たら庇う理由はねぇだろ、おぉ!? オメェこいつと死んで何の得があんだよ?! 俺にはねぇぞ、1つもねぇ! 見ず知らずの餓鬼1人殺して仲間諸共助かるなら本望だろ?!」
最もだった。残念だが俺は自分の命と引き換えに他人を助けられる聖人ほど人格者ではない。だから最初から変わらず、自分の命が最優先だ。それが脅かされたとなれば俺に取れる手段は1つしかなく、それを迅速に行う事がテス達の生存にも繋がる。
一刻の猶予も無かった。外への反撃が封じられた中で残された唯一の糸口は、少女しかなかった。彼女はもう信じてはくれないだろうな。でも、本当に守りたかったんだ。嘘は無い、なのに、涙の一滴も出ないとは。
立ち尽くしていても生き返らないのは分かってる。でもこの体温がまだ彼女をそこに居させている気がして、手に残る感触を誤魔化してでも、彼女の生存を信じていたかった。
感傷に浸る俺を引き戻したのは、テスの痛烈なビンタ。1人殺した事を引きずっていては、これから向かう戦場に待ち受ける幾千という敵軍を相手に為す術なく殺される。
「―― 今必要なのは殺した人への言い訳ではないわ。これから殺す人達への大義名分よ」
大義名分……俺は元々派閥に所属する程この戦争に対して自身の考えを持ってはいない。自衛以外に見つからないが大義に当てはまるか? 相手が俺を殺そうとしてくるなら、俺は相手を殺す。でもそれなら、この戦争に参加しなければいいだけだ。自衛の為に自ら死の危険を犯す――これ程の矛盾があるのだろうか。
判然としないままでもワープしてしまえば戦うしかなかった。あの光る魔力が回帰派をここまで劣勢に追いやっているらしく、堕天という堕天がその力を振るっている。常に守勢を貫いてきた掃討派の猛進は彼等に支えられている様だが、私欲を尽くした彼等と共に戦える位なら、回帰派とも話し合いで決着させる道はあった筈だろうに。
ストロ達は既に獲物を狩り漁っている。戦場で迷いは死に直結する。大義なんかは後回しだ。
堕天は外見が人のそれから外れている為、斬るのに躊躇わず済むのがいい。可能な限り堕天を狙っていれば、突然こちらへ攻撃してきた掃討派を防衛名目で相手に出来る。
なんだよ、みんなこの程度の敵に苦戦してたってのか。異形になって力を得ても、それを引き出し使い熟せないんじゃ宝の持ち腐れだ。その点俺は優秀な指導者達・の元、短期間ではあっても成長を実感しながら鍛錬を重ねる事が出来た。恩返しは土俵でしてやらないとな。
こんな時でも気位の高い高潔な姿勢には頭が上がらない。上がらないから、見下す為には相手の頭を下げさせるのも手だろう。確かサッカーの起源は戦争にあったんじゃなかったかな。
球技はこちらでも盛んみたいだが、誰一人として彼女を持ち上げたり謙ったりしない為代表経験のある人と一緒に行動しているとは全く気付かなかった。こんなにテスが嬉しそうにしている姿を見たのも初めて。ほんと、昨日止めといて良かったとしみじみ思う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます