第七話 わたしは年老いて、髪も白くなった。

「王家全史……」


 ルファルはタイトルを呟いた。目の前に並んでいる文字列が、彼にはあまりに現実離れしていたのだ。

「ゲルリッツさん、この本はどこから……?」

「お話しするとなるとやや長くなりますので簡単に概略だけお話ししますが、それでもよろしければ」

 視界の端でルファルがこくりと頷くのを見て、フィリアは古書を見たまま口を開いた。


「……この本は、元から私の家にあった物ではないのです」

「つまり、最近になって購入されたもの、と?」

「いえ、もっと俗悪な方法で……恥ずかしながら、盗品なのです」

「まさか」


 ルファルは思わず、隣に立つ少女を振り返った。

 ――やはりメイリア准尉の忠告通りいたずらなのだろうか?

 フィリアの視線は相変わらず本に向けられたままだ。そして、どこか忌々しげですらある。


「これは間違いなく……間違いなく、古来の正式な方法で製作された羊皮紙本。一眼でわかります。それに王家の歴史書でしょう。それほどのものが一般の――ある程度の由緒ある家庭や貴族程度であったとしても――家庭に渡ることなど、あり得ません」


「それがあり得てしまったからこそ、私は恥じているのです――三ヶ月前に死んだ祖父の、軽率な行いを」

「しかし……」


「私たち家族は、今際の時になって祖父が放った一言をこの三ヶ月、ずっと、ずっと誰にも相談することもできず背負ってきました。『本当にすまないと思っている――にお返ししてくれ』」

「そのは、確実に公文書館アルキフスなのですか?」

「おそらく、ですが……。遺書の中にも、『正当なる王家の歩みは、賢者の抽斗にあればこそ』と……」


「そこは、いささか解釈の余地がありそうですが……とにかく死ぬ直前に、お祖父様がそのようなことを? なぜです? 王家の全史は国家の最高機密に値する。盗品だとすると、彼は故人であるにせよ裁きを受け、家名は傷を負います。

 なぜ処分を命じなかったのでしょう」


「わかりません……罪悪感によるものではないでしょうか。私の記憶の中の祖父は優しく敬虔な人でした。賢く、計画的で、厳格でしたが、声を荒げている姿はありません。ですが、昔は貧しい労働者であったために、悪癖も多々あったと聞いています」


 俄には信じ難いな、とルファルは訝しんだ。

 常識的に考えれば、目の前にあるものはフィリアの祖父である故ゲルリッツ氏が仕組んだ、巧妙な悪戯の結晶だ。とはいえ、フィリアやその他の親族は本気で盗品だと考えるだろう――そうなった場合、彼が死してなお新たな悩みの種を家庭に残すだろうか? 生来の「悪癖」の一部を最後まで楽しんでいたのだろうか? そうであればかなり周囲を引っ掻き回す悪童だが、フィリアの話を聴いたルファルには、ゲルリッツ氏のそのような姿はイメージし難かった。


 だが逆に、目の前の古書がもし本当に盗品であるならば……。


 否、とルファルは首を横に振った。その場合も腑に落ちない点があるのだ。


 まずは、なぜ処分を命じなかったのか。フィリアの話を聞く限り、彼女の祖父が家名を汚すようなものを残すとは思えない。今彼自身が言ったように、これほどのものを盗んだことが明るみに出たら、ゲルリッツ家の地位は――この家がどれほどの地位にあるにせよ――凋落の一途をたどるに違いない。もしも彼女の祖父が彼女の言葉通りに親族を思う人物なのであれば、継ぐべきものはきちんと継がせ、そうでないものは捨てさせるだろう。しかしもしかすると、家族を思えばこそ、こうやって盗品をつまびらかにし、己の罪を精算したがったのかもしれない。


 それに、そもそもどうやって盗んだのかも問題である。王家全史ともなると、保管場所は国王の城か公文書館のような、かなり高度な公的施設となるはずである。厳重な警備の網をくぐり抜けて侵入し、誰の目にも止まらずに広大な建物内を目的の物の場所まで辿り着き、さらにまたそこを警備と一般人の目を掻い潜って盗み出すというのは、いくら「あちらの世界」の三人組の大怪盗であるとか、不可能を可能にするエージェントといえど困難な仕事だ。もし誰かに扮して……という場合、話は変わるだろうが、そうであってもこの大きさのものだ。そうやすやすとこの国の衛兵や書誌隊が窃盗を見過ごすとは思えない。


 最後に気になるのは、今の今まで盗まれたことが問題とならなかったということである。ルファルも詳しいわけではないが、カデンツ王家といえば、武力によって諸侯連合をまとめ上げ、今のビリングス王国を築き上げた強力かつ強烈な家系だ。それほどの勢いがある王家の人間が、王家の正当性を示す資料を盗まれたままにしておくだろうか。あるいは、敵対勢力を炙り出すために偽物を掴ませておいたのかもしれない。だとしても、盗まれて以降盗んだ者を放置しておくだろうか。本物が盗まれたにせよ、偽物を掴ませたにせよ、どこかのタイミングで盗人を罪に問うこともできるはずである。


 ――いずれにしても、ここでは結論づけられないな。

 ルファルは身じろぎもせずにその場で考えていたが、とりあえずは図書を引き取ることにした。


「実際の事情はどうであれ、ここで結論づけるには情報が足りなさすぎます。ああそんな、訴えるような目をしないでください。私たちの仕事はこの図書にまつわる情報と事実を集め、紡ぎ出すことです。そうすることで真実は判明しますから……ですので、一旦はこちらで預からせていただきます」


「……ありがとうございます。私たちゲルリッツ家は、いかなる罪をも背負う心づもりでおります」


 その時、彼らの背後の扉が開き、メイリアが肩を怒らせながら大股で入ってきた。


「大尉、利用者からクレームがたくさんきていますよ! 私が受けただけで少なくとも十二件です、後で釈明の書類を……」


 上官の顔面に書類を挟んだバインダーを叩きつけたメイリアは、彼のすぐ隣に立っている子供を目に留めて急に押し黙った。

 おいおい、私も流石に怒るぞ、と言ってバインダーを跳ねけたルファルは、依頼人を前にメイリアが固まっているのを見た。准尉、と声をかけると、メイリアは静かに「まさか」と呟いた。


「准尉、君はこの依頼人を知っているのか……?」

「知っているも何も……彼女はゲルリッツ家の子供、傍系の子供ですよ」

「ああ、そうらしいな……うん、傍系? ゲルリッツに主流があるのか?」


「……そうか、大尉は知らないんでしたね」

 どういうことだ、と尋ねたルファルに、メイリアは真顔で向き直った。



「ゲルリッツ=カデンツ家。現在の王家であるカデンツ家から分離を余儀なくされた家系の一つです」

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