第7話
拠点内でも一際浮いた配色のテスの家に、既に実家の様な安心感を抱きながらの帰宅。最も外側に位置する彼女の家は新人が入る度追いやられ、いつしか魔物の棲家の目前まで来ていた。
「環境が変われば疲れも増えるわ。早めにシャワーを浴びて寝ましょう」
確かに、自分では成功だと思っていたけど実は尻尾が燃えていたなんて事があるかもしれない。いやほんとに。明日後悔したって今日に戻って来れる訳じゃないからな。
で、今確実に俺の後ろにテスが居る。脱衣所に来た時は石鹸の事とか教えてくれるのかなーとか思ったんだよ。そしたら服を脱ぎ始めたからさっきの食事で汚したのかなーとか、ね。でもそんなこと無かった。普通にシャワー浴びてる。
そりゃあ俺だって望んでたよ、前世で出来なかった事特にセックスしたいなぁって。望んでたけど……。お、落ち着け俺。まだそうと決まったわけじゃあないし、こっちの世界ではこれが普通なのかも。
無言の浴室にシャワーの音だけが響く。背中に撥ねる水滴のみからでも彼女の存在を濃く認識出来る。こちらから水滴を撥ねさせるのは申し訳ない気がして、けれど手を止めるのも何かを悟られる様で嫌だった。
工程が少ない分テスより早く浴び終わるが、浴室を出るには彼女の横を通る必要がある。急いで出る事もない為湯船に浸かり、僅かに壁へ反射する自分を見つめながら息を殺す。
シャワーが止まった。その一瞬に荒ぶりかける心拍を抑えるのがやっとで、増した水かさへの反応さえ後手に回る。
気を紛らわせてくれた唯一の雑音も無くなり静まり返る浴室。絞り出した話題も続かず、静寂に気不味さを孕んで跳ね返ってくる。思わず圧死してしまうのではと錯覚してしまう程緊迫した空気に耐えかね、遂に湯船から出ようと立ち上がった。時を同じくして、テスも。
「あ、上がるの、か?」
「貴方が上がるならね。1人で居る理由は無いもの」
偶然重なっただけ――自分に言い聞かせてから湯船を出る。しかしその理屈はすぐに覆された。意を決し彼女の前を横切ろうとした時、素知らぬ顔で距離を詰められ瞬く間に壁を背負わされる。距離が近づくにつれ肩に充てがわれた手から感じる圧力が弱まり始めると、反対に一層の激しさを見せる胸部での同調。その恍惚は、やがて唇へ。
「――っとまっ……ちょっと待った! 待って! えーと、だ、台無しにした事は謝る。でも余りにも急で……俺達まだ、そこまで深い仲じゃあ無いんじゃないの?」
「……そうね。でもこれならマシな方よ。この先に待ってるそれは比べ物にならないから、貴方には貪られる恐怖だけでも知ってもらおうと思っただけ」
「あ……あはは、お気遣いありがとう。こっちは大丈夫だから先に上がってて」
止めなければあのまま初情事を迎えてたんだろうな。でも止めたから分かった事もある。彼女だって本気じゃあなかった。そりゃ俺達の関係は出会いから運命を感じるものだったけど、互いの事をより深く知ろうとはしてこなかった。当然だ。好意や恋愛感情なんかを抱いた数時間後には虚無へと変わり果てている――戦争ってのはそういうもんなんだろ。
その後の酒が効いたのか寝付き良く、朝を迎える。昨晩の出来事が鮮烈な映像を伴って想起され口数が減っている所を、テスは何事も無かったかの様に接してくる為、自分の経験の無さが疎ましく思える。
そこへ畳み掛けてやって来たのは、知り合いの中で最も素直な男ストロとそのガールフレンド、パライソ。朝から上機嫌に駆け込んで来た彼によってとある情報が示され、朝食そっちのけで強引に連れ出された。
4人で来たのは最前線に隣接する小国。閑散としていて、思わず鼻を覆いたくなる死臭の原因がそこかしこに転がっていた。
変化に乏しい道途を過ぎストロの情報を基に行き着いた湖では、地上の有り様こそ変わらなかったが、ようやく麻痺しかけていた鼻へ新たな刺客が。鳥の啄み痕を体の至る所につけ水面を漂う巨魚の死骸は、頭部を失い傷口から内臓を露出していた。今回掴んだ情報というのがこの痕跡とのこと。
堕天が野放しにされれば淘汰の破綻は現実味を帯び、淘汰後の生活もままならない。遅かれ早かれ処分されるのであれば口実を得た今が戦う絶好の機会だとストロ達は言うが、段階を踏めていない気がして若干の不安を覚える。
狂戦士と呼ばれる人々も結局は魔法を忘れ淘汰に打ち込んでいるだけの普通の人。そのせいか相対しても恐れる事は無かった。対して堕天は魔との融合も顧みず私欲に走った、強・さ・で塗り固められた存在と言える。奴等を回帰派の序列に当てはめるなら、漏れなく上位に食い込むはずだ。
とはいえ現段階で堕天と言い切れる証拠は無い。湖近辺に4メートルを超える様な大顎の持ち主が居る訳でもないのだが。
外周を調べるべく両側から回っていく。人里離れたこの地で一様に腐乱する死体は、ここへ来ていた人達が突然淘汰の波に呑まれた事を指しているだろう。観光地としての需要は、今は亡き巨魚を祀った祭壇からも見て取れる。
「明日また来てみるといいわ。元気に泳いでるから」
「――はは、道理で祀られる訳だ」
頭を千切られても復活する魚か。黔魔革命を経た今でも死者を生き返らせる事は出来ていない様だから、甦りを体現しているこの魚は魔法学者だけじゃなく全天遣から注目を集める存在じゃないかな。もし俺がこんな風に生き返れるとなったら刺された時の記憶は消えててもらわないと。おちおち出歩けなくなるから。
広いだけあって半周するのも一苦労だ。足跡やら何かしらの痕跡があると思ったけど、ここでも目に映るのは卵ウジ蝿の3連コンボ。凶悪だ。痕跡は下にある可能性が高いのに探そうと視線を落とせば待ってましたとばかりに奴等が蠢き出す。魔力が無かったら気絶してたかも。
テスに習って斜め上を見ながら歩けばあら不思議。地表の惨状は視界から外れて、魔力に当てられた蠅は自身の体液で空をキャンパスに変容する絵画を描いている。最初からこうすれば良かったな。ウジとか卵も一応は子供だからそこまでやるのは違う気がするけど、蝿は徹底的に潰してやるぞ。
結局半周して得た成果は蝿の全滅だけだった。その唯一の成果も数日で無に帰すが。
まるでUMAを探しているかの様な途方も無い作業でも、その活気は衰え知らず。ストロ少年が必死に考えを巡らせ次の探索先に選んだのは、湖から最も近い村落だった。
木造の建築物ばかりである所から魔法を使えない人達の集落である可能性が高いが、淘汰に魔法は関係無い。到着早々大音轟かせて生存者を確認するのは回帰派のストロらしいやり方と言える。
回帰派が占領する領地に天命派は存在出来ない。子供は拠点へ連れ去られ、大人も本能が活性化しているなら容赦なく引き金を引かれて、理性的なら3択――戦か捕虜か死か。捕虜交換時の回帰派の破約を、掃討、選別両派の領地に居る天命派はさぞ嘆いた事だろう。
淘汰を拒む人がこの村にどれくらい居たのか。俺は参加を強制させるべきではないと思うけど、回帰派に身を置く以上滅多な事は言えない。守らなきゃいけない存在を危険に晒す様な言動は控えないと、またテスから立場がどうのと言われてしまう。
仮にも夫であるなら妻を最優先に守らなければならない為ある程度痕跡調査は手を抜くつもりでいた。パライソが不自然に残された1つの痕跡を見つけるまでは。
村の外れにある、損壊した住宅の方から続いていたと見られるそれは目を見張る這いずり痕で、茂みの僅か一部分を残し綺麗に消えていた。
逸る気持ちのままに行動するストロ達を追うと、既に何かを見つけている。缶詰に雑誌、装具は旧型の物。どこか親近感を感じるこの家の住人だろうか、子供と祖父母らしき3人が一見仲睦まじく写真に収まっている様に見える。照れか、或いは変色している自身の手への後ろ向きな感情がそうさせているのか、子供は俯き加減に膨れっ面で収まっていた。
平然と缶詰を盗み我が家同然に寛ぎ出すストロ達の誘惑を撥ね除け、こちらが家の中を調べている間にテスは痕跡の復元に成功。
この先に居るのは本当に堕天なのか。1枚の写真から揺らいだ思考は思いの外落ち着きを取り戻すのに時間を要し、ぼうっと歩き続けた先に見えたのは掃討派が占領する砦。痕跡を辿る内に最前線を越えてしまったらしい。
警備が砦の広さに対してやや少ない印象を受けるが、直前にこの痕跡の主とやり合ったのであれば頷ける。
「こりゃ諦めるしかないな。あいつにこだわる必要は無いんだし」
「いいや……むしろチャンスだ。見て分からねぇか、この混乱に乗じるんだよ。奴等ぶっ殺せば堕天と戦えて占領も出来る!」
遊撃兵というだけあって頭の回転が速いな、全くチャンスには見えないけど。でも何でだろう、ストロが言うといける気がするんだよ。パライソに煽てられて完全にやる気みたいだし、しゃーない、戦力的には申し分ないだろうから腹を括ろう。
相手側に消耗が見られるとはいえ数的不利は変わらない。馬鹿正直に全員で正面から攻めても、砦に籠り迎撃態勢を整えている奴等には返り討ちにされてしまう。
ならばいっそ、挟み撃ちにすれば良い。外からストロ達、内から俺達2人。妻の守りに甘えて銃弾をばら撒くだけの簡単なお仕事だ。
実際終わってみればそこに達成感など無く、あるのは虚しさにも似た、あっさりした気持ちだけ。これを物足りないと捉えるようになると、彼に近づいていくのかもしれない。
植物からの侵略を風化が後押しして灰緑となった砦は、この先も変化し続け作り手の意図しないメッセージをも宿しながら、その時代の人々を無言で見守っていく事だろう。この場合大切なのは相手が伝えようとしていたかではなく、感じ取った事実とその後の行動だと思っている。
防衛設備を設置し直している最中ふと気付いた。魔物が居ない。レーダーに映らないとはいえ動こうものならすぐに分かると油断していた。案の定ここには4人以外誰も居ない。しかし5人目が居る可能性を示唆する痕跡が、拘束していた付近に足跡として残されていた。
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